第54話 ご主人様と買い物

 ♡♡♡


 ご主人様が再び裏庭に出てきた。あまり見慣れない困ったような表情を浮かべている。近くまでくるとマットレスにチラリと目をやった。だいぶ薄くなっているけど、まだ血の跡がうっすらと分かる。ミーシャさんも手を止めてご主人様の様子を伺っていた。


「びっくりしただろ? マットレスのことは気にするな。だいぶへたっていたからな。余裕ができたら買い替えようと思ってたんだ」

 ご主人様は私を軒下の古いベンチに連れて行き、横に座るように言う。ご主人様もベンチに座って伸びをした。ちょっとだけ離れて腰を下ろす。


「ちゃんと話しておかなかった俺が悪いんだが、簡単に他人について行くな。特にデニスの言うことは絶対に聞いちゃだめだぞ」

「はい」

「世の中はいい人ばかりじゃない」

「ご主人様みたいな人ばかりじゃないということですか?」


 横を見るとご主人様は頭をボリボリとかいていた。さらさらと白いものが落ちる。

「あの……落ちてます」

 自分の肩を見てご主人様は立ち上がると手で払った。眉にしわを寄せて嫌そうな顔をする。


「ああ、汚いな。後で洗うよ。それで、さっきの話だが、ジーナの言うことは聞いていい。まあ、サマードもいいだろう。だけど、それ以外の人に何か言われても、俺かジーナに相談するんだ。例えば、俺が大けがをしたと言って騙してどこかに連れて行こうとする奴がいるかもしれない。分かるか?」


 私を突き飛ばした子のことが思い出される。そうか。良く分からないけど、人を傷つけようとする人はいるんだ。

「はい」

「本当に分かってるのか?」


 ご主人様は私のことを疑わしそうに見下ろしていた。

「なんとなくですが分かると思います。ご主人様の言いつけは守ります。あ。エイリア様の言うことも聞いてはダメですか?」

「そうだな。エイリアも大丈夫だ。ゼークトもいい」


「コンバさんはダメなんですね?」

「ああ。あいつも悪い奴じゃないと思うがあいつ自身が騙されてることがありそうだからな。その人自体はいい人でも脅されていることだってある。そうだ。エイリアで思い出した。明日夕食に招待したぞ」

「本当ですか?!」


「ああ。成り行きで、他に3人も来るけどな。大丈夫か?」

「頑張ります」

 えーと。何を作ろうかしら。どんなものを作ったら喜んでくれるだろう? でも、その前にご主人様のお世話をしないと。

「湯あみの支度しますね。すぐにお湯をお持ちしますから」


 台所でお湯を沸かしてきて、大きな桶で温度を調節した。衝立を立ててご主人様に入ってもらう。腕まくりをして、失礼しますと声をかけてから私も中に入った。

「なんだ? 自分でやるからいいぞ」

 ご主人様は慌てた声を出す。


「ダメです。私が髪の毛を洗って差し上げます」

 石鹸を泡立てて両手いっぱいにふわふわさせた。

「いいって。子供じゃないんだから」

「フケが出てるなんて、せっかくの男ぶりが台無しです」


 ご主人様の頭を揉むように洗っていく。

「大人なのに髪洗ってもらってら。おじさん子供みたいだね」

 タックが衝立の間から覗き込んでいた。その姿が不意に消える。

「こら。タック。余計なこと言わないの。こっち来なさい」

「いたーい。ママ。ごめんなさい」


 こざっぱりとしたご主人様と買い物に出かけた。今日食べる分の材料はあるのだけれど、明日の夕食の支度を早く始めたいとお願いしたのだ。随分と気が早いなと苦笑していたご主人様だったがすぐに了承してくれた。石鹸の香りがするご主人様に寄り添うようにして歩く。


「エイリア様はどんな料理がお好きかご存じですか?」

「んー。前に魚は好きだと言っていたな」

「味付けの好みはどうでしょうか?」

「あまり濃いのは得意じゃないと聞いた気がする。お前のいつもの味付けでいいんじゃないかな」


「私の料理で喜んで貰えるでしょうか?」

 返事が無いのでご主人様の顔を覗き込む。ちょっとだけ口角が上がっていた。

「散々ティアナの料理は店よりも旨いって宣伝しちゃったからなあ。これでそれほどでもないとなったら俺の信用問題になるかもしれない」


 ええー。そんな。確かにご主人様は褒めてくれるけど、子供が作る割にはってことだと思っていた。お店で食べたことはほとんどないし、本当に私の料理は上手なのだろうか。お店で食べたと言えば……。そうだ。


「あの。ご主人様。人の話を勝手に聞いてすいません。この間、ゼークトさんがレッケンバーグとか仰ってませんでしたか?」

「ああ。あいつは声がでかいからな。聞こえたのはあいつが悪いんだ。それがどうした?」


「もし、レッケンバーグに行かれるのであれば、ステラの店という食堂があるんです。そこの店主のステラ様に伝言をお願いしてもいいでしょうか?」

「そいつがどうかしたのか?」

「私、あちこちを連れまわされていた時にほとんど食事を貰えてなかったんですけど、その方が私に食事を下さったんです。あの時食べさせて貰ってなかったら体を壊してたかもしれません」


「そうか……。それじゃあ、そのステラってのは俺にとっても恩人だな。お前と出会えたのはそいつのお陰だものな。分かった。もし会えたら俺からもお礼を言っておくよ」

「ありがとうございます。食事もしてみてください。とっても美味しいですよ」


「それを聞いたら出かけるのも悪くない気がしてきたな。正直ゼークトに連れ出されるのは気が乗らなかったんだが」

 私はびっくりする。

「ゼークト様はご主人様の仲の良いお友達ではないのですか?」


「まあな。俺はそのつもりだが」

「それじゃあ一緒に出掛けるのは楽しくないですか? 私はこうやってご主人様と出かけるの楽しいですけど」

 ご主人様は寂しそうな顔をした。


「あいつは聖騎士だ。たぶん、これからもどんどん偉くなっていくだろう。だからな、俺みたいな得体の知らない奴が周囲に居ない方がいいんだ。あいつの評判を下げようという奴らに有利な材料を与えたくない」

 あまりの厳しい顔に、私は、ご主人様も立派ですという言葉をかけることができなかった。

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