第56話 怖い顔
ノルンの町の広場には人が溢れていた。広場の真ん中には晒し台が据えられ、木枠に手かせをはめられた男2人が立たされている。洗いざらしの粗末な服は色とりどりの色彩に染まっていた。べちゃ。半分腐った果物だか野菜だかが男の顔に命中する。
「ざまあみろ」
周囲の観衆からまた歓声が上がった。台に立たされているのは、俺が捕らえた流民だった。今日はその処刑が行われるというのでちょっとしたお祭り騒ぎになっている。判決から3日しか経っていないというのに随分と手回しが良い。行商人の屋台が広場の端の方にいくつもできていた。
晒し台から20歩ほど離れたところに木柵ができ警備兵がそれ以上は入れないようにしている。群衆はそこから手にしたものを投げつけていた。エイリアを夕食に招いた日を除き最近思いつめた顔をして妙に元気がないティアナを連れてこようとしたが、悲しそうな顔をして首を横に振ったので、ミーシャ親子と留守番をさせている。
掘り出し物の魔法の道具がないか露店を見て回っていたジーナが戻ってきた。後ろにはコンバがくっついて歩いている。
「こんなものしか無かったわ」
服の中に垂らしていたペンダントを引き出す。先にザクロ石がついていた。
「身につけて置けば冷気をある程度遮る効果があるの。これでダンジョン内で寒い思いをしなくて済みそう」
「なんだよ。その、あなたはいいわよねえ、ってその顔は」
俺たちの会話に割り込むようにラッパが吹きならされる。
ランサー執政官が壇上にあがり、周囲は静かになった。簡潔なあいさつの後に罪人二人の罪が読み上げられ、警備兵が二人を引き立て絞首台に連行する。身をよじって抵抗するが無駄だった。喚き声をあげる男たちの顔に袋がかけられる。次いで首に縄をかけられると周囲の興奮が一層高まった。ランサーが腕を振り下ろすと、台の底が割れ、罪人は激しく踊りを踊るように体をくねらせる。
やがてピクリとも動かなくなると歓声があがった。
「正義はなされた!」
「罪人は地獄行き!」
口々に気勢をあげる人々を尻目に俺たちは家路につく。
俺やジーナにはこれを見届ける権利と責任があったから来ただけで、この後の乱痴気騒ぎに加わるつもりはない。タダ酒に未練がないと言えば嘘になる。ただ、本来ならばもっと晴れ晴れとした気分になると思っていたが、ちっともそんな気分にはなれなかった。むっつりと押し黙って歩く俺の前に誰かが飛び出し、コンバが俺をかばうように前に出る。
「あ、ハリスさん。やっと会えた。ち、ちょっといいかな?」
貸家業のムーアだった。
「何か用か?」
不機嫌な声になったが仕方ない。
「ハリスさん。あんたの奴隷のことなんだけど」
「ティアナがどうした?」
ムーアは愛想笑いを張り付けたまま、ちょっと後ずさる。
「町の子に意地悪されてたの知ってるかい? いや、意地悪ってレベルじゃないな。怪我させられて……」
「なんだと?」
俺はムーアに詰め寄った。
「お、落ち着いて。私は何もしてないんだから。なんか町の子に突き飛ばされたり、物を投げられたりしているのを見たんだよ」
「本当か?」
胸倉をつかまんばかりの俺の勢いにムーアは首をカクカクと動かした。俺の脳裏にティアナの怪我と元気のない姿が浮かんだ。そういうことだったのか。
「ちっ」
思わず舌打ちが漏れる。
「ひぃっ」
ムーアの顔が青ざめる。横から手が伸びて俺の肩を触った。
「ハリス。ちょっと顔怖すぎよ」
ジーナがやれやれという表情をしていた。俺は片手で顔を撫でる。
「んで。どこのどいつだ?」
ムーアは家具職人の名を上げる。
「あそこの末娘のリリーって子だと思うよ」
「間違いねえな? ムーアのとっつあん。ありがとよ。言ったことが本当ならあんたとの間はこれで恨みっこなしだ」
俺は走って家に帰ろうと走り出す。まったく、そんな目に逢ってるのに何で俺に言わない。腹立たしい思いをしながら走る俺の足が急に動かなくなりつんのめりそうになった。俺の足元が青白い光を放っている。くそ。チルの呪文か。首を後ろに巡らせるとジーナがこちらに走ってきていた。遥か後ろをコンバが走っている。
「どういうつもりだ?」
横に来たジーナに言葉をぶつける。
「だから、その顔やめなさいって言ってるでしょ。ティアナが怖がるわよ」
ジーナが両手を伸ばして俺の頬に人差し指をあてると上に動かす。
「はい。笑って。あんたはそうじゃなくても迫力があるんだから。あの子が何で言わなかったのか考えなさいよ。そういう顔を見たくないからだと思わない?」
お前だって割ときつめの顔してるじゃねえか。そう言おうとしたが、ジーナは呆れながらも頬に笑みを張り付けている。
「あのままだと、ティアナを問い詰めてたでしょ。なんで言わなかったって。そんなことをしたら委縮するだけだし逆効果よ」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「ヒントはここまで、後は自分で考えなさい。ちょうど魔法も解けたわ」
速足で歩きながら考える。確かにジーナの言う通りかもしれない。ティアナはまだ子供だ。繊細で傷つきやすい。怪我をさせられたのを黙っていたのは、もちろん俺が怒って何をするのかが怖いというのもあるだろう。ただそれだけじゃない。きっとこれ以上俺に負担をかけたくないというのもあるに違いなかった。
もう数年使っていなかった頬の筋肉は思うように動かない。ジーナにやられたように指で口の端の位置を動かす。扉を開けて家に入ると部屋の隅でティアナは字の練習をしていた。俺の姿に気がつくと弾けるように立ち上がる。
「ご主人さま?」
俺は言葉が出なかった。こんな時になんて言えばいいか分からない。近寄って腰をかがめるとティアナを抱き寄せる。
「あの。えっと……」
戸惑いの声を上げるがティアナは動かない。
「なあ」
「はい?」
「俺は……お前の元気のない姿を見たくない。何かあるなら、ちゃんと話してくれないか」
細い肩に額をよせて俺はティアナの言葉を待った。
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