第50話 エピオーン神
シラク山中の祠につくまでに丸3日かかった。シラク山の周辺は一応は王国の域内だが辺境と言って良く、この山の向こうには茫漠たる荒野が広がっている。その荒野の主は蛮族で、いくつかの部族に分かれて集合離散を繰り返していた。この辺りまで出没することもあるので気が抜けない。幸いに俺達が遭遇することはなかった。
エイリアの指示に従って到着した祠は小さいながらも石造りの立派なものだった。いや、正確に言えば、立派なものだったのだろう。蔦が絡み古色蒼然とした建物は派手に壊されていた。敷地を囲う石塀も崩れている。エイリアは絶句していた。
「一体何が……?」
「ずいぶんと派手に壊してるわね。何かが勢いよくぶつかった感じかしら」
石造りの建物を破壊できるとなるとそいつも相当にでかいだろう。
「ドラゴンか何かが体当たりでもしたんすかね?」
「しかし、なんで無人の祠を壊す必要があるんだ?」
崩れた石垣から中に入り祠の周囲を巡る。祠の裏側の山肌に両開きの鉄製の大きな扉があった。片方は完全に地面に落ちていたが、もう一方の鉄扉も傾いでいながらも辛うじて倒れずに残っている。中を覗き込むとまるでダンジョンの入口のような洞窟がぽっかりと穴を開けていた。
エイリアの顔色を伺うときっぱりと言った。
「中に入りましょう」
「ちょっと待ってくれ。これだけの破壊をもたらした相手が中にいたらどうするんだ? コンバのセリフじゃないが、ドラゴンでもいた日にゃ2度とお日様は仰げないぜ」
エイリアが右手を伸ばし目を閉じて呪文を唱え始める。しばらくすると頭を振った。
「中に生き物の魂は存在しないです」
「ボーンドラゴンかもしれないぜ?」
「負の力も感じられません」
俺たちは中に入って行く。薄暗かったが入り口からの光が入ってきており、目が慣れればぼんやりとではあったが様子をうかがうことができた。前方に大きな空間がある。100歩ほど歩くと大きな空間に出た。それこそノルンの町の神殿がそのまま入りそうなぐらいの大きさがある。正面に巨大な何かが屹立していた。
エイリアが囁くような声で言う。
「エピオーン神の像です」
かつてこの世界に君臨していた4柱の神々のうちの1柱で、万物の成長と死を司り、狩りの女神でもある。エイリアの所属する団体はこのエピオーン神を主に崇拝していた。
まるで生きているかのような大理石の巨像が俺達を見下ろしている。
「おわっ!」
先頭を行くコンバが叫び声をあげる。
「どうした?」
「なんかぐにゅっとしたもの踏んじゃったんすよ。うへえ」
コンバが情けない声を上げる。スライムか? 中に生物は居ないと言っていたはずだが……。
「これ。なんかのウンコっすよ。臭いっす」
一気に緊張感が緩んだ。火口箱を取り出し松明に火をともす。その明かりに照らされた地面のいたるところにでかいクソと思われるブツが落ちていた。各々が松明を持ち手分けして洞窟内を調べる。結局何もおらず、一旦外に出て協議した。
「なんという罰当たりなことを」
「何かが侵入して汚して出て行ったんすね」
「それで姉上、どうなさるのですか?」
「もちろん掃除をして清めます」
コンバが器用にも木を切って大きなシャベルと箒を作った。男性陣が何度も往復してクソを外に運び出し、女性陣が枯れ葉を撒いてから箒を使って床をきれいにする。掃除が終わった後でエイリアが香油で祭壇を清めて祈りをささげた。最後に丸太を組み上げて動物が入らないように入り口を塞ぐ。
へとへとになったが、エイリアの晴れやかな顔を見ると疲れが吹き飛んだ。
「神もお喜びになるでしょう。きっと皆さんにエピオーン様の恩寵がありますわ」
コンバが余った丸太に座り込んでへたっている。
「しかし、これだけ悪さをして何も天罰が当たらないんすかね?」
「いや。もう何らかの制裁は受けてるだろうな」
「兄貴。そんなこと分かるんすか?」
「推測だがな。入り口のところには中に向かう足跡があったが、外へ向かうものはなかった」
「適当なことを言うじゃないか。死体はなかったぞ。帰りは空を飛んだんじゃないか?」
カーライルが異を唱えたが、即座にエイリアが否定した。
「いえ。ハリスさんの仰ることは間違いないと思います。中で何か偉大な力が働いた残滓を感じました」
俺は謙虚な表情を取り繕ったが、内心はカーライルをせせら笑う。愛しい姉に否定されて今どんな気持ち?
「神話では非礼を働いた者の姿を変え、しもべとして使役したという話も残っていますね。恐らく、なにか小さなものに姿形を変えたんではないでしょうか?」
「まあ、それはどちらでもいいでしょう。姉上。目的を果たしたのだから長居は無用ではありませんか? 蛮族に捕捉されても面倒です」
負け惜しみではあったが、早く帰った方がいいのもまた事実。祠を離れて麓に下り道に出た。
来る途中で見つけていた小川で手や顔を洗う。コンバは念入りにブーツについたクソを落としていた。
「奇跡が起こせるなら、これもどっかにやっておいてくれりゃ良かったんすけどね」
「クソが消えて、ドラゴンか何かが残っているよりはいいだろ」
「そりゃそうっすね。兄貴」
河原の石に腰掛け寛いでいた俺は違和感を感じる。ばっと地面に伏せて耳を当てる。疾走する馬蹄の振動をとらえた。
「10頭ほどのグループがこちらに向かっている。森に隠れてやり過ごした方がよさそうだ」
移動し始めたところで、山影から騎馬の集団が現れる。見晴らしのいい河原に居たのが災いした。
「ちっ。遅いな。どうも気づかれたようだ。とりあえず、森に入ろう。騎乗のまま突撃されたら苦しい。木を盾にして様子を伺う」
俺の指示に従い各自が散る。俺は身を隠せそうな常緑樹にするすると登った。
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