第149話 力尽きて

 周囲を見回し足元に転がっていた小ぶりの樽を拾い上げるとひどく軽い。タガが緩んでが中身がこぼれてしまったようだ。ただ見ただけでは空になっていることは分からない。小脇に抱えて広場の様子を伺うとスノードンが手下を怒鳴りつけているところだった。また何か新しいことを思いついたらしい。手下はすっ飛んで消えた。


 ふらりと裏町から広場へと足を踏み入れる。広場に面した店はひどい有様だった。略奪を免れた店はほぼ無い。戸口が打ち壊され商品が散乱していた。俺は酒樽を抱えたまま、スノードンに向かって何気ないふうを装って歩いていく。傍目にはトロい奴がなんとか戦利品を手にして献上しに来たように見えるはずだ。


 光り物を積んであるところに向かおうとすると横柄な声がかかった。

「違う。そっちじゃない。酒はこっちだ」

 スノードンの取り巻きが別の山を示す。樽の重みに耐えるふりをしながら、よろよろとした足取りでそちらに向かう。


「いや。その樽をこっちにもってこい」

 スノードンが喚いた。俺は最初に指示をした奴の方を見ながら立ち止まる。一体どっちの指示に従ったらいいのか分からないというようにキョロキョロした。

「スノードン様が言うんだ。指示に従え」


 自分の発言は棚に上げて、取り巻きの一人もスノードンの方に向かうように言う。見ればスノードンの手にする杯はもう空になっていた。ほとんど水のごとく飲み干している。飲みすぎは体に良くないぜ。ヨタヨタとスノードンの方に酒樽を担いで近寄っていった。


 取り巻きの一人が近寄って来る。

「よし。樽を渡すんだ」

 スノードンとの距離を目測した。10歩ほど。鎧を着こんでいるが、酒を飲むために兜は被っていない。俺は肩に担いでいた樽を取り巻きの方に放り投げると同時に駆け出した。


 同時に抜剣してスノードンに切りつける。さすが仮にも王を名乗るだけの男は違った。手にしていた杯で俺の斬撃を受けようとする。スノードンにとって不幸だったのは陶器だったということ。ほとんど俺の斬撃を減殺することは出来なかった。杯を持つために籠手を外していた指が切り離され、粉々になった杯と共に地面に落ちる。


「てめえ。なにもんだ?」

 指を切り飛ばされたショックに耐えながらスノードンが歯の隙間から言葉を押し出す。尋常に立ち会っていたら俺も苦戦は免れなかっただろう。力もあるし体も大きい。ただ、不意に切りつけられて冷静さを欠いていた。


 ふんぞり返っているために身を起こすことができないスノードンの脚に片足を乗せ、振りかぶったショートソードを正面から振り下ろす。刃は頭蓋骨の合わせ目に沿って深々と刺さった。唖然とするスノードンの目から光が失われる。意識を取り巻き連中の方に向け、抜き取った剣をはらって血のりを飛ばした。


 とっさのことが理解できない連中の表情がゆっくりと変わる。7割が恐怖で、残りが怒り。間合いを詰めて戦意を失っていない男を狙って剣を振るう。2人までは先手が取れたが、残りは剣を抜いた。ちと人数が多い。俺は心を折ることにする。

「なあ。ボスは死んだんだ。忠義立てしても褒美は出ねえぜ。さっさとずらかった方がいいんじゃねえか?」


 いつでも切り捨てられるんだぜ、という宣言に取り巻き連中は浮足立った。数人が逃げ出し、これで離脱のチャンスが生まれるかとの希望を打ち砕く声がかかる。

「それで勝ったつもりか。このコソ泥野郎!」

 記憶にある声の方を見ると金属鎧に身を包んだ男が突っ込んでくる。


 面甲を降ろしているので顔は見えないが、たぶんゾーイだろう。振り下ろしてきた長剣を払ってむき出しの腕に一撃を加えるが、甲高い金属音がして弾かれた。

「そんな貧弱な剣で俺は倒せん」

 記憶にあるものよりは多少はマシな剣さばきでゾーイは俺に迫る。


「ご苦労なこった。こんな連中と組むとは落ちぶれたもんだな。ゾーイ。てめえの叔父さん向こうで死んでたぜ。自分が何をやらかしたのか分かってんのか?」

「うるさい。うるさい。俺を見捨てた奴は叔父でもなんでもない。俺が手を下す手間を省けた。あとはハリス、貴様をぶっ殺す」


 俺はゾーイだけじゃなく、側近連中の様子を探るためにそちらに視線を向ける。その動きは失敗だった。ゾーイが声を張り上げる。

「このクソ野郎を殺すんだ。敵を討てば後継者選びで有利だぞ。俺が引き付けるから囲んで始末しろ」


 かさにかかってゾーイは剣を振り回した。クセの強いその剣さばきをかわし受けるのはそれほど難しくない。ただ、意識の大半はそちらに持っていかれた。背中に衝撃が走るとともに鈍い痛みを感じる。ゾーイの攻撃をよけながら、後ろに手を回して手探りで刺さっているものを渾身の力で抜いた。


 そのまま気配だけでその投げ斧を後ろに投擲する。断末魔の悲鳴が上がった。俺に投げてきた奴かどうかは分からないが一人は潰せたようだ。その隙を狙ってゾーイが大きく踏み込んでくる。背中にズキリと痛みが走り、防御を無視したその一撃を受けたショートソードが手から弾かれてしまった。


 ゾーイが態勢を崩した隙に肩のナイフを抜いて左斜め後ろから切りかかろうとする男の喉を狙って投げる。これで、残りは5人か。もう1本残ったナイフを抜いて、荒い息を吐き出す。なんとか逃げられないかと探ったが無駄だった。相手は俺を均等に包囲している。背中から出血が続いているのを感じた。


「もう終わりのようだな」

 勝ち誇ったゾーイが体重を乗せた攻撃を繰り出してくる。いつもなら苦労せずによけることができる大振りの剣だったが、必死になってかわす必要があった。ついにゾーイの剣が俺の胴をとらえる。合わせて飛んだが、もう巧く着地するだけの体力が残っていなかった。


 無様に地面に倒れこむ。今の衝撃で背中の傷が更に開いたらしい。もう起き上がることはおろか、腕をあげることすらできなかった。ガシャンガシャンと音を響かせてやってきたゾーイが俺をまたいで立つ。余裕をかまして面甲を上げれば、手首のスナップでナイフを投げようと思っていたがそれも叶わなそうだった。


 急速に意識が遠のいていく中で、ゾーイが何か言っているのが聞こえる。どこか遠くで話しているようだった。

「あばよ」

 長剣を振りかぶるゾーイの姿を瞼が隠す。意識を失う前に瞼の裏に浮かんだのはティアナの顔だった。


 


 

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