第151話 エピローグ

 最初は訝しそうにしているだけだった。が、すぐにティアナはこちらに向かって駆けてくる。すっかりやせ細ってしまった体がふわりと浮かび、膝上高の木柵を飛び越え俺にぶつかった。俺の胸に顔を埋めると声を殺して泣き始める。

「ティアナ」


 呼びかけると体をびくっとさせて顔を上げる。目元の涙を指で拭ってやった。感極まったようにティアナは無言で俺を見上げている。俺も名前を呼んだものの何と続けていいか迷っていた。口から出たのはしょうもない言葉だ。

「随分やせたな。まるで出会ったばかりの頃のようだ」


 大きく目を見開くとティアナは両手の握りこぶしで俺の胸を叩き始める。

「どうして、どうして、今まで……」

 俺はぐっとティアナを抱き寄せてささやく。

「心配かけて済まなかった。話せば長くなるんだ。ここは日差しが少し強すぎる」


 ティアナを近くの木陰に誘導した。強い日差しから逃れることができてほっとする。湖からの風が木をゆすりざわめかせ、ティアナの髪を優しく撫でていく。まだ恨めしそうな眼をして俺のことを見ていた。怒るのも無理のない話であるが、少々居心地が悪い。


 ポツポツと神殿でティアナと別れてからのことを話してやった。なるべく血なまぐさい部分は省略してスノードンを倒したものの大怪我をして地面に倒れてしまったことを告げる。

「ここからは俺も後から聞いたんだがな」


 俺は木の幹によりかかった。

「ニックスがやって来て竜に姿を変え、残敵を一掃したそうだ。ジーナに語ったところによると神罰で犬の姿に変えられていたらしい。反省して心が綺麗な者の側にいることで解ける呪いなんだとさ。つまりお前だ」


「私はそんなに……。それなら絶対ハリスの方です」

「いずれにせよ、神龍姫は元の姿を取り戻した。そして、死にかけていた俺の時を止めたらしい。治癒の力は無いので時間稼ぎをしてくれたんだな。コンバが神殿長を連れて来て治癒魔法をかけてくれて何とか一命はとりとめたんだ」


「それじゃあどうして?」

 ティアナが恨めしそうな顔をする。

「お前に心配をかけたことはすまないと思ってる。でも、俺は一度死ぬ必要があったんだ。俺の命を狙っている奴がいてな。その追及をかわすためには死んだと思わせるしかなかったんだよ」


 ちなみに俺が実は生きていることは、この計画の発案者であるジーナ以外にも数人が知っている。知らない代表はエイリアとチーチだ。この辺りの采配は俺が神龍姫のせいでろくに動けないうちにジーナが取り仕切っていた。エイリアにはこれを機会に目が覚めて欲しいし、チーチに関しては気が咎めなくもないが、今更どうしようもなかった。


「それは分かりましたけど、どうして私に教えてくれなかったんですか。死ぬほど悲しかったんですよ」

 俺はティアナの頬に手を伸ばす。

「本当に済まなかった。だけど、お前が本当のことを知っていたら、絶対にバレてただろう?」


「それはそうですけど」

 まだ納得のいかない顔をしていたティアナだったが気づかわしげな表情に変わる。「さっきから幹に寄りかかったままですが、具合が悪いのですか?」

「まあな。神龍姫の技の力が強すぎたのか体が本調子じゃないんだ」


 ティアナは跳び上がる。

「そんな大事なことは早く言ってください。家に入りましょう」

 細い体を俺の脇に差し入れると支えるようにしてティアナは歩き出す。

「そこまでしなくても大丈夫だ」

「いいえダメです」


 家に入れて貰い椅子に座るとティアナが別の部屋に消える。しばらくするとマグにいい香りのするお茶を入れて運んできた。懐かしい薬草茶を舌の上で転がす。

「ありがとう。これを飲んだだけでずっと具合が良くなった」

 ティアナは再会してから初めての笑顔を見せた。


「それで、ティアナにこんなに心配をかけた俺が言えた立場じゃ無いんだが……」

「なんでしょうか?」

「あの返事はまだ有効かな?」

「あの返事?」

 首を傾げるティアナに窓の外の景色を指さす。あの城館が初夏の日の下で輝いていた。


 ティアナは元気よく首を振った。

「もちろんです」

 胸をなでおろす俺にティアナはちょっと迷った顔をする。俺は恐る恐る問いかけた。


「なにか問題でもあるのか?」

 やはり愛想をつかされたのかとびくびくする俺に、ティアナは今度は首を横に振った。

「いえ。何でもないです。よく考えたら大したことじゃありませんでした」

「気になるじゃないか……」


 バタンと勢いよく家の扉が開き、さらに問い詰めようとした俺を元気のいい声が遮る。

「あれ? おっちゃん。お化けじゃねえよな? さすが路上育ちはしぶといねえ。簡単にくたばるはずは無いと思ってたんだ。魚が釣れすぎちゃったんだけど、おっちゃんもいるならちょうどいいや」

