第74話 本当の狙い

 キン。ダガー同士が激しくぶつかり合ったと思うと、俺の突き出したもう一方のダガーを払いのけられる。ダガーのような短い刀身の武器での戦いは足運びが重要だ。腕だけの力だけでなく体全体が移動するスピードを乗せることでよりパワフルかつ素早い攻撃をすることができる。


 しなやかに体を捻って、紙一重で突きをかわしながら、そのまま体を縮ませ回転しつつ蹴りを放つ。俺の会心の一撃は伯爵の肘を軽くとらえるだけだった。脚を開いたまま地面に沈み込むと跳ね起きてむき出しになった腹を払う。伯爵はトンと3歩の距離を飛び退った。


 お互いの秘術をつくした攻防が続く。何が運動不足だよ。こいつ毎日相当な時間をかけて武術の練習をしてやがるに違いない。だっと突っ込んできた伯爵の長身が半身になった。予想しているよりもほんのわずかに長く手元まで伸びてくる。辛うじて払った相手のダガーは手の平全体で握られておらず、柄の先端を親指と人差し指でつまんでいた。


 からめとるような手首のひねりを加えるがダガーを弾き飛ばすことはできなかった。なんて指の力だ。伯爵は伸ばした方の腕を引くと反対の手を振り下ろしてくる。受け、突き、払い、飛びのく。永遠とも思える時間が過ぎて行った。伯爵の顔からも余裕の笑みが消えているのがせめてもの救いだ。


 それから何十合も打ち合った。体の方はまだ動いたが、集中力の方が先に切れる。廃坑をこそこそかぎまわり、隙を見て酒壺に睡眠薬を投入し、ロバートを探し出して密談した行動は俺の精神をすり減らしていた。横殴りの一撃を受けたつもりのダガーは弾き飛ばされ、もう一方の刃はかわしたものの気が付けば喉元にダガーが突きつけられている。


「……参った」

 大きく息を吐き出すと同時に全身の力が抜けて床に倒れこむ。荒い息を吐きながら相手を見ると伯爵も息を切らし長袖で額の汗をぬぐっていた。最初と同じようにダガーをクロスさせて構えると深く頭を下げる。


 そのまま壁ぞいに向かうと垂れている綱を引いた。棚にダガーを置きタオルを取って戻ってくるまでの間に俺はようやく立ち上がる。伯爵は人好きのする笑みを浮かべた。

「いや。ゼークト殿の言う以上だったな。休養が十分なら勝負がどうなったかは分からんぞ」


 俺は力なく首を振る。

「敵が襲ってくるタイミングは選べないですからね。疲れて集中力が切れたのでも負けは負けです」

 俺も棚にダガーを戻して伯爵のそばで正対した。


「で、ご満足いただけました?」

「ああ。十分だ」

 伯爵は手にしていたもう一つのタオルを俺に手渡す。滝のように出る汗を拭いていると伯爵はシャツをバサリと脱ぎ捨てた。細いが鍛え抜かれた体だ。

「ああ。暑い」


 そこへ扉がノックする音がする。伯爵が許諾を与えると扉が開かれ、若い女性が荷物を載せる瀟洒なワゴンを押して入ってきた。シンプルだが清楚な服装の女性だ。ワゴンの上には何かの入った瓶とグラスが2つ。若い女性は肌脱ぎになった伯爵の姿をみて目を見開き、たちまちのうちに真っ赤になった。何かもごもごと言って頭を下げるとパタパタと出て行く。


 伯爵がグラスに飲み物をそそいで差し出してきた。

「この辺りの特産の果物の汁を絞ったものを井戸水で冷やしてある。疲労を回復し体を柔らかくする効果があるそうだ」

 薄黄色の透明な液体は口に含むと酸味が強く、かすかに苦みがあった。


 伯爵も喉を鳴らして飲み終えるとお替りを勧めてくる。遠慮なく貰って2杯目を味わっていると伯爵はニヤリと笑った。

「侍女に誤解させてしまったかもしれないな」

「何をです?」


「ここで二人で何をしていたかさ」

「そんなの武器の練習に決まっているでしょう」

「シャツを脱いでいたしな。激しく動いたので血色も良くなっていたし」

 伯爵は脱ぎ捨てていたシャツを拾い上げて袖に手を通す。


「私に浮いた話の一つもないのが原因ではあるのだがね」

「それって、つまり……」

「今頃はたまり場で私は年上の男性が好みという噂話で盛り上がっているかもしれないな。結構なことだ」


 ぶほっと飲みかけの果汁を吹き出す。俺の慌てっぷりがおかしかったのか伯爵は声を上げて笑った。

「そんな反応をするとは、貴公は男性は守備範囲にないのかね?」

 涼やかな瞳で流し目をする伯爵の姿は、その趣味が無いにも関わらずドキリとする美しさだった。


「さて。冗談はこのぐらいにしよう。とりあえず先日の私の提案の返事を聞かせて貰おうか?」

「申し訳ありませんがお断りします」

「ふむ。まあ、そうだろうな」


 伯爵は意外なほどにあっさりとしていた。

「もう1杯どうかね? そうか。じゃあ、私が頂いてしまうよ」

 コップに残りを全てそそぐと香りを楽しむかのように飲む。

「もし私が実力行使に出たらどうするつもりだ?」


「全力で抵抗させてもらいます」

 伯爵は形のいい眉を上げる。その表情は私に一騎打ちで勝てなかったのに、と語っていた。

「私自身はそれほどでもありませんが、仲間に助力を頼みます」


「聖騎士に高位の聖職者か。魔法士もなかなかの実力のようだし、若い戦士も体力だけはありそうだ。まあ、私の手勢では少々てこずりそうだね。いいだろう。一旦は諦めようじゃないか」

「そいつはどうも」


「しかし、常に仲間と一緒というわけではないだろう? 特に聖騎士殿はご多忙だ。彼がいなければ抵抗しきれまい。私はいいが今後他の人間があの娘を譲るように強要した時はどうするつもりだ?」

 俺は伯爵に対して精一杯丁寧に頭を下げた。


「有難き閣下の思し召しをもちまして」

「そうか。私の意図が分かったか」

「今日この場でお話しするまでは分かりませんでしたが」

「それは随分とやきもきさせただろう。悪いことをした」


「いえ。今後は心配せずに済みます。申し出に対しては『レッケンバッハ伯爵との先約がありますので』と言えますから。分からないのは、このような配慮を頂ける理由です」

「なに簡単なことさ。口先一つで貴公に貸しができるのだからな」

 

「俺に貸しを作ったところで……」

「意味はあるんだよ。貴公が考えている以上に聖騎士殿の価値は高いんだ。その友人に貸しを作れるのは大きい。おっと、それだけじゃないぞ。貴公自身にも価値があるんだ。自分では分かっていないようだがね」

 そう言って伯爵は片目をつぶった。

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