記念SS 2 愛しい男(第128.5話)
(暴走が始まった神官さんのお話)
うふ。うふふ。
質素なベッドに身を投げ出し笑みを浮かべた途端に胃の中から青臭いものがこみあげてくる。強力解毒薬の臭いだった。本来なら不快なはずのものさえ気にならない。ハリスさんから口移しで飲んだ解毒薬ということを考えると心地よくさえあった。この青臭さは確かに口づけを交わした証でもあるのだから。
指で唇をなぞる。上唇を右から左へ、下唇を左から右へ。指を湿らせて吐息が漏れた。初めての口づけだったのに痺れ薬の効果で何も感じることができなかったのが残念でならない。口づけはとても甘美なものだと聞くけれど、実際はどうなのだろうか。神殿で生活をしているとその手の生の情報を耳にする機会はほとんどなかった。
ただ、私はときどき修行の一環で冒険者と一緒にダンジョンの探索に赴くことがある。一仕事終えてお祝いの席に同席したときに年齢の近い女性の話を聞く機会があった。女性だけの席では結構際どい話になることもある。だから、世間で思われているほど、そちら方面の知識を知らないわけではない。
正直に言えば話を聞いていた時は汚らわしいと思っていた。神様に生涯添い遂げることを誓ったわけでもない相手とそのような行為に及ぶのに抵抗が無いというのが信じられない。女性のことを物欲しそうな目で見てくる男性に対しては、もともと嫌悪感があったし、それに応じる女性もどうかと内心軽んじていた。
今でもそれに近い思いはある。けれども、例外は認められる気になっていた。心の底から好きになった相手となら、結婚前に口づけぐらいはしてもいいかなと思う。別に他人に咎められることではないはずだ。それに今回の私とハリスさんの一件は、痺れ薬から回復するためという大義名分もあった。
一方で、ハリスさんが必要に迫られて仕方なく何の感慨も無しに私に口移しで解毒薬を飲ませたということであるなら、それはそれで淋しい。ハリスさんはジーナさんの評ではないけれど、他に手段が無ければ自分の立場が悪くなることに手を染める覚悟がある人だ。それでも、私への口づけに対し何ごとかをハリスさんが意識していてほしい。
私に対して口づけ以上のことを望んだりしているのだろうか? 周囲にいる他の女性たちに対してはどうなのだろう? 少し前にお茶会をしたときの様子からすると誰もハリスさんと特別な関係にはなっていないように思えるのだけど……。それは私の願望が入っているのかもしれない。
そもそも、ハリスさんのことを好いている女性は誰がいるのかしら? ティアナさん、ジーナさん、チーチさんは確定かな。逆にシルヴィアさんは興味がなさそう。キャリーさんはそっけないフリをしているけどちょっと怪しい。男には興味ありませんという態度がいかにも無理をしているように見えた。
とりあえず、ハリスさんにお礼を兼ねてコウモリ亭でお酒を御馳走しよう。そう考えていたが、今回の襲撃事件のせいで新人育成隊の仕事がお休みになってしまった。ギルドに顔を出したけれども、なかなかハリスさんに会えないばかりか、神殿長に嫌味を言われてしまう。数日後、ようやくギルドでハリスさんを見かけた。
「あら、ハリスさん。ちょうどよいところでお会いしましたわ。愚弟がご迷惑をおかけしたお詫びと助けて頂いたお礼に一献差し上げたいと思いますがご都合はいかが?」
言外にキャリーさんがお誘いしたときは受けたのでしょう、との意を含ませてみる。ハリスさんは窓から外の様子をうかがった。
太陽は中天に差しかかったばかりで、まだ帰宅を急がなければならない時間ではない。迷うそぶりのハリスさんの手を取ってコウモリ亭へと通ずる通用口へと向かう。
「ちょっと。ハリスさ~ん」
受付でジョナサンさんが呼びかけているが、私はハリスさんとつないだ手に力をこめた。
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