第53話 出血
誰もいないことに驚いたのは一瞬だった。裏庭に人の気配を感じ、タックが何か言っているのが聞こえる。裏口から顔を出すと4人でベッドのマットレスを囲んで何かやっていた。アホ犬が俺に気づいてワンと鳴き、皆が振り返る。
「あら。ハリス。お帰りなさい」
いつもならすっ飛んでやって来るティアナはマットレスの側で真っ赤になって頭を下げた。ん? どうしたんだ。ジーナがスタスタとやって来ると俺を押しやるようにして家の中に入れる。
「どうした? 何かあったのか?」
「落ち着きなさいよ。ハリス。大したことはないわ。そっちは無事終わったの?」
「ああ。ちょっと大掃除をしただけだ。それより……」
「あのね。ティアナがね」
ジーナは言いよどむ。大したことは無いという言葉と相いれない態度に俺の心臓は跳ね上がった。
「何があったんだ?!」
思わず声が大きくなり、ジーナの肩を両手で揺さぶる。
「ちょっと痛いわよ。本当に大したことじゃないんだから。言いにくいだけで」
「はあ? 意味わかんねえぞ」
「あのね。ちょっとティアナがベッドを血で汚しちゃったのよ。辛そうにしてたから早く私が気づいてあげれば良かったんだけど。だから、あの子を叱っちゃだめよ」
「マットレスまで汚れるなんて酷い怪我でもしたのか?」
「そうじゃなくて……。ほら。女性は時々あるでしょ。分かるわよね?」
ああ。そういうことか。俺は脱力する。
「今まで栄養状態が良くなかったせいか遅かったみたいね」
「もって回った言い方するなよ。ストレートに言えばいいじゃねえか」
「そうはいかないでしょ。そう言うなら、あなたが夜寝ていて最初に下着を汚した時のこと言ってごらんなさいよ」
ジーナの反撃に俺は降参した。
「悪かった。ただ、何かあったのかと心配しちまったぜ」
「まあ、もう少しで事件になりそうになったことはあったんだけどね。これは私が全面的に悪いの。あなたに何となじられても文句は言えないわ」
「おいおい。またそういう言い方すんなよ。何があった? 怒ったりしねえから、はっきり言ってくれ」
「あのね。あなたが出かけた日にティアナがデニスに連れていかれそうになったのよ」
「なんだと?!」
ジーナがため息をつく。
「ほら。声が大きくなるじゃない。まあ気持ちは分かるわ。言葉巧みに家に連れていかれそうになったんだけど、結局やめて帰ってきたみたい。往復するぐらいしか時間は経ってないし何もなかったはずよ」
「そ、そうか」
「人のことを言える立場じゃないけど、あなたも何であの子にデニスとはしゃべるのもダメって教えておかなかったの?」
「うっかりしていた。そうだな。あいつ町に戻ってるのか」
「そのようね。ティアナにそんなことがあったのを聞いてからはずっと私が付いていっているわ。そのせいか姿は見せてないけどね」
「ああ。世話を焼かせてすまんな」
ジーナは首を横に振る。
「それで、もう一つティアナに関して大事な話があるんだけど。とりあえず、椅子に座って」
俺はテーブルに向かって腰を下ろす。向かいの席に座ったジーナが俺の体をじっと見ている。
「なんだよ?」
「あなた。今日もティアナの縫った肌着を身につけてるわよね?」
「ああ。それがどうした?」
「何か気づいたことない?」
「いや、特に何もないが……」
壁際に置いてある杖をジーナが取って来る。
「ちょっと魔法を使うわよ」
ジーナは何か口の中でぶつぶつ言っている。唱え終わると息を吐いた。
「やっぱりそうだわ」
「なにがやっぱりなