第40話 ミーシャの事情

 ミーシャの事情は聞けばありきたりの話だった。ミーシャがトマスと結婚する際に、トマスの両親は猛反対していたらしい。酒場の給仕をしていたミーシャをトマスが見初め求婚したのだが、両親からしてみれば、そんな破廉恥な仕事をしていた女ということが不満だったそうだ。田舎の農夫にしてみれば、そういう価値観でも仕方ない。


 その時はトマスの意志が固くしぶしぶ認めたものの、可愛い息子がこの世に別れを告げた後に残されたのは憎い嫁と忘れ形見。夫と死別したのだから実家に帰れ、ただし子供は置いていけ、と義理の両親に責められる一方、稼ぎ柱を失ってミーシャはたちまちのうちに生活に困窮した。


 タックがいるので昔のように夜の酒場の給仕に出る訳にもいかない。義理の両親に預けたら最後、2度と会えなくなるのは目に見えている。そこへ声がかかったのが、隣村の村長の一人息子の後添えにならないのか、というものだった。年は40半ばと離れているが、タックも連れて来ていいという。


「なあ。あんまり言いたくはないが、それほど悪い条件じゃねえと思うぜ。そりゃ相手が年をくい過ぎているというのは分かるけどよ」

「ちょっと、ハリス」

「気の毒だがそんな話は腐るほどあるってことさ」


「……はい。それだけなら確かに……」

「なんだ。何か話してない事情があるのか?」

「はい。その。問題はその方の父親の……。隣村のその息子のところから逃げ出した前妻のことは噂になっていたのですが……。あの、その……」

 そこで思い出した。いい年をしてフラフラしているバカ息子とその嫁に手を出したアホ村長の話を聞いたことがある。


 ジーナを見れば酸っぱい顔をしており、ミーシャは真っ赤な顔をしてうつむいていた。もじもじとする様はなんとも言えない色気がある。いい趣味してやがるぜ。エロじじいめ、この薄幸な感じの美人をどうするつもりだったんだろう。ジーナが吐き捨てる。

「クズね」


「間に入った人は、子供と一緒に住めるのだからそれぐらいは我慢をするもんだ、とまるで私がわがままを言うかのように言うんです。食事も満足にとれず、追い詰められて衝動的にあの人の後を追おうと……」

「馬鹿なことを考えたもんだな」

「ハリス!」


「大声を出すなよ。だって、そうだろ。ダンジョンの中でゴブリンどもにでも捕まってみろよ。それこそ死んだ方がマシってことになるだろ?」

「そうだけど、言い方ってものがあるでしょ」

「どう言い繕おうとも同じだよ。子供を道連れにしようなんざ本末転倒もいいところじゃねえか」


 俺の語気にジーナは沈黙した。

「まあ。いいや。俺たちに出会ったのも神様がまだ生きろって言ってるんだろうぜ。もう死ぬなんて馬鹿なことはやめるんだな」

 ミーシャは俯いている。顔をあげると真剣な表情をしていた。


「私も一時の気の迷いで愚かなことをしたとは思っています。でも、なんの取柄もない女が子供を抱えてどうやって生きていったらいいのでしょうか?」

 そんなことを俺に聞かれてもなあ。

「まあ、なかなか大変だろうな」


 ミーシャの目に怪しい力が宿る。

「ハリスさん。私達親子を養ってくれますか? せっかく助けて頂いた命ですが、このままだと今夜はいいとしていずれは立ち行かなくなります」

「俺にそこまでする義理はないぜ」

「そんなことは分かってます。でも私ももう他に頼れる人がいません」


「あのなあ」

 俺はため息をつく。

「どうしてそうなるんだよ。出会ってその日にそう簡単に決められるわけないだろうが。ほら、ジーナだってこんな顔してるし」


 ミーシャはあら?という顔をする。

「そういえば、お二人はどういう関係なのですか?」

「単なる家主さ」

「部屋を借りてるだけよ」

 同時に声が出た。ミーシャはその反応に少し驚いている。


「今日はもう疲れた。あんたも湯あみして寝るといい。ああ、そんな顔するな。神に誓って何もしねえよ。俺も疲れてそれどころじゃねえんだ」

 ちょうど、真っ裸のタックが丸出しで走ってやってくる。後ろからタオルを持ったティアナが追いかけていた。

「こら。待ちなさい。早く拭かないと体が冷えて病気になってもしらないわよ」

 ミーシャが立ち上がって二人がかりでタックを捕まえる。


 その後、こてんと魔力が切れたゴーレムのように動かなくなったタックを抱きかかえて、俺の寝室に運ぶ。なりゆきで仕方ない。今夜はベッドは譲って俺はソファで寝よう。コンバが弟子入りの支度金代わりにとベッドを作ってくれたのでジーナはソファ生活から解放されていた。


 自分も体をきれいに拭いたミーシャを寝室に送り込み、俺は暖炉近くに置いたソファで寝そべりながら酒を楽しんでいた。ジーナが髪の毛を乾かしながら聞く。

「ティアナ。今日は私のベッドで一緒に寝る?」

「お姉ちゃん、ありがとう。でも大丈夫です」

 ジーナは肩をすくめながら自室に消えた。


 イヤリングをしまった箱を大事そうに抱えて台所に行こうとするティアナに声をかける。

「お前、藁布団で寝るつもりか?」

「はい。そうです。ご主人様」

「台所は寒いだろ。それこそお前が具合悪くするぞ」


 じゃあ、どうしたら?という顔をしていたティアナはぱっと顔を輝かせる。とことことやってくると俺の手から空きグラスを取り上げサイドテーブルに箱と一緒に置く。ティアナは床に放り投げてあったマントを拾いあげるといそいそと俺とソファの背もたれの間に潜り込んだ。二人にマントをかけて俺の体に手を回す。


「ご主人さまの体あったかいです」

 酒が入って熱を帯びた俺の体にぴったりと身を寄せながら言う。

「はじめてご主人様に会った日みたいですね」

 すぐにティアナは穏やかな寝息を立て始めるが、ダンジョンで疲れているはずの俺はなかなか寝付けなかった。

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