第124話 出来心
しばらく放心していたが、気を取り直して、ティアナが陣取っている書斎に向かう。部屋に入ると夕日の当たる窓際でティアナが針仕事に精を出していた。頭髪の輝きが眩しく、神々しいとさえいえる姿に息を飲む。俺が近づくと立ち上がって手にした肌着を広げてみせた。上目遣いに肌着への評価を待っている。
以前に比べれば長日の進歩を遂げているとはいえ、店で売り物になるかというと微妙だ。縫い目は広くなったり狭くなったりしている。そして左わき腹に当たる部分には俺の名前の縫い取りが存在を主張しまくっていた。俺は受け取って胸の前に当てて見せる。
「うん。俺にぴったりだな。ティアナありがとう」
ティアナは笑顔を見せた。
「ハリス様に気に入って貰えて良かったです。ちょっと袖を通してみませんか?」
「折角の新品を汚したくない。後で体をきれいにしてから試すよ」
「分かりました」
肌着を返すときにティアナの手に触れる。
「それで……、その様付けはやめないか?」
「いえ、それでは失礼です」
「失礼ということはないし、俺はその方が嬉しい」
俺は頭の中でティアナに響きそうなセリフを探す。
「俺もゼークトもお互い敬称はなしだ。ジーナともそうだよな。親しい間柄だと様とか殿とか無い方が俺はいいんだ」
「でも……」
「よし分かった。じゃあ俺もティアナ様と呼ぶぞ」
「え?」
目を見開き驚く顔は年頃の愛らしさを感じさせる。
「ティアナ様。後で肌着を試させてもらいます」
くすぐったそうな困った顔でティアナは頭を振った。
「やめてください。お願いします」
「じゃあ、俺のことはハリスだ」
「ハリスさ……。ハリス。これでいいですか?」
「ああ。その方がいい」
「うう……。私はお世話になってばかりなのに……」
「そんなことは無い。今着てるティアナが作ってくれた肌着は暖かくて助かったよ。薄汚い牢に入れられて、とてもそこの毛布を使う気になれなかったが、それでも全然寒く無かった」
「牢ですか?」
ついつい余計なことまで言っちまった。どう説明しようかと迷っているとちょうどいいタイミングでゼークトが顔をのぞかせる。
「ちと早いが夕食にしないか?」
ダイニングに向かい、はす向かいに立った俺とゼークトが女性に席を勧めた。相変わらずティアナは恐縮していたが、自分が座るまで俺が座らないことを見て取ると大人しく座る。首輪が無くなってからはゼークトの屋敷の雇人もティアナへ奇異の目を向けなくなっていた。
俺達3人は林檎酒、ティアナには柑橘の搾り汁が出され夕食が始まった。
「そういえば、先ほどは何を深刻な顔をして見つめあっていたんだ?」
俺がすっとぼけているとティアナが仕方なさそうに返事をする。
「ハリス様が……」
俺はわざとらしい咳払いをする。
「ハリスが牢に入っていたという話をしてびっくりしてしまったんです」
向かいでエレオーラ姫が満足そうな笑みを浮かべた。ティアナはチラチラっと俺に視線を向けてくる。
「悪い奴が牢に居てな。怪しまれないようにそいつを隠れ家に案内させる必要があったんだよ。それでわざと牢に入れられただけだ」
「そうだったんですね。私はまた誰かに無実の罪で牢に入れられたのかと心配しました。顔にも怪我をしてますし」
ゼークトとエレオーラがニヤニヤする。ティアナが俺が悪事を働いたとは露ほども疑っていないせいだろう。エレオーラが話を引き取る。
「ねえ。ティアナ。これは他の人に話したら駄目よ。それでハリスはね、誘拐されていた男の子と家庭教師を無事に救い出したの」
ティアナのパッと顔が輝く。
「やっぱりご主人……、じゃなくてハリスって凄いです」
「言うほどのことじゃないさ。それより、ほったらかしにして悪かったな。留守の間は何をしていたんだ?」
先ほどのエレオーラ姫の話を聞いた後では、あまり俺のことを話題の中心にしないほうがいい。そう思って話題を変える。
「エルの案内で図書館に連れて行って貰ったんです。知ってますか? 本がこーんなにたくさん、壁の天井まで埋まっているんです。あんなにたくさんの本があるなんてびっくりしました」
興奮してティアナがスプーンを手にしたまま手を広げる。
皆の視線が集まってティアナは赤い顔を伏せてしまった。
「すいません」
「そうか。凄いよな。俺も随分昔だが行ったことはある」
俺の声に少しだけ顔を上げるティアナは周囲が呆れていないことを確認し、ほっとした様子でスープにスプーンを入れた。
「あの本を全部読むの、一生かかっても無理そうです」
「少なくとも俺は文字を見ると数ページで眠くなってしまうから間違いないな」
ゼークトが朗らかに笑う。
「私の夫になったら書類をいっぱい見ることになるわよ」
ゼークトは大げさに天井を見上げてため息をついた。他愛もない話が始まる。
楽しく食事を終えて自分たちの部屋に引き上げようとすると、エレオーラがティアナに何かささやいていた。部屋に行くとすぐに熱いお湯が用意される。衝立の陰で鎧を脱ぎ手早く顔と体を拭き、そっと口元を押さえるがやっぱりまだ少し痛んだ。新しい肌着と下着を身につけてベッドに座って髪をタオルで乾かす。
ティアナが俺の前に立つ。俺が見上げる形になった。
「ここも赤く張れてます。痛くないですか?」
前髪で隠れていた部分が露出したようだ。
「ちょっとな。明日神殿で治療してもらうよ」
ティアナはぐっと口元を引き結ぶと決意したように体をかがめ、俺の額にキスをする。
ほとんど触れるか触れないかの接触だったが、俺に熱を残してティアナは体を起こした。
「痛みの消えるおまじないです」
ちょっと上気した顔で平然さを装っていた。
「ありがとう」
自分でも驚くほどの素直な言葉が俺の口から出る。
「少し痛みが和らいだ気がするよ」
実際痛みは忘れていた。ティアナの手を取る。
「もう1回だけ。実はこっちの方もまだ痛むんだ」
唇の端を空いた手で示す。からかったつもりだった。ティアナはすぐにまた体をまげ、首を傾けるとそっと俺の口の端に唇を触れさせる。すぐに身を起こそうとするので、俺はティアナの頭の後ろに手を回しぐっと引き寄せた。
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