 トムが桶をティアナに手渡し、にやっと笑う。


「やっぱ、ねーちゃん。おっちゃんのことが大好きなんだな。朝とは全然顔つきが違うや」

「お姉ちゃん、リンゴみたいになっちゃった」

「照れててカワイイ」


 はやし立てる子供たちをティアナが腰に手を当てて𠮟りつける。

「大人をからかうもんじゃありません」

「わー。怒ったあ」

「逃げろー」


 それから数日して、俺とティアナは小さな礼拝所で式を挙げた。ゼークトと姫が式を挙げた場所に比べたら物置小屋も同然。子供達以外の参列者はステラさんとアリスだけ。でも全然気にならなかった。なんといってもティアナがいるだけで空気が違う。


 俺達はゼークトの結婚式で着た服で臨んでいた。使用後そのまま預けていたため、ノルンの家が焼けた際に燃えずにすんでいたものを、今日に合わせてエレオーラ姫が送ってくれている。青を基調とした服はティアナの清楚さを一層引き立てていた。まるでこの世の人ではないような錯覚にとらわれ、握った指に力を籠める。ティアナもそっと握り返してきた。


 ボックの店からはるばる取り寄せた指輪を交換する。ボックは少し被害を受けたがまだ元気に商売をしているそうだ。ヴェールを上げてティアナと向かい合う。まばゆいばかりの微笑みを浮かべる顔を見て胸が詰まった。誓いのキスをして2人が夫婦になったことを告げられる。


 子供たちの冷やかしの声とステラとアリスの祝福に送られて、小さな礼拝所を出た。2人は気を利かしたのか、今日は村の宿に泊まることになっていた。アリスは何か言いたそうだが、ステラに連れられて神妙に去っていく。我が家への道をゆっくりと歩き出した。歩を進めながら友人達からの手紙の内容を思い出す。


 手紙には、俺が死んだという偽装を完璧なものにするために、参列して欲しかったが諦めた人々からの祝いの言葉と近況が綴られていた。ジーナとコンバはノルンで冒険者を続けており、少しずつ距離を縮めてはいるようだ。まあ、コンバのあの調子じゃしばらく時間はかかるだろう。


 ゼークトは神龍王との一件が決着したものの、何か別の問題がおきて相変わらず忙しく、エレオーラ姫は無聊を囲っているらしい。タックは今のところ比較的大人しくているので心配しなくていいようだ。レッケンバッハ伯爵が指揮を執ったマールバーグの残党掃討はうまくいき、残された書類で重要な発見があったと書いてある。エレオーラ姫は最後に、いつまでも楽隠居はさせないわよと綴っていた。


 キャリーは俺が抜けた穴を埋めるために新人育成のリーダーを務めていて、滅茶苦茶大変だとこぼす。今さらながらハリスの苦労が分かったと述べ、ギルド長の人使いはえげつないと嘆き、ティアナの料理が恋しいとも書いてあった。気になるのは俺の墓が荒らされていた跡があるという報告だ。


 俺の腕に手を添えて歩くティアナの方を見ると俺を見上げて眩しそうな顔をする。 

「また会えるといいですね」

 俺と同じように知人たちに思いをはせていたらしい。

「いずれ落ち着いたらな」


 あの王都の婆あの占いの通りとなったが、一応まだ俺は生き延びている。これから会う機会もあるだろう。それにしても見事に予言を的中させたあの婆あは一体何者だろうか? ひょっとすると……。まあいい。これからの日々を精一杯生きるだけのことだ。

 

 道の向こうに俺達のこじんまりとした家が見えてきた。

「テオ。今日は早く寝ないとな」

「え~。兄ちゃん、今日もおっちゃんの冒険話聞きたい」

「いいんだよ。今日はおっちゃん達疲れてっから早く休ませてやろうぜ。今日からは姉ちゃんも俺達と一緒じゃねえし」

 トムは訳知り顔で俺の方をチラッと見る。ませガキめ。


 俺の視線に気づいたのか話題を変えた。

「そういや、昨日村の外れで見かけた怪しい人なんだったんだろうな?」

「だよねえ。この暑いのにフード目深にかぶってさ」

「細い剣吊るしてたしちょっと怖いかも」


 家の前まで来た。これから夫婦として敷居をまたぐ前に、気になっていたことを解消することにする。

「今さら何だが、俺のプロポーズがまだ有効か聞いた時の間は何だったんだ?」

「あれですか。せっかく名前で呼ぶのに慣れたのに新しい名前だと戸惑うかなって」


「まあ、そうかもな。で、なんで、大したことないって言ったんだ。あの時だったら、二人で名前選べたのに」

 とりあえず、俺は前に使った偽名の一つハンクを名乗っている。

「それはですね」


 ティアナはちょっと顔を伏せた。再び上げた顔の頬はちょっと赤い。

「どのみち、こう呼ぶのかなって思ったんです。……旦那様」

 ティアナは背伸びをして俺の頭に手を回す。旦那様か。その響きに感慨を新たにしつつティアナの腰に手を回した。


 情熱的な口づけを交わして一息入れる。俺がティアナを横抱きにして抱え上げるとティアナは大人しく俺の肩に顔を埋めた。

「もう一度、呼んで貰ってもいいかな。奥さん」

「はい。旦那様」

 声と共に漏れる息の温もりを首筋に感じながら、俺は扉を開けて2人の新たな人生の一歩を踏み出した。


~ 完 ~

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