第133話 祝宴
皿が空になったのでティアナと一緒にまた料理を取りに行った。なんだか二人だけがつがつ食事をしているような気がしてちょっと可笑しくなる。俺の後ろを等間隔を保ってホフマンがついてきた。宰相に命じられたとはいえ、少々うっとおしい。チラリと振り返ってみたが温和な笑みを浮かべているだけだった。
あまり山盛りにするのはみっともないが、料理の数は多く目移りする。ティアナと相談して数品を厳選した。それでもまだ興味を惹かれるものがあったので、既に料理を乗せた皿をホフマンに渡した。これでもうひと皿分盛り付けることができる。これぞ生活の知恵というもの。ホフマン、さっきはうっとおしいと思って悪かった。
コンバたちのところに戻りテーブルに皿を置くと、若い女性を連れた立派な服の偉そうな奴に声をかけられる。
「ハリス殿だったかな?」
まずい。俺はこいつを知らないが、どう見ても偉そうな相手の名を知らないのは非礼に当たる。
内心冷や汗をかいている俺の耳に微かな声が聞こえた。
「コンラッド侯爵、馬が道楽」
俺は胸に腕を当てると恭しく頭を下げた。横目でティアナが服の裾をつまんで腰をかがめているのが見える。
「これはコンラッド卿。お初にお目にかかります」
顔を上げるとコンラッド卿は満足そうに笑みを浮かべていた。適当に世間話をする。名馬を何頭も持っていることを褒めると相好を崩した。上機嫌で去っていく。ふう。給仕から果汁を受け取り一気に飲み干した。振り返るとホフマンが軽く頭を下げる。どうやらあのやり取りで合格のようだ。ティアナに向き直る。
「さっきの仕草はどうした?」
「エルに特訓させられました」
「そうか。まるでどこかのお姫様かと思ったぜ」
からかうと頬を赤く染める。
それから、何十人もの男女を相手に挨拶する羽目になった。その度にホフマンが俺にだけ聞こえるように相手の名前や話題を囁く。これだけ優秀な秘書はなかなか居ないだろう。秘書の別名が、囁く人というのも納得だ。周囲を見渡せば偉そうなのは聡明そうな若いのを連れて歩いていた。
貴族との会話も面倒だったが、商人や職能ギルドの関係者からの求めにはさらに閉口する。いい年をしたおっさんが、それよりはちょっと若いおっさんの手形とサインをねだるのだ。聞けば子供から頼まれているのだと言う。
「これで息子に自慢できます」
王国の統治という観点からすれば、ダンジョンで何が暴れようが、そこに巣くう強敵を倒そうが大きなことではない。ただ、民にとっては別の話だ。特に子供たちにとっては手に汗握る物語の主人公。物語の中の人物の手形とサインを持って帰れば、父親の評価は相当上がるのだろう。こっちは面映ゆいがこんなことで歓心を買えるのなら安いものかもしれない。
また新たに近づいてくる人がいて身構える。見知った顔であることにほっとした。
「ハリス殿。ちょっといいかな?」
「もちろんですよ。伯爵」
伯爵の端正な顔にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。
「ハリス殿へ伝言を頼まれていてね」
嫌な予感がした。
「貴殿に手紙を出したが返事を貰えないそうだ。色々と多忙だろうが、ぜひ前向きに検討して欲しいとのことだったよ」
「はあ。別に粗略にするつもりは無かったんですが、受け取ってから本当に忙しくて」
「そうだろうとも。貴殿はそんな薄情な男ではないだろうからね。そうそう。私も王女殿下に同行することになっているんだが、戻ってきたら一度王都の屋敷に訪ねてきたまえ」
伯爵はティアナに向き直る。
「ステラ殿も貴女とゆっくり話をしたいそうだ」
「私も一緒に行っていいのですか?」
「ああ。そうしてくれると私も助かる。何しろ恩人の頼みなんでね」
伯爵とステラ、アリスの関係も謎だ。いくら飯が旨くても食堂の女主人と領主が昵懇というのは不自然すぎる。伯爵が気さくな人柄だとしても、それだけじゃ説明ができない。俺の疑問を見透かしたかのように伯爵が笑みを浮かべる。
「屋敷に訪ねてくれたら、色々と腹を割って話そうじゃないか」
「お心遣いはありがたいのですが、私などと交流を持ってよろしいのですか?」
「既に皆が争って貴殿と面識を得ようとしているじゃないか。私はそれをさらに1歩進めようとしているに過ぎないよ」
「そうですかねえ」
いささか失礼になりそうなほど気の抜けた返事をしている俺の目に不自然な動きをする男が目に入った。先ほどから、俺と伯爵から少し離れた位置にいる二人連れ。どちらも若い。隠しているつもりだろうが、俺達に対する侮蔑の感情が見て取れた。気に入らないのなら離れればいいのに近くにいるのが怪しい。
そこへ通りがかったのが子供の頭ほどのフラゴンを抱えた若い女性の給仕だった。二人連れの片方が目配せすると給仕に背を向けていた男がよろけて後ろに足を出し、たまらず給仕の女性は転倒してしまう。その手から離れた口の広いフラゴンは中身を俺と伯爵にぶちまける……ことは無かった。
ぱっと前に出た俺が両手でフラゴンを抱きとめ膝を使って振動を吸収する。完全には揺れを抑えることはできず、跳ねた真っ赤な酒が一滴俺の頬についた。まあ、服にかからなかったので問題はない。給仕の女性は顔面蒼白になりながら、自分がつまずいた相手に詫びを言い、次いで俺にも頭を下げる。
「申し訳ありません。お客様」
声が震えていた。俺は頬の雫を指で取って口に突っ込む。
「これは逸品だ。グラスを2つ貰えるかい?」
女性は茫然としたままだった。
「お客様。こちらをどうぞ」
少し上の地位にあるのだと思われる別の給仕がグラスを差し出してくる。フラゴンと交換して2つのグラスに注いでもらった。軽く頷いて用はもうないことを示すと、伯爵に向き直り1つを渡す。
「お口に合うかどうか試してみませんか?」
華やかな香りを楽しむふりをしながら、そっと観察する。失態を晒しそうになった給仕は同僚に連れられていき、悪戯をしかけた2人組は憮然とした表情をしていた。伯爵を見ると片目をつぶる。
「うん。いい仕事だね」
伯爵は酒の味か、俺の技量かに対する賛辞を述べた。先ほどから伯爵を見ていたと思われる御令嬢たちがぽーっとした表情を見せる。視線を動かせば、ジーナが俺達のことを胡乱気な表情で観察していた。
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