第39話 未亡人
悲嘆の叫び声を上げさせる前に倒さなければ、と俺は一気に距離を詰める。ショートソードを胸の高さで水平に構え心臓めがけて突き出そうとした。その時に目の前の女が抱いているのが子供だということに気がつく。女に触れんばかりの距離でショートソードを止めた。
女は目を見開き微動だにしない。それからガクガクと膝が震えると地面にへたりこんだ。キャリーとフォルクが俺の両脇から顔を出す。同時に怪訝そうな声を上げた。
「これは?」
女の目から涙がつうっと頬を伝う。
子供をきつく抱きしめて顔を伏せた。俺はショートソードを降ろす。胸いっぱいの息を吐きだした。
「なあ。あんた。こんなところで何をやってんだ? もうちょっとで刺しちまうところだったじゃねえか」
いくら出口が近いところとはいえ、ダンジョンの中は世間話をするには向いていない。俺はコンバに声をかけると二人がかりで女を抱え起こす。刺すような微かな異臭が鼻をついた。道を曲がり出口を目指す。幸いなことに何にも会わずに外に出ることができた。太陽の下に出てほっと息を漏らす。
ミーシャと名乗る女を連れて、ノルンの町に戻る。ダンジョン内で遭難した別パーティの保護も冒険者の役割だ。ダンジョンに自殺をしに来たミーシャがその範疇に入るかは疑問だったが、とりあえず現場で判断するのが面倒なので連行した。俺に殺されかけたのがショックだったのかミーシャはあまり文句を言わず大人しくついてくる。
「ハリスさんに引き取って頂くしかないですね」
ギルドのカウンターでジョナサンが申し訳なさそうに言った。
「はあ?」
「いや。お気持ちは分かりますがミーシャさんは冒険者ギルドに登録がありません。ですので、保護したハリスさんに責任があります」
つい先ほどフォルク、キャリー、シルヴィアは各自家に帰っていた。ダンジョン内は非常に消耗する。初めてということもあり、別れた時はもう瞼がくっつきそうな顔をしていた。この場に残るコンバは困惑した顔をしていたし、ジーナは苦笑している。俺はきっと間抜けな面をしているだろう。
「冗談じゃねえぜ。じゃあ役所に引き取ってもらうか」
「それは無理だと思いますよ」
「なんでだよ?」
「だって、ミーシャさんがお住まいのシノハ村は伯爵領で管轄外ですから」
「なんだ。知り合いか。だったら身寄りも知ってんだろ。連絡して引き取るように言ってやってくれよ」
「いません」
「はあ?」
ジョナサンはため息をつく。
「ハリスさん。ミーシャさんは亡くなったトマスさんの奥さんなんですよ」
「誰だトマスって?」
「前に話しましたよね。全滅したパーティのアーチャーだった」
ジョナサンは部屋の隅で虚ろな目をしているミーシャを痛ましそうに見る。5歳になる息子のタックはその辺を物珍しそうにうろちょろしていた。
「じゃあ、身寄りは……」
「いません」
ジョナサンはきっぱり言う。
「ご主人の後追いをしようってぐらいですからね。頼れる人が居たらそんなことはしないでしょう。もう遅いので、とりあえず、今夜だけでもハリスさんのところで面倒見てもらえませんか? 明日にはギルド長も王都から戻るはずですから、帰り次第に相談はしてみます」
身寄りはいません、と聞いた時点でこうなることは分かっていた。そして俺に断るという選択肢が無いことも。この場に居もしないティアナの顔がちらつく。
「ああっ。くそ。仕方ねえ。おい。坊主。こっちへ来い」
聖騎士ゼークトの姿を織り込んだタペストリーを見ていたタックがとことこやってくる。
「兄貴。申し訳ないですけど、俺ももう起きてられないっす。家に帰っていいすかね?」
タックを抱き上げるように命じようとした相手は、申し訳なさそうにしながらもヨタヨタと帰っていった。
俺は仕方なくタックを抱き上げる。
「お腹空いた」
「ああ。これからすげえ旨い飯食わしてやる」
「やった。ママ!」
タックに呼びかけられるとミーシャは椅子から立ち上がる。
「今夜は俺のところに来い」
逡巡している様が手に取るように分かった。横合いから声がかかる。
「ハリスさんはこう見えて立派な方です。大丈夫ですよ」
ジョナサンが声をかけるとおずおずと近寄ってくる。解せぬ。そこまで信用しているならジョナサンに面倒見て貰えばいいんじゃねえか。心の中で毒づきながら、精一杯の愛想笑いを浮かべた。ジーナも一緒だということが分かりミーシャはあからさまに安堵の表情を浮かべる。
家に帰るとすっとんでやってきたティアナが目を丸くした。ティアナの後ろを歩いていたアホ犬が大きな欠伸をする。事情を説明するとティアナははつらつとした顔をした。
「すぐに食事のご用意をしますね」
ティアナの料理にタックは大喜びだった。
「すげえ。こんなごちそう見たことないや」
ティアナはタックの面倒を上手に見ている。小さい兄弟の世話で慣れているのだろう。食事の世話を焼きながらティアナはいつものように俺に色々と話しかけてくる。
ニックスと名付けたアホ犬のこと。今日の料理は隣のオーディさんの秘蔵のレシピによるものだということ。俺の仕事がどうだったのかを聞き、皆無事に帰ってこれたことに大仰に安堵の胸をなでおろす。ジーナが俺の指導はなかなかだったわよ、というと我が事のように喜んだ。
「そりゃ、ご主人様ですから当然です」
少しずつ食べ物を口にしていたミーシャの顔色が良くなった。聞けば3日ほど食事をしていなかったらしい。それを聞いてティアナが悲しそうな顔をしている。よく見ればミーシャは幸薄そうな顔立ちだったが目鼻は整っていた。お腹がいっぱいになったのか、タックが目をこすり始める。
「ティアナ。その子をきれいにしてやってくれ」
ミーシャの方をちらりと見るが大人しく引き受ける。
「畏まりました。さあ、おいで」
タックの手を引いて、台所の方に向かった。ニックスが起き上がるとのそのそと後ろをついていく。
俺は少し顔に血の気が差し始めたミーシャに向き直る。
「それじゃあ。悪いがあんたの事情を聞かせてもらえるかな。今後のことも考えなきゃいけねえしな」
ミーシャはぽつぽつと事情を話し始めた。
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