第78話 接待の準備
「私だけ置いてきぼりにして大トンネルを通ったんですね。それはそれは貴重な体験ができて良かったですわ。あのデカブツですら連れて行ったのに」
プラチナブロンドの下で目が険悪な光を放っていた。カウンターの向こうのジョナサンを見るが、キャリーが視線を向けると慌てて裏に引っ込む。
「悪かったとは思ってるけど、ちょうどダンジョンに潜っていたし仕方ないだろう?」
「その日の夜には戻る予定だったのはリーダーもご存じでしょう?」
「いや。そうだけどさ。ゼークトの奴がやたら急いでいて、すぐに出発するって言い張るから」
「あら。他人のせいにするんですね」
気持ちは分かるが少々しつこい。
「やっぱり私のことを疎んじてるんですね。心の中ではまだ私のしたことを許してないんでしょう?」
「そんなことはないぞ。もう気にしちゃいないし、とても信頼してる」
「へええ。口ではなんとでも言えますもんね。強敵との死闘、陛下が関心をもつ事件の捜査、それに評判の店での午餐。羨ましいですわ」
「なんで知ってるんだ?」
「昨日買い物について来ていたジーナさんから伺いました」
長い間家を空けていたのでその対応をしている間にティアナとジーナが買い物に出かけたのだが、時間がかかると思っていたらそういうことだったのか。
「まあ、過ぎたことは仕方ないですけど」
「けど?」
キャリーさんはため息をついた。
「せめてのお詫びにできることをしようとかいうのはありませんの?」
俺は頭を捻る。せめてできること? ああ、そういうことか。
「ステラ自慢の料理のいくつかをティアナが習ってきてるんだ。お詫びに夕食でもいかがです?」
キャリーはほんの少しだけ表情を柔らかくする。
「どうしてもというなら、そうですわね。シルヴィアさんもお誘いしていいかしら?」
「構わないが……」
「それじゃあ、支度もあるでしょうから、明日の夜にお邪魔します。では」
キャリーさんはさっさとギルドの建物から出て行った。
ジョナサンが奥から顔を出す。
「いやあ。キャリーさん迫力がありますね」
「よくも逃げやがったな。口添えしてくれても良かったろうに」
「無理ですよ。ハリスさんが出かけたと知った後は物凄かったんですから」
「そうか。そりゃ大変だったな」
「そうですよ。柳眉を逆立てて、あんたがこんな時期にダンジョン潜りのスケジュールを組んだのが悪いとか言いだすんですよ」
「八つ当たりもいいところだな」
「ええ。キャリーさん美人なので怒ると迫力が……」
「ああ。参ったな」
「シノーブさんも随分と気に入ったみたいですね。パーティに加入するように口説いてましたよ」
オーリスが抜けた今、このギルドのトップのパーティから誘いがかかったか。
「だったらキャリーさんもあっちに移った方がいいんじゃねえか」
「さあ。それが私はハリス隊のメンバーだからって頑ななんですよね。義理堅いというかなんというか」
「それなのに置いていかれたんじゃあ……」
「あれだけ怒っても仕方ないですよねえ。まあ、とりあえず明日は精いっぱい接待してください。そうそう、役場からハリスさんへってお金を預かってます。先日処刑した流人の報奨金と押収した長剣の売価分だそうです」
ジョナサンが差し出した袋には銀貨が結構な数入っていた。数えると15枚もある。ジョナサンは指を2本立てた。
「これぐらいは材料費に使ってもいいんじゃないですか?」
「なんで俺がそこまでしなきゃいけないんだよ」
「お願いしますよ」
ギルドから家に帰りティアナと一緒に買い物に出かけ材料をそろえた。
「任せてください。ステラ様に折角教えて頂いた料理ですから、完璧に再現して見せます」
ティアナはエプロンをつけ腕まくりをすると台所に入って行った。
ジーナは魔法を教えに、タックは近所の子供たちと遊びに出かけている。友達ができたのは結構なことだ。ミーシャはもちろんコウモリ亭で働いており俺一人。賑やかなのもいいが、たまにはこうやってのんびりするのも悪くない。棚から蒸留酒の瓶を取り出してグラスに注ぎソファに身を沈めた。
そこへなんとも言えないような酷い臭いが漂ってくる。俺はグラスを手にしたまま、その発生源と思われる台所に足を踏み入れた。さらに濃厚な臭いの塊が俺の鼻を刺激する。
「おい。何やってんだ?」
ティアナが振り返り唇を引き結ぶ。視線が俺の右手に向かっていた。
「ご主人様が気に入っていた内臓と豆の煮込みの下ごしらえです」
「それは食い物の臭いじゃないと思うんだが」
「だから下茹でして臭いを消すんです。ちょうどいいところにいらっしゃいました」
ティアナはスタスタとやって来ると俺のグラスを取り上げる。
「臭い消しにお酒が必要だったんです。こちら頂きますね」
鍋の中身を一度ざるにあけ、ぐらぐらと沸いている別の鍋のところにいく。ざるの中身とグラスの酒を入れた。そして刻んだ野菜の茎も投入する。苦みがあって独特の臭いもある野菜だ。タックは残そうとするし、俺もあまり好きではない。
気が付くと先ほどまでの悪臭が随分と和らいでいた。ほとんど気にならなくなっている。鍋をかき回しているティアナに近づいた。
「あの匂いはどうなったんだ?」
「臭いの強いもの同士を一緒にすることで消えるみたいです」
「へえ。まるで魔法みたいだな」
「そうですね。不思議ですね」
俺はグラスを手にして居間に戻ろうとしたが、首筋にささる視線が痛い。
「なんか用か?」
「あの。明日もお客様が見えて飲まれるのですよね?」
「そのつもりだが」
「でしたら、今日はやめておかれた方がいいのではないでしょうか?」
俺は思わずむっとする。
酒ぐらい自由に飲ませろという言葉が喉まで出かかったが、気づかわし気なティアナの表情を見て思い直した。余計なお世話だが俺のことを心配しての弁なのは間違いない。蜜のように甘い言葉しか言わない者は信用するな。爺さんもそう言っていた。俺はグラスを置いて出て行く。
ソファでぼんやりしているとマグを持ったティアナがやってきた。
「喉が渇いているならこちらをどうぞ」
ほほ笑むティアナから受け取ったマグの中には、湯気をあげる薬草茶が入っている。なんだかお袋ができたような気分だった。
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