第150話 新天地

 ♡♡♡


「雪のように白い竜が現れたそうだ」

「噂に聞く神龍姫らしい」

「マールバーグの連中をブレスで一掃したんだと」

 ノルンの町は救われたと周囲の人が大騒ぎする中で私は、ハリスが迎えに来るのを持っていた。


 早くハリスの顔が見たい。他の人には不機嫌そうに見えても私には笑っているのが分かる。ちょっとぎこちないけれど、あの笑顔は私の心を温かくしてくれた。戻ってきたらぎゅっと抱きつこう。優しい手で頭を撫でて貰ったら、この心配でおかしくなりそうな気持も落ち着くはずだ。


 衛兵さん達が来てからもなかなかハリスは戻ってこなかった。それだけじゃなくて、お姉ちゃんもコンバさんも戻ってこない。チーチさんも唇を尖らせて、遅いなあと文句を言っていた。探しに行こうかなというのをチーチさんについている騎士の人たちが必死に制止する。


 やっとお姉ちゃんとコンバさんの顔が現れたときにはほっとした。ところが、すぐにコンバさんは踵を返してどこかに行ってしまう。お姉ちゃんにハリスのことを聞こうとして目を合わせると急に不安になった。今までに見たことのない目をしている。

「あのね。ティアナ。落ち着いて」

「ハリスは? どうしたの?」


 お姉ちゃんは悲しい目でゆっくりと首を振った。

「ハリスは……亡くなったの」

 お姉ちゃんの口が開いて閉じる。何を言っているのかさっぱり分からなかった。そばにやってきたチーチさんが文句を言った。


「あのさ。そういう冗談笑えないよ。ほら、ティアナが固まっちゃってるし。ぜんぜん……。え、嘘でしょ。ちょっと本当に」

「冗談でこんなことを言うわけないでしょう。私だって言いたくないわよ、こんなこと」

「お姉ちゃん……」


 問い詰めるチーチさんにお姉ちゃんが説明する。

「スノードンはどうもハリスが倒したみたいだけど、その後で力尽きちゃったようなのよ。ハリスを倒した連中はたぶんニックスが焼き払っちゃったみたい。ほら、あれよ」


 お姉ちゃんが指さす方角を見ると白い竜が空を舞っていた。一声悲し気な声で鳴くと東の空へ向かって飛び去って行く。その様子を私はぼんやりと見ていた。

「ニックスが、ハリスの後を追っかけて行って後をつけたら、急に体が大きくなったと思うとあの姿になって、真っ赤な炎を吐きかけたのよ」


 お姉ちゃんはそれから何かを言っていたけど、私にはもう何も聞こえてこなかった。ぐらりと体が傾くとお姉ちゃんに抱きかかえられている。

「ティアナ……。ごめんね」

 心に穴が開いたような気分だった。


 それから、色々な人がやって来る。みんな辛そうな顔をして私に慰めの言葉をかけた。自分の体じゃないようなふわふわした状態で眠り目を覚ます。全部悪い夢だったという拙い希望は打ち砕かれて、目を覚まさなければ良かったのにと思った。神殿から町に出るとあちこちが燃え落ちている。私達の家も無くなっていた。


 私たちは神殿で寝泊まりする。トム達の世話をしなければと思うけど、ちっとも体が動かない。お姉ちゃん達が面倒を見てあげていた。私にも食事をするように言われたけど、何も食べたくない。お姉ちゃんに叱られて無理やり口にしようとしたけれど胃が受け付けなかった。


 王都からゼークトさん達がやってくる。それから、他の犠牲者と一緒に慌ただしくハリスの葬儀が行われた。ハリスの棺を埋めようとするときにエイリアさんが取りついて、私が蘇生します、と大騒ぎをする。泣き叫ぶエイリアさんが皆に連れられて行かれるのを私はただぼーっと見ていた。


 住む家が無くなってしまったので、私達は王都のゼークトさんの家に引き取られる。チーチさんは実家に帰っていった。エルが申し訳なさそうに言う。

「悪いんだけど、ここにあの子達を置いておかない方がいいと思うの。それにあなたのことでマルホンド師が騒いでる。バーデンに移って貰っていい?」


 私はどうでも良いと答える。エルが新婚旅行で滞在した城館の近くの家に移り住んだ。城館を目にすると東屋でのことが思い出されて胸が張り裂けそうになる。しばらくはお姉ちゃんとステラさんが一緒に住んでくれた。そのうちに少しずつ食事もできるようになってくる。


「お姉ちゃん。ステラ様。もう大丈夫です」

「本当に? 無理をしているんじゃないの?」

「こんなに痩せちゃってて心配だよ」

「はい。あの子達のお世話をちゃんとしないとハリスに叱られます」


 私を見る2人はいたましそうな目をしている。本当はもう生きていたくなかった。トム達から話を聞いて、ハリスに買われなければ、とっくの昔に死んでいたかもしれないことを私は知っている。だから、私はハリスに貰った命を大事にしなくちゃいけない。少なくとも、後を託されたトム達が大人になるまでは。


 4人の子供のうちの唯一の女の子ミリーに縫い物を教えると、あっという間に私よりも上手になった。それからは縫い物はミリーにお願いするようになる。ハリスが居なくなった今、針を手にするのは苦痛でしかなかった。あれだけ無事を祈って縫い上げたのに、ハリスを守るのに役に立たなかったことがチクチクと胸を刺す。


 これからは一人でやっていきたいとお願いした。ステラ様は口にしないけど、残してきたお店が気がかりなのは分かっていたし、お姉ちゃんが済まなそうにしているのを見るのも辛い。近所の人たちが何くれと世話をしてくれるので、私一人でもなんとかやっていけそうだった。


「近いうちにまた様子を見に来るからね。ちゃんと食べるんだよ」

「ティアナ。今に良いことがきっとあるから早まったことしちゃだめよ」

 ステラ様は伯爵様が遣わした馬車に乗り、お姉ちゃんはコンバさんが迎えに来て、旅立っていった。


 子供たちの世話をして、家を片付け、夜は子供達と一緒に眠る。一人で眠れないのは私の方だった。子供達に囲まれながら、とても寂しい。繕う途中で1枚だけ持ち出せたハリスの肌着を抱きしめて眠りにつく。少しずつ匂いが薄くなっていくのが悲しく不安だった。


 お姉ちゃん達が居なくなってから数日経つ。トム達は夕飯楽しみにしてろよな、と言って湖に釣りに出かけた。天気がいいのでリネンも外して洗濯する。ピンと張った紐にかけて干した。この天気ならすぐに乾くだろう。ふと首を巡らすと、敷地の境界の木柵の所に見慣れない格好の人が立っている。額に手をかざすが逆光で顔は見えなかった。

 

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