第126話 賑やかな食事

 ♡♡♡


 タックが無言で空の器を差し出した。私が立って受け取ろうとするとご主人様が低い声を出す。

「おい。タック」

 ご主人様の右眉が上がっていた。傷跡も一緒に形が歪んでいる。


「お姉ちゃん……お替りお願いします」

 タックが首をすくめて言うとご主人様の顔は元に戻った。塩漬け肉と豆入りの麦がゆをよそってタックに渡してやる。

「ありがとう」


 タックは匙を持つと口に運ぶ。

「やっぱりうめえ」

 そして、はっとジーナお姉ちゃんの方を見る。お姉ちゃんはご主人様の器にお酒を注いでいて気づいていない。


 ご主人様はお酒に口を付ける前に私の方をチラッと見た。ご主人様の唇がお酒に濡れて光る。私はあの夜の感触を思い出して頬が熱くなるの感じた。長いキスの後にご主人様が私の首筋に顔を埋めて……ひげがチクチクするのがくすぐったくて身をよじったら、ご主人様がはっと体を離して詫びを言ったのだった。


 それ以来、ご主人様は同じことをしてこようとはしない。別に嫌だったわけではないのだけれど、わざわざ伝えるのも催促しているように受け取られそうで言えないままだった。おでこに口づけしたり、されたりしたことはあったけれど、それとは違う感覚は何と言ったらいいか分からない。


 エルはキスをすると胸のあたりが暖かくなると言っていた。突然のことで驚いてしまってよく分からなかったけれど、胸がドキドキしたのだけは覚えている。ご主人様がどうして急にあんなことをしたのかの理由も分からなかった。


 ご主人様は急に何かを思い出した表情になってキャリーさんに近づくと何か耳打ちをする。キャリーさんは驚いた表情をするとクスクスと笑い出した。一体何を話したのだろう。ちょっと気になる。

「ちょっと、ハリス。何こそこそ話してるのよ?」


「ああ。個人的な話だ。大した話じゃねえよ」

「ハリスが恨みを買いそうって話」

 キャリーさんが楽しそうに言う。ご主人様を恨む人がいる?

「ハリスさん。それはうちの弟のことじゃないですよね?」

 エイリア様が心配そうに聞いた。どういうことなのかさっぱり分からない。


「もう。真面目な話をしてたんだから逸らさないでよね」

 お姉ちゃんが少し怒った声を出した。

「そうっす。ちゃんと組み分けを決めた方がいいと思うっす」

 コンバさんが熱心に頷く。


「とは言ってもな。俺が勝手に決めるわけにもいかんだろ。シノーブの考えもあるだろうし」

「とりあえずハリスの希望をギルド長に伝えて調整してもらえばいいじゃない。そうしないと決まらないでしょ」


 ご主人様は腕組みをした。

「じゃあ、とりあえず希望を聞くぞ」

「それは意味ないわよ。希望だったらみんなハリス隊なんだから。一応挙手してみてもらう? ハリス隊がいい人?」


 エイリア様、お姉ちゃん、キャリーさんがさっと手を挙げる。遅れてコンバさんとシルヴィアさんが続いた。

「ほらね?」

 お姉ちゃんが半目になる。


「だああ。ますます選びにくいじゃねえか。ギルド長が言いだした新人育成のパーティなんだから、2つの組分けはもうギルド長に決めて貰おうぜ」

 ご主人様はゴクリとお酒を飲んだ。エイリア様が微笑む。

「ハリスさん。私はハリス隊しか無いと思いますけど。シノーブさんのところには神官がいるでしょう? 新人パーティに癒し手は必須だと思います」


「バラス討伐者を均等に割り振る条件で前衛のバランスを考えたら私もハリス隊で決まりじゃないかしら?」

 キャリーさんが提案する。お姉ちゃんは不服そうな顔をした。

「別に浅い層の探索なら強力な前衛は要らないでしょ。なんなら私の魔法で片を付けてもいいんだし」


 ご主人様は渋い顔をしていた。

「ちょっと考えさせてくれ。これ以上考え事をしていたら、せっかくの料理の味が分からなくなりそうだ」

 ご主人様が魚と野菜のスープに入っているものをスプーンですくいあげ、口に入れ飲み下すと満足そうに大きく息を吐く。ああ、良かった。


 エイリア様が自分で作ってきた料理をご主人様に勧める。表面を照り焼きにした何かのお肉をご主人様が咀嚼した。

「これも美味しいな」

 感想を聞いてエイリア様は嬉しそうにさらに料理をご主人様の皿に盛る。ご主人様は私をチラリと見た。


 あらかたの料理が無くなった頃、お腹がいっぱいになったタックがうとうとし始める。ご主人様がタックを抱えてベッドに運んで行った。それを合図にしたかのようにお客さんが帰っていく。後片付けをしていたら、見送りをしていたご主人様が台所に汚れた皿や酒杯を運んできて洗い始めた。


「あの。私がやりますから」

 確かに食器の量は多いけれど、チーチやリュー達もいるし、それほど大変ではない。

「うん。まあ、でもその方が早いだろう」


 正直に言えば、ご主人様の洗い方はちょっと雑だ。でも、こうやって一緒に横で作業ができるのは楽しい。ご主人様から受け取った皿を布で拭って片付けていった。拭き終わった布が汚れたので洗っているとご主人様が覗き込んでくる。

「なんか洗い方が悪かったようだな。ひょっとしてかえって手間だったか?」

「そんなことはないです」


 繕いものをしようかと思っていたけれど、ご主人様が寝ると言うので、私も休むことにした。乗合馬車は乗ると疲れる。イヤリングをしまっているとご主人様にチーチさんがぎゅっと抱きついていた。

「おい。何をするんだ?」


「いいじゃない。ずっとティアナがハリスのことを独り占めしてたんだから。あたいもたまにはハリスにくっつきたいし」

「よせ。離れろ」

「ちょっと興奮してきちゃった?」


 私が近づいていくとチーチさんはご主人様から離れる。私も抱きつきたいけど恥ずかしい。

「ふふーん。ハリスも辛いよねえ。あたいは3人でもいい……」

 ご主人様がこつんと軽く拳骨をチーチさんの頭に当てる。

「下らねえこと言ってないで寝るぞ」


 チーチさんはベッドに転がると両手を広げる。ご主人様は奥まで行かないで手前側に横になった。私の寝る場所がなさそうだ。逡巡していると上半身を起こしたご主人様が私の手をつかんで引き倒す。ご主人様に抱きかかえられ毛布が掛けられた。すぐにチーチさんがご主人様ごと抱きついてくる。やっぱり疲れていたのか、たちまち目蓋が重くなった。

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