第55話 お金の使い道
それは見事な花嫁衣装だった。ちょっと端切れが欲しいと言うので入った店の隅に陳列してある。それを見つけるとティアナはチラチラと視線を走らせていた。やっぱり、ああいうものに惹かれるところは女の子らしい。そちらから視線をはがすとティアナは色んな布が入れてある台から肩幅より一回り大きい暗緑色の布切れを選び出した。
代金を払ってやろうと近づくとティアナは小さな革袋を取り出して、そこから銅貨を2枚を店員に支払う。あれは小遣いを入れておくようにと渡した袋だ。大事そうに布切れを受け取ってティアナは俺に頭を下げた。
「お待たせしました」
店を出てから質問する。
「ずいぶんと値段がする布なんだな」
「はい。遠くから運ばれてきたものですべすべしてて肌触りがいいんですよ。体の中の悪い物を出す効果があると聞きました」
「へえ。それで何を作るんだ?」
「さっきお話したステラ様が厨房に立つときに髪を覆うのにいいかなと思って。今度ご主人様が出かけるときに持って行って頂いていいですか?」
「ああ。うん」
返事をしながらモヤモヤしたものが心に満ちる。好きにしろとは言ったものの、渡した金を何に使うかと思ったら、以前施しを受けた相手へのプレゼントときた。ステラという奴の方が俺よりよっぽど大事らしい。そんな感情を抱くのは間違いだと分かってはいるがどうにも気持ちが収まらなかった。
次にボック親父のところに寄る。
「よう。ハリス。今日はお嬢ちゃんと一緒かい」
「こんにちは」
丁寧に頭を下げるティアナを見て目じりを下げるボックを俺は睨みつける。まったく、女房に言いつけるぞ。
先日渡してしまったマントの替えを買った。帰ろうとすると新しい鎧を発注した方がいいとボック親父はうるさい。必要もない物を買わせるほどあこぎな商売をする奴ではないし、命がかかっていると言われれば、少しは真面目に検討しなければならない気にもなる。
「そろそろどうだ?」
「うーん。ちょいとまだ決心できないな。先立つものが無い」
「あんたとの仲だ。手付を貰えれば代金は後でも構わないぜ」
腕組みをしていると後ろからおずおずとした声が響く。
「……あの。すいません。ご主人様の着ている革の鎧はどれぐらいするものなのですか?」
「ああ。特注なので決まった値段はないんだがね。そうさなあ、最低でも金貨2枚はするな」
振り返ってみるとボック親父の返事にティアナは革袋を手にしたまま固まっていた。袋の中を見るとその中のものを手に取って差し出す。
「全然足りないですけど、支払いの一部にあててください」
小さな手のひらに載っているのは銅貨6枚。ティアナの全財産だった。
俺の体の中の血の巡りがおかしくなるのを感じる。自分自身に腹が立ってきた。先ほどステラへ嫉妬を覚えたのでなおさらだった。俺はティアナの手を両手で包んで銅貨を握らせる。
「その金はとっておけ」
「でも……」
有無を言わさず手を引っ込めさせる。ボック親父の方に向き直ると顔ににやにや笑いを張り付かせていた。思いっきり睨みつけ殺気を飛ばす。余計なこと言ってみろ、ぶっ飛ばしてやるからな。俺の気迫を感じたのか、ボック親父は何事も無かったように話を始める。
「でだ。発注先の候補は3社あるんだが、俺としちゃ、カウバーン社をお勧めするね。ここは検品時の歩留まり率が一番低い」
「なんだよ。出来が悪いってことじゃねえか」
「ところがそうじゃねえんだな。カウバーンの検品やってる姉ちゃんが異常に厳しいんだよ」
「そういうことか」
「残りの2社は歩留まりを良くしようとしてベテランを首にしたんだ。買った直後はいいが1年も使えば差は歴然としてると思うぜ。まあ、その2社への文句もあまりないんだがね」
ボック親父は人の悪い笑みを浮かべる。
「なんてったって……」
「死人に口なしだろ?」
「ご名答。で、どうする? カウバーンの品は、まあその分高いわけだが」
俺は下唇を突き出して考える。安物買いで銭を失うだけでなく命を失うとなっちゃ本末転倒だ。
「分かった。それじゃあ、カウバーンで頼む。手付は預けてある銀製のナイフでいいかい?」
「ああ。十分だ」
ボック親父はカウンターを回って出てくると手早く俺のあちこちを採寸する。
「よし。それじゃあ、発注しておく。納期は一月は見ておいてくれ」
「ああ。分かった。残金は?」
「金貨2枚だな。頑張って稼げよ」
食料品店に向かって歩き出したところでティアナが詫びた。
「先ほどは勝手なことをしてすいませんでした」
「ああ。別に怒っちゃいないぜ」
「でも、怖い顔をされてました」
俺はつるりと顔を撫でる。
「元からこういう顔なんだ。それにお前の気持ちは嬉しかったぜ。だけど、お前に渡した金で俺の鎧を買ったら渡した意味がないだろう?」
「あの……本当に私にお金を下さらなくて結構です」
「そしたらステラさんへのお礼の品も買えないところだぜ」
ティアナはしゅんとする。
「まあ、気持ちだけは有難く貰ったよ。さあ、そんなことよりも献立考えたのか? エイリアをもてなすんだろ?」
「まだ迷ってます」
ティアナの態度にピンときた。
「お前。もてなしの食材費を自分で出そうと考えてるだろう? 俺が招待した以上、俺の客だ。その代金は俺がちゃんと払うから心配するな」
「でも……」
「じゃあ、逆にするか? お前が買った食材を俺が調理するでもいいぞ。真っ黒に焦げた魚とか、具がドロドロに溶けたスープとかになるだろうけどな。どっちがいい?」
一人暮らしの頃は自炊することもあったが人様に出せるものじゃなかった。ギリギリ食べ物の領域になんとか留まっているという感じ。ティアナが来てからというもの全く料理をしていないから前よりさらに酷いものが出来上がりそうだ。俯いていたティアナが顔を上げる。
「分かりました。何度も生意気なことを言ってすいません。材料費をお願いします」
「ああ。任せておけ。せっかくなんだ。びっくりさせてやろうぜ」
「はい。頑張ります」
ティアナが鼻息も荒く力んで見せる姿はおかしくもあり可愛くもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます