第130話 出発準備

 家に帰る前にコウモリ亭に寄った。

「あの実は……」

 ミーシャがもじもじしている。俺が王都まで出かけなくてはいけないということを告げるとそれだけ言って顔を伏せた。


 開店前の準備で忙しいだろうにと思う俺の前で小さくなっている。家賃もちゃんと払ってもらっていたし、思い当たる節が無い。

「ハリスさんにはとてもよくして頂いているのに、こんな話を急にするのは心苦しいです。アーガスさんにも申し訳ないのですが……」


 厨房の中で忙しそうにしている店主のアーガスの姿は見えない。

「いいから話してみなよ」

「はい。実は求婚されましてお受けしようかと……」

「そいつはめでたいが、何も今言わなくてもいいんじゃないか?」


「ゼークトさんのお屋敷の庭師の方でして、この機会にカンヴィウムに移り住まないかとのことなんです」

 正直驚いた。いつの間にそんな風になっていたんだ?

「ですので、できればハリスさんとご一緒に行けたらと思いまして」

 俺はただ頷くことしかできなかった。


 家に帰って、王都に出かけることとミーシャさんのことを告げる。

「大した女ね」

「おとなしそうに見えてえっぐいわあ」

 ティアナを除く女性陣の反応は冷たい。


「そう言うなよ。ガキ抱えて女手一つで生きていくのは大変なんだ」

「女性と子供に甘いんだから。まあ、あなたが納得しているなら私が口を出す話じゃないわね。ところで、何しに王都に出かけるの?」

「ゼークトの結婚式に出席しろだと」

「え~。あたいも参列したい」


 チーチがくっついて来ると言い張ったので、皆で行くことにした。この家にジーナ一人で残していくのは危険すぎる。俺への害意のとばっちりを受けさせるわけにはいかない。ジーナが魔法や文字を教えている相手と調整するので時間が欲しいと言うので、ついでにコンバにも声をかけるように頼んだ。


 俺は神殿に向かう。予定より長く新人育成隊がお休みになることを伝えないわけにはいかなかった。神殿を訪れ用向きを告げるとなぜか神殿長の部屋に通される。この神殿長は治癒魔法の腕は確からしいのだが保身をはかりがちだ。渋い顔をした神殿長にぐちぐちと苦情を言われる。要はエイリアをたぶらかすような真似はやめろということだった。


「俺にそんなつもりはない」

「しかし、エイリアはハリス殿に心を動かされているのは間違いない。あの娘は王都の神殿から預かっているのだ。修行に身が入らなくなると困るのだよ」

「それは本人に言って貰えませんかね」


「それが出来ぬからこうやって話をしているのだ」

「俺は一介の冒険者ですよ。お偉い神殿長様が口にできないことを言えるわけが無いでしょう」

 憮然としていた神殿長はそれでも頼みに応じてエイリアを呼んだ。


「あら。ハリスさん。わざわざお出でいただけるとは何か御用ですか?」

 用向きを告げるとエイリアは神殿長に向き直る。

「私も同行してよろしいですわね?」

「うーむ」


 神殿長はますます口をゆがめた。

「その間のお務めはいかがされるのです? この神殿にこられたのは組織運営を学ぶためのはずです。神官としての技を振るうのもいいですが、そちらにも精を出していただかないと困ります」


 エイリアは無表情で聞いていた。

「それではハリスさん。お気をつけて」

 大人しく神殿長と俺に頭を下げてエイリアは部屋を退出する。ほっとしながら俺も辞去した。


 エイリアに知らせたので、キャリーにも知らせないわけにはいかない。ギルドに顔を出すとキャリーは裏の広場で剣の稽古をしているとジョナサンに聞いた。広場に行くと汗を拭きながら俺に近づいてくる。

「ハリス。王都に出かけるんだって?」

「なんでそれを?」


「さっき聞いたわ。それを言いに来てくれたの?」

「そのつもりだったが必要なかったみたいだな」

「わざわざ悪いわね。そうそう。大変だったわね。訓練生が……」

 キャリーは声を潜める。


「スノードンの腹心だったらしいわね」

「そんなことまでサマードから聞いたのか?」

 キャリーは片方の口角を上げる。

「まさか。私にそんなことまで話すわけはないでしょ。別の筋からよ」


 なるほどね。ニコラスの尋問は荒鷲騎士団も噛んでいるわけか。そして、そこにはキャリー相手にほいほいと情報を渡してしまう男がいると。

「それで、いつ王都に出かけるの?」

「ジーナの関係者回りが終わったらだから、明日かな」


「そう。分かったわ。準備をしておくわね」

「準備って、キャリーさんも王都に?」

「ええ。ハリスがどんな顔をして参列するのか見ものじゃない。見逃す手はないわ」

「言いたかないけど、王女様の式だぜ。簡単に潜り込めるとは思えないがな」


 キャリーは顎に手を当てる。少し考えていたが、お気楽に言った。

「まあ、その辺はなんとかするわよ」

 俺もそこまで鈍くはない。王都までの護衛をしようという申し出だ。たぶん、何もないとは思うが、キャリーがいると心強い。礼を言って別れた。


 翌日、家の前に馬車が3台もやってくる。チーチの大荷物やミーシャさんの私物を積む荷馬車と借り上げた乗合馬車はいいとして、貴人を護衛する馬車が来た理由が分からない。中からサマードが降りてきたときは驚いた。ティアナが丁寧に頭を下げると優しい笑みを浮かべる。


「こっちの方が少しは具合が悪くなりにくいわ」

 ティアナのやつ、この間ギルド長と立ち話をしたと言っていたが、馬車が苦手ということまでしゃべったのか。サマードが俺に近づいてきて耳打ちする。

「代金は新人指導料から引いておくから」


 勘弁してくれよ。こんな立派な馬車の借り上げ代金いくらするのか分からないぞ。サマードが笑みを大きくする。

「冗談よ。王女殿下から頼まれてたの」

 まったく。笑えない冗談はやめてくれ。


 コンバと荷物を積んでいるとキャリーがやって来る。さて、出かけようというところに息せき切ってやってくる女性が一人。エイリアだった。

「遅れて申し訳ありません」

「あれ? 神殿長にノルンに残るように言われたのでは?」


「ええ。そんなことを言ってましたわね」

「それじゃあ、どうして?」

「私は従うとは言ってませんわ」

 神殿長の渋い顔が浮かびそうになったが、頭を振って追いやった。もう知らん。

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