第8話 一難去って
「随分と貫禄がついたじゃない」
「はあ。それはどうも」
「嘘よ。その髭、酷いものだわね。奥さんは何も言わないの?」
「その姿も似合います、だそうで」
カウンターの横に座るサマードの婆さんが含み笑いをする。
ギルド長会議が無事にとは言わないまでも何とか終わり、ベテランが新人に訓戒を垂れるという名目で俺はこじゃれた酒場に拉致されていた。
公式の場で面会する時点でもう俺の精神力の限界に近いのに、サシ飲みとか本気で勘弁してほしい。
そんな俺の気持ちなど知らぬ顔で婆さんは楽しそうだった。
「あら、まさか惚気話になるとは思わなかったわ。ご馳走様。奥さんはお元気?」
「お陰様で元気ですよ」
「私も会いたかったけど、それは仕方ないわね」
「まあ、そのうち遊びに来てください。ティアナも喜びます」
「あなたから招待されるようになるとは長生きをしてみるものだわ。まあ、そのうちにね」
まあ、ティアナはきっと歓迎するだろう。
俺は正直なところそこまでの感情は持っていないが、口に出す必要はないという分別が働くぐらいには年を取った。
俺は喉を湿らせるために1口酒を飲む。
しかし、残念なことに味がよく分からなかった。
「ギルド長の仕事はどう?」
「こんなに大変だとは思いませんでしたよ」
「あら、そう? それほどでもないと思うけど。まあ、私には優秀な受付係がいるからね」
「ジョナサンの凄さも今さらながら感じています」
「彼までは派遣できないわよ」
「いえ、あの3人を手放して頂いただけで感謝してます。それで、ベテランのギルド長からの訓戒というのは?」
「無いわよ、そんなもの。あまり長くギルド長をしてもらっても困るから。私はレッケンバッハ伯爵ほど甘くはないわ」
それは良く存じ上げていますが。
「お友達のグラハム伯爵もなんだかんだ言いながらあなたに強くは出ないものね」
「そりゃ、人格高潔な聖騎士さまですから」
おっかない婆さんが腕を伸ばしてきて俺の肩を抱く。
「さて、後世にはどう伝わるのか考えなさい。聖騎士ゼークトは良き友を持ったとなるのか、斥候兵ハリスは良き友を持ったと残るのか」
「そんなもの、ゼークトに決まってると思いますが」
「あまりのんびりしていないことね。今の名前でいられるのも長くはないわよ」
おっと、いきなり風向きが変わったぜ。
婆さんの外見も声音も先ほどまでと変わらないが何かが違う。
サマードはグラスに口をつけてそれきり黙った。
これ以上は語るつもりはないということか。
俺がハンクなんて名乗っているのは、スミノフ公爵に命を狙われているからだ。
まあ、その偽装は剥がれかけているのだが、今はスミノフ公爵は自分の身を守るのに忙しいこともあり一応はまだ効果を持っている。
そうか。
今後の展開としては、この場合は3パターンあるわけか。
公爵が追及をかわして俺に構う余裕ができるか、かわしきれずに権力を失うか。
それともう1つ。
どれにしても俺の仮面と偽名は意味が無くなる。
婆さんの横顔の線の固さからすると最悪の事態もあるということだろう。
「それはそうとして俺に何を期待しているんです?」
「さあ。自分で考えなさい。もう子供じゃ無いんだから」
厳しい追及が終わったので、それから少し肩の凝らない話をする。
話題は当然のことながら共通の知人のこととなった。
「いい男だったわよ」
チラと横を見てその面に浮かぶ表情に俺はひっくり返りそうになる。
「俺の目から見てもそうでしたね」
2人でしんみりとした。
「そういう訳だから、私はしつこいわよ」
と、言われましてもねえ。
黙ってグラスの酒を舐める。
「それと、あの子を悲しませたら許さないわよ」
「それじゃ、片田舎でひっそり暮らさせてもらえませんかね。妻は俺の職や立場にはこだわらないんですが」
