第120話 ヨハンの招待
「この度の助力かたじけない」
豪勢なソファに腰掛けた男は深々と頭を下げた。頭頂部の薄くなった地肌がもろに見える。
「やめてくれよ。お偉いさんがそんなに簡単に頭をさげるもんじゃないと思うぜ」
宰相ゴッツワルド・ハウゼンは顔をあげた。
「いや、しかし。それにマーキト族の件の不手際もある」
「もう勘弁してくれねえかな。だいたい一介のスカウト相手に普段はこんな対応はしないだろ? 違うかい?」
「いや。そんなことはない。ルフト同盟の有力者ミコネン商会の跡取りが王都で害されたとなれば外交上厄介なことになったのは間違いない。誘拐されたヨハンがどこにいるか分からない状況で居場所を突き止めて無事に保護することができたのはハリス殿のお陰だ」
「まあ、俺ほどいかがわしい風体の、しかも裏社会のルールに通じている男はそう簡単に見つからないだろうさ。でも、冒険者ギルドを通じて探せば一人や二人は調達できたはずだ。そこまで人材不足ってこともないだろう?」
俺は頬に手を当てる。ざらっとした無精ひげの感触が残った。
ゴッツワルドは無言で首を振るので俺は言葉を続ける。
「しかし、せっかく手柄を立てられるようにお膳立てしたのに表沙汰にできないとはうまくいかねえもんだな。まあ、俺としちゃそれでも構わんがね」
俺は思い切り伸びをして欠伸をする。一国の宰相の前でしていい態度ではなかったが疲れてもいたし、他人の思惑に踊らされるのに嫌気がさしていた。
「単なる営利誘拐かと思ったら、面倒臭い事情があったとはね。そりゃ簡単に大商人のお坊ちゃんが誘拐されるわけだよ。ここの支配人マイザーが仕組んでりゃな。それで、あのおっさん吐いたのかい?」
「うむ。マイザーは相当の額を横領してたようだな」
「それで自作自演ね。やはり身代金でそれを穴埋めするつもりだったんだな。なのに危険を冒してまでわざわざヨハンを亡き者にしようとしたのはなんでだ?」
「マイザーは後妻の引き立てで支配人の地位まで登ってきた男だ」
「なるほどねえ。ヨハンが消えれば後妻の子供が跡継ぎってわけだ。狂言誘拐の片棒を担がされた挙句に消されそうになったあいつらも気の毒に」
俺は吐き気がしてきた。本当に金持ちというのは度し難い。俺は勢いをつけてよっと掛け声をだすと深々と沈み込むソファから立ち上がった。
「それで事件は闇に葬られるわけだ。ま、王国としちゃミコネンに貸しができるし収支は悪くないんじゃねえの。それじゃ失礼させてもらうぜ」
「待ってくれ」
ゴッツワルドは慌てて立ち上がる。
「私はあの方に恩義がある」
「ああそうかい。じゃあ、小ぎれいな墓でも建てて草むしりでもするんだな」
ゴッツワルドの顔が歪む。
「それを言ってくれるな。私だって心は痛い。だが過去は変えられないのだぞ。私はあの方の遺志を継がなくてはならない。ハリス、遺された……」
「疲れてるし、リアリティ出すために殴られた口元も痛むし、もう帰らせてくれよ。宰相ってのは忙しいんだろ。それじゃあな」
預けておいたものを受け取り、応接室を出て衛兵の案内で城門まで行く。人の好い宰相に冷たくし過ぎたかとちょっとだけ反省したがすぐに思い直した。痛い思いをしてまで助けてやったんだ。これ以上の要望には応じられない。仮にそれが善意から出たものであったとしても俺には重荷でしかなかった。
だいたい偉くなるってことは、崖っぷちを歩く足元がどんどん細くなっていくようなものだ。行動選択の自由は失われ責任だけが増大する。そして足を踏み外したら多くの人を巻き添えにして真っ逆さまだ。それだけの器量と覚悟があるならそれでもいいさ。だが俺は一介のスカウトだ。くそ。どいつもこいつも。
足元の小石を蹴るとぽちゃんと堀に落ちる。泳いでいた黒い水鳥がバタバタと飛び立った。門番が睨んでくるが無視してはね橋を渡る。気が進まないがミコネン商会の支店に向かった。騎士に囲まれて馬車に乗せられる前に俺に店まで訪ねてくるようにヨハンに懇願されている。金持ちの坊ちゃんだがガキはガキだ。
店の裏手の私邸の方に回った。詰所で俺に殺されたフリをし、誘拐犯の隠れ家にも乗り込んできた若い騎士ジグムンドが門のところで同僚と立ち番をしていた。
「ハリス殿。お疲れ様です」
「あんたも疲れてるだろうに」
爽やかな笑顔を浮かべる。
「これが仕事ですから」
若いっていいよな。俺と違って疲れが出てねえ。同僚が俺の到着を告げに玄関に向かうとジグムンドは俺にそっと囁いてくる。
「あの。キャリー殿はお変わりないですか? ハリス殿と組まれていると聞きましたが」
「ああ。元気にしてるよ」
遠慮がちな目は色んな感情を表している。そうか元同僚だもんな。やっぱ若いねえ。
「そ、そうですか」
ここまであからさまだと俺でも分かる。それとも俺に周囲の人間関係を見る余裕ができたのか? 仕方ねえなあ。豚の血を浴びてまで演技に協力したことへのサービスだ。
「相変わらず仕事一筋だよ。周囲の男どもなんか眼中にねえな」
ほっとする様子を見せるジグムンドに手を挙げて挨拶する。今度詰所に寄って貰えれば1杯奢りますよ、の声を後に玄関から屋敷に入って行く。サリバンが出迎えて丁寧に頭を下げた。機先を制して言う。
「もう礼の言葉は聞き飽きた。あんたも大変だったろう」
「お陰様で何事も無く」
そりゃ良かった。結構な年でずば抜けた美人では無いが、女日照りなら食指が動く奴もいるだろう。何も無かったのは不幸中の幸いだ。
「お坊ちゃまがあちらでお待ちです。そういえば左手は大丈夫でしたか?」
「手袋には跡が残っちまったが、俺の手の骨に影響はないと思う。たぶんな」
「私などが申し上げるのもおかしい話ですが……」
「別に気にしちゃいねえよ。いい所のお坊ちゃんにしちゃ、随分とやんちゃだとは思うけどな」
「お坊ちゃまの叔父にあたる方が騎士でして、少し憧れているところがあるのです」
「まあ、あれぐらいの子供なら騎士に憧れる年頃か」
「お坊ちゃまのお母様は亡くなってます。それで忘れ形見ということで叔父にあたる方も随分とお坊ちゃまを可愛がっているんですよ。今お見えになっていてハンク様にお礼を言いたいと仰ってます」
サリバンが大きな扉の前でノックするとぱっと扉が引き開けられた。喜色を浮かべてヨハンが出迎える。
「ようこそいらっしゃいました」
その向こうでは若い男の横で偽金貨事件以来の俺の天敵ガブエイラ・マルクが驚愕の表情を浮かべていた。
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