第73話 立ち話

 俺はティアナの顔をみつめた。プリプリと怒っている。

「お前。自分が意地悪されたときは怒らないのにどうしてだ?」

「私はいいんです。でも、ご主人様はダメです」

「良く分かんねえよ」


 ティアナはぶつくさと何か言っていた。

「とりあえず通りは寒いし宿に帰るぞ」

 俺に手を引かれてティアナは我に返ったのか、ばつの悪そうな顔をしている。なんだかティアナが猫を被っているんじゃないかと先日から疑っていたのがどうでも良くなった。小さな手はちょっと冷たい。手袋も買ってやらないとな。


 ティアナが馬小屋に寄りたいと言った。そこに置いているニックスの相手を少ししてやってから、酒場の隅をのぞくとジーナが手酌でつまらなさそうにしている。

「お姉ちゃん」

 ティアナが声をかけるとニコリと笑った。

「独りでどうした? コンバのやつは?」


 ジーナはグラスをもてあそぶ。

「ゼークトさんが戻ってきたら、稽古をつけてくれって頼みこんでさ。二人で出かけちゃた。それで私は手持無沙汰ってわけ。そうそう。あなた宛てに伝言があるわ。伯爵さまが呼んでるって」


 自然と渋い顔になった。

「なによ。その顔。そこまで嫌そうな顔しなくてもいいじゃない。それじゃ、ちゃんと伝言したからね。なるべく早く行った方がいいんじゃない? 偉い人って待たされるのが嫌なものよ」


「疲れてるんだが仕方ねえな。ティアナの面倒みてて貰っていいか?」

「そうね。しばらくしてなかったから文字の勉強しようか」

「はい。お願いします」

 ティアナは荷物の中から蝋板を取り出してテーブルについた。


 出かけようとする俺を見てハッとして立ち上がろうとするティアナを手で制す。

「ちょっと話してくるだけだ。心配するようなことはないよ」

 二人に手を振って伯爵邸を目指す。宿からそれほど離れているわけじゃない。伯爵邸は堀に囲われた城館になっていた。


 堀に渡してある吊り橋からがっちりした体つきの人が出てくる。ステラさんだ。挨拶をし、ティアナを預かって貰った礼を言う。

「ああ。気にしなくていいよ。私も手伝って貰って助かったし。そうそう。ハリスさん。余計なお世話だけどお酒はほどほどにしておきなよ。お店としちゃたくさん飲んで貰えるのは嬉しいんだけどさ。この間、ちょっと飲みすぎだったよ」


「そうですかねえ」

 まあ、あの時は料理の量が凄かったからな。それに合わせてついつい飲み過ぎちゃったかもしらん。ゼークトの奢りだったし。普段はそれほど飲んじゃ……いるか。そんなに乱れちゃいないつもりだが、ここは素直に返事をしておこう。


「まあ気をつけます。随分と忙しそうなのに気を遣ってもらってすいませんね」

「うちの旦那も酒で早死にしてるからね。そうそう。ハリスさん達が助けた鉱夫への炊き出しを頼まれたのさ。ティアナちゃんに手伝って貰えると助かるけど、あの子は連れて行かない方が良さそうだね」


 まあ、狼の群れに子羊を放り込むようなもんだろう。ぼやぼやしてるうちにどこかに引きずりこまれかねないだろうな。

「俺もそう思います」

「大事にしておやり。あの子の信頼裏切るような真似をすんじゃないよ。そうだ。このスカーフ、とてもいいね。どういうわけかここ数年の悩みだった頭痛がしなくなったんだよ。直接お礼が言いたいから、もう一度ぐらいはあの子を連れて店においで」


 言うだけ言うと、俺の肩をバンと勢いよく叩いて急ぎ足で去っていく。ズシリと衝撃がきた。アリスが言っていたならず者5人を瞬殺した話というのも頷ける。やっぱり我がギルド長殿と印象が被った。ん? サマードと言えば、前から気になっていたが、どうして俺がゼオナイトの採掘を手伝ったのを知ってたんだ?


 ギルドを通さず受けた話だから手数料を払ったが、廃坑の探索の手伝いとしか申告していない。記憶をたどる。仕事が終わってコウモリ亭で飲んだ時にあの場に最後までいたのは……デニスの野郎だ。酔っぱらって俺が余計なことを言ったのをチクりやがったのか? くそっ。 


 気を取り直して、ハルバードを持った衛兵に来意を告げる。簡単に通して貰え、剣を預けろとも言われない。他人事だがこんな警備でいいのか首をひねりながら案内に出てきた男の後ろをついていく。確かミゲルとか言う名前だった。母屋に案内されるかと思ったら、石造りの変わった形の別棟に連れていかれる。


 重厚な扉を開けると左右に廊下が広がり、左手からは金属がぶつかり合うような音が聞こえてくる。ミゲルは右に進んで、突き当りの扉を開けた。通された部屋は差し渡し15歩ほどの円形の部屋だった。

「こちらでお待ちください。すぐに主が参ります」


 入り口から見て左右の壁にはいくつかの武器が置かれた棚がある。近づいてみると刃を潰した練習用の剣だった。

「呼び出してすまなかったね」

 振り返るとレッケンバッハ伯爵が戸口のところに居た。長袖のシャツにこれまたシンプルなズボンを履いただけの姿だった。


「こんな場所に呼び出して何の用事です?」

「聞くところによれば、剣もそこそこの腕だそうじゃないか。日頃の運動不足解消に付き合ってもらおうと思ってね」

「ゼークトから1本取れる腕の方の相手にはなりませんよ」


 伯爵は俺と反対側の棚に向かい、ダガーを2本手にする。

「だが、これを使っての接近戦なら相当の使い手らしいじゃないか。もちろん、私の遊びに無料で付き合ってもらおうとは思ってない」

「分からないですね。そんなことをしてあなたに何の利益があります?」

「これが済んだら、その辺りも話そうじゃないか。もちろん本題も片付けよう」


 俺は仕方なく棚からダガーを取る。刃の部分に指をあてたがすりつぶしてあってなまくらもいいところだった。もちろん急所にあたれば大怪我をするし、当たり所が悪ければ死ぬこともある。

「もし、あなたが万が一事故で死んだら?」


 伯爵は首を回しながらほほ笑んだ。

「心配はしなくていい。ミゲルに言ってある。何があっても訓練中の事故だから罪を問うことはするなとね」

「まあ、そこまで言われるならお相手をしないわけにはいかないですね」


 俺は両手にダガーを握ってバランスを確かめる。シンプルな作りだが重心のバランスが良く、握りも手になじんだ。お互いにゆっくりと部屋の中心に歩み寄る。目の前で両方の刃をクロスさせて構え、軽く頭を下げた。同時に伯爵の体が弾けるように突進してくる。右手のダガーが伸びて来るのを左手の鍔で受け、内懐に入ると右手を下から突き上げた。

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