「それはそれ、これはこれ。両方満たせばいいだけよ」
言うのは簡単なんですけどね。
お開きにすると支払いは婆さんがしてくれた。
隠れ家っぽい店だと感じていたが、酒代が結構な値段になっている。
普段は高級な酒には縁があまりないので分からなかったがそれなりに高い酒だったようだ。
ああ、もったいねえ。
もっと味わって飲めば良かったと思っても後の祭である。
俺の分の支払いをしようとすると断られた。
「そのお金で奥さんにお土産でも買って帰ってあげなさい」
サマード婆さんに礼を言って別れ、宿に引き上げようと昔の記憶を頼りに裏道を抜けると歓楽街の側に出る。
おっとここは。
見台を広げた老婆が壁のへこみのところにぽつねんと座っていた。
往来があるのに誰も気に留めていない。
俺が吸い寄せられるように近づいていくと老婆は顔を上げた。
「おや、大笑いするんじゃなかったのかね?」
「まあ、あの時は友人と喧嘩をしてカリカリしていたせいというか……、申し訳ありませんでした」
「ふん。まあ、良いわい」
幸いなことに老婆からは悪意の放射はない。
しかし、サマードの婆さんに続いて、また婆さんか。
俺って実は年上の受けが良かったんだ。
下らないことを考えつつ次の言葉を探す。
「色々とお伺いしたいことはあるんですが、お礼を言うだけにしておきます。どうも数々の警告ありがとうございました」
「ほう。また未来を占って欲しいと言うかと思ったがの」
「小心者なので、もし明日死ぬと言われたら何も手につかなくなっちまいます」
「そうかえ。多少は運命は変えられると悟ったと思ったんじゃがな。まあ、では何も言うまい」
老婆はニヤリと笑った。
「と思ったが、これだけは言わせてもらおうか。お主が家に帰ると間男に驚嘆することになるぞ」
「はあっ?」
予想外のことに大声を上げてしまう。
「どうかしましたか?」
首を右に向ければ巡回中の騎士2人が不審そうにしていた。
「壁に向かって奇声を発していましたが」
顔を壁の窪みの方に戻すと老婆と見台が消えていく。
消え去る瞬間、老婆が含み笑いをしたような気がした。
もう1度騎士たちの方を振り返る。
ますます俺に対する疑念を増している姿を発見しただけだった。
そうなんじゃないかなあ、と思っていた事実を確認する。
占い師の老婆は俺にしか見えていなかったらしい。
こりゃ懸念した通り本物の何かということじゃねえか。
「酩酊によるせん妄のようですね。危害を加えることはなさそうですが、一応保護しておきますか?」
「そうだなあ」
騎士が相談している声が耳に入る。
まずい。
とりあえず今は目の前の危機に対処しなくては。
「あ、えーと」
今頃になって酔いが回ったのか思考がまとまらない。
「それじゃ、ちょっと一緒に来てもらおうか?」
騎士の1人が俺の腕を取る。
必死に考えた。
何とか上手い言い訳を考えないとミコネン商会のヨハン誘拐事件のときに入れられたような酷い牢で1晩を過ごすことになってしまう。
しかし、あのときのことを思い出すだけで、言い訳は何も思いつかなかった。
###
作者の新巻です。
コミカライズ第3巻発売記念の更新はここまでです。
キリの悪いところで申し訳ありません。
なお、しつこいですが本日発売です。
それから、カクヨムコン10向けに別作品を公開してますので、よろしければそちらもお目通しを賜ればと存じます。
『糸目の衛士隊長はお人好し』
次の更新予定
2025年1月1日 12:00
酔っぱらい盗賊、奴隷の少女を買う 新巻へもん @shakesama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。酔っぱらい盗賊、奴隷の少女を買うの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます