第134話 タックの訴え

 伯爵が立ち去った後も何人かと話をし、サインをする。ようやく人が途切れたところで食事を再開した。ティアナがかいがいしく俺の好きそうなものを取り分けてくれている。一つ一つティアナの感想付きで味わった。ふと思いついてホフマンに礼を言う。


「面会のサポート助かったよ」

「お役に立てて何よりです。お疲れになったのではありませんか?」

「まあな。お偉いさんも大変だなと思ったぜ」

「いずれ慣れますよ」


 ホフマンは何か含むような顔をしていた。

「なんだ? 何を知っている?」

「我が主は、この度、グラハム伯となられました」

「ああ。まあ、そりゃそうだろ。お姫さんの配偶者なんだから」


「つまり、陛下がその気になれば爵位の1つや2つは授与することができるわけです。いろいろと利害関係の調整は必要になりますが」

 まあ、大貴族連中からすれば新たな爵位が増えれば自分たちの価値が減ると考える奴もいるだろうな。ただ、娘婿となれば表立っては反対しにくいだろう。


 ホフマンは声を潜める。

「そのついでに準男爵を付与するぐらいは大した手間ではないでしょうね。騎士よりは上ですが貴族ではないですし。まあ、次のための布石でしかないでしょうけど」

 俺が更に問いただそうとすると周囲の空気が変わった。


 ティアナが上品に礼をする姿が見え、俺は振り返ると同時に直立不動になる。

「ハリスよ。楽にいたせ。今日はただの父親にすぎん」

 そうはいってもなあ。国王陛下って事実は消えねえよ。

「そなたもだいぶ名を上げておるようじゃな」

「陛下のご威光をもちまして」


 カンディール4世は鷹揚に頷いた。

「わしの威光で何事もうまくいくなら苦労はせんよ。そなたの努力と……良い人物の薫陶を受けた結果であろうな」

 カンディール4世は視線を横にずらす。


「ティアナとか申したな。我が娘から聞いておる。今後もエレオーラを助けてやって欲しい」

「仰せのままに」

 ティアナは頭を下げたまま答えた。へえ、こんな言い回しも覚えたのか。


 カンディール4世はうむと頷くと俺達の前から去って行った。こいつもエレオーラ姫の差し金だろうか。国王に公の場で声をかけられるということは名誉なことだ。祝いの席だということを割り引いても、なかなかにあることじゃない。実際、さりげなく視線で国王を追っているが、俺達の後は他の誰にも話しかけていない。


 俺は会場の床を思い切り踏みつけたい気分だった。ホフマンに先ほどの話を問い詰める気も失せている。まったく、どいつもこいつも。俺の望みとは無関係に勝手なことをしやがる。俺の望み? 改めて考えると何だろう。可愛い女房を貰って、経済的に苦労はかけない程度の稼ぎがあって……。


 未来を思い描く俺の脳裏に浮かぶのはティアナだった。俺には過ぎた女性が好意を寄せてくれているのは分かっている。だが、今の俺があるのはティアナのお陰だ。あの娘のありがとうございますの言葉が、俺を光の下に連れ戻してくれた。誰かに感謝されるということがどれほど俺の心を……。


 小さくカットした果物を口にして目を見開いているティアナの姿は、華やかな装いに反して子供っぽい。いや、違うな。実際にまだ子供だ。誰かを好きになったり愛したりという感情はまだ分かっていない。どうすれば、ティアナの敬意を俺への愛情に変えることができるのだろう。


「これ、美味しいです。食べてみませんか?」

 無邪気な顔で皿を差し出すティアナの声に沈思から引き戻された。今まで食べたことのない果物は、とろけるように甘くいい香りがする。

「ああ。旨いな」


「ハリス様。グラハム卿がお呼びです」

 声をかけられ、ティアナを連れて壇上に向かう。そろそろ本日の主役は退場して、2人きりで過ごす時間だ。来場者への挨拶の際には、俺とティアナは役目として左右に控えることになっている。


 エレオーラ姫とゼークトの謝辞が終わり、2人は国王から退出の許しを得ると、皆の拍手の中で広間を出て行く。俺達も後に続いた。屋敷に戻ると2人は俺達に今日の礼を言う。それから手に手を取り合って、ゼークトの寝室の方に消えて行った。これから床入りするというわけだ。


 俺達もそれぞれ与えられた部屋に引き上げようとする。

「あの……。もうハリスと同じ部屋でいいんですよね?」

 ティアナが俺の上着の裾を引く。俺達は式前の3日間は介添人の伝統として一人で寝ていた。


「なんだ。一人だとよく眠れないのか?」

「はい」

 からかったつもりだったが素で返される。俺は腕を差し出した。ティアナが嬉しそうに腕につかまる。うーん。勘違いしないようにしないとなあ。


 以前は痩せこけていたのが、わずかに丸みを帯びたティアナの柔らかな感触が布地越しに伝わってくる。服装のせいで大人びて見えるのが悩ましい。つい先ほどの自制の念に反してティアナを抱き寄せようとした時だった。

「おっちゃん……」


 タックが悄然とした姿でやってくる。

「どうした? こんな時間に」

「だって、なかなか帰ってこないんだもん」

 タックは今にも泣きだしそうな顔をしていた。


 とりあえず、俺の部屋に招き入れる。事情を聞くとなかなかに難しい話だった。ミーシャに求婚した相手に手厳しく怒られたという。原因はゼークトのことを気安く呼び捨てにしていたことだ。まあ、自分の雇用主、しかもいまや貴族になった人間を子供が呼び捨てにしているのは確かにまずい。ゼークト本人の気持ちの問題ではすまない話だ。


「お前みたいな悪い子とは一緒に暮らせないって言うんだ」

 タックの目からポロリと涙がこぼれる。それを袖でゴシゴシ拭いてタックは声を振り絞った。

「俺。おっちゃんの子供になる」

 タックは咳き込むように続けた。


「なあ。いいだろ。俺の父ちゃんになってくれよ。ティアナ姉ちゃんと結婚してさ」

 タックはティアナにも訴える。

「姉ちゃんもおっちゃんのこと好きだろ? 俺、もうあの苦い野菜も残さないから。な、な」

 ティアナは涙声のタックを抱き寄せると頭を撫で始める。我慢しきれず泣き出すタックをあやす姿は慈愛に満ちていた。

 

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