外伝3-1 魔法士の懸念

「ジーナさん。何が見えるっすか?」

 胸間城壁の隙間から眺めていた私は視線を固定したまま、片手でコンバを制す。魔法で強化された視力は、マーキト族の一団から4騎が別方向に離れていくのを捕えていた。


 口の中で呪文を唱えていたのをやめ、意識の集中を解く。ぐうっと視野が遠のき眩暈がした。ぐらりと体が倒れそうになり手を突こうとする。しかし、思った場所に城壁が無かった。あっと思った瞬間に、反対の腕を力強い手が握って私を引き戻す。勢いあまって大柄な体にぶつかると心配そうな声が降ってきた。


「大丈夫っすか?」

 目をつぶって深呼吸をする。

「大丈夫よ。ちょっとくらっときただけ」

 5つ数えて目を開けた。


 夏の青空を背景に、幼さの残る純朴な顔が心配そうに見下ろしている。

「コンバ。支えてくれてありがとう」

 コンバは満面の笑みを浮かべる。

「大したことないっすよ」


「伯爵に急いで会わないと」

「どうしたんすか? 残敵でも?」

 質問しながらもコンバの体は動き出していた。城壁の内側にある急な石造りの階段を私に先んじて下りて行く。段差の大きなところでは手を差し伸べてくれた。


 レッケンバッハ伯爵を見つけると人払いを頼む。腹心のミゲルだけを横に控えさせ伯爵は眉を上げた。その仕草に促されて私は話を始める。

「チーチが集団から離れて北東の方角に向かっています」

「ふむ。気づかれたかな」


「恐らくそうでしょう。以前の表情を取り戻していましたし、彼女は結構鋭いですから」

「まあ、墓を荒らされた時点で偽装工作は破綻していたわけだ。真相を知った人間が一人増えたところでそれほど障害が大きくなるわけでもない」


 そこまで言うと伯爵はニヤッと笑う。

「もちろん大勢においての話だがね。我らがハリス氏の新婚生活は脅かされることになるかもしらんな」

「笑いごとではないでしょう?」


「確かにな。だが、スミノフ公がハリスの行方を掴むのは時間がかかるはずだ。力は有しているが頭脳は足りてないからな。その点、チーチ嬢の方が勘どころもいい。問題なのは彼女が目立つことだ。あのお嬢さんをたどればハリスに到達してしまうかもしれない」


「では急ぎ対策を取らないと」

「気持ちは分かるが、お二人が動けば、やはり敵に悟られる心配があるぞ。公爵はこの遠征軍にも何人か忍ばせているはずだ。もっとも仕事の半分は不適切な文書の破棄になるがね」


 伯爵は人好きのする笑みを浮かべる。

「今頃は探すように命ぜられた文書を火にくべて任務達成の安堵感に浸っているだろう。あいにくと私が準備した偽書なんだ。本物はエレオーラ様の手に渡るように手配済みさ」


 ハリスの身を案じてジリジリする私を見て、伯爵は安心するようにと手を広げる。

「マールバーグと密かに通じていたことを示すものだ。この私の動向を伝えて始末するように依頼するものまで残っていた。スノードンが亡くなって、手紙を廃棄する配慮が出来る人物も残っていなかったようだね」


「それはかなり致命的なものでは?」

「ああ。その通りさ。一応私は王国の命を受けてこの地に派遣されているからね。重大な利敵行為だ。そして、王国は神龍王、マーキト族、ルフト同盟、そしてマールバーグという重圧から今は解放されている。大鉈を振るえる時期だ。そして、あの姫さんがいる」


「じゃあ、ハリスの身に手を伸ばす前にスミノフ公が……」

「そう簡単なことではないが、そこは姫様とあの切れ者ホフマンが考えるだろう。それはそれは真剣にね」

 私の知らない事情があるようだったが、それはどうでもいい。


「色々と動きがあることは分かりました。しかし、私としてはハリスの身が気になります。それほど能力が高くなくても、偶然が重なれば真実に到達することは可能です。この地を離れる許可を頂けますか?」

「俺からもお願いします」

 横からコンバも口添えする。


 ミゲルが軽く顎を引くのを確認すると伯爵は代わりの提案をした。

「そう言うことなら、1日だけ待ちたまえ。私は一旦レッケンバーグに戻ることになっている。ゴンドール湖に軍船を配備してあるんだ。それを使った方が早い。私と一緒の方が目的を欺けるだろうしね」


「分かりました」

「心配しなくてもいい。ハリスの周囲には本人も分からぬように監視と保護の人数を配置してあるはずだ。私個人もステラさんにお願いしてある。食堂のおばさんとなめてかかる愚か者がいれば、とても痛い目に合うだろう」


 そこで伯爵は表情を緩めた。

「君が責任を感じているのは分かる。ただ、あの混乱の中でできる偽装工作としては最高の出来だった。私でもあれほどうまくは出来ないだろう。正直言って、スミノフ公がこのからくりを見破ったのに驚いている。まあ執念の力は侮れないね」


 伯爵の部屋を出るとコンバが口を開く。

「ジーナさん。大丈夫っすよ。兄貴は機転が利くっすから」

「そうね」

 返事をする私の身を焦燥感がじりじりと焼く。


 コンバはためらいがちに切り出した。

「やっぱり、兄貴の側に居ないってのが気にいらないっすか?」

 私は思わず純朴そうな顔を見返す。

「そうっすよね」


「コンバ……」

「あ。俺はジーナさんが兄貴のことを忘れられなくても構わないっす。それだけ人を見る目があるってことっすから。それに俺も兄貴のこと尊敬してます。まだ、俺は兄貴の足元にも及ばないっすけど、いつか兄貴みたいな立派な男になってみせるっす」


 だから、いつか俺の方に振り向かせて見せるっすよ。言葉に出さなかったセリフが私の心に聞こえる。コンバが真顔になった。

「兄貴は俺達のリーダーっすよ。そんな兄貴に刃を向ける奴は俺の敵っす。兄貴を守る盾っすからね」


 私は思わず笑みがこぼれる。

「ハリスもあなたのことを誇りに思ってると思うわ」

「そ、そうっすかね?」

 急に照れる大男が可愛い。


「私も頼りにしてるわ」

「任せてくださいっす」

 大きな手でコンバは自分の鎧の胸を叩く。急に大きな音がして、周囲の兵士が何事かとコンバを見た。音の発生源がコンバと分かって兵士たちの顔に笑みが浮かぶ。


「さてと。それじゃ、部屋にもどって準備をしましょ」

「了解っす」

 若いながらも腕がたち、素直な人柄で遠征軍の兵士たちにも自然と好かれているコンバを従えて、私は自分たちの宿舎へと足を向けた。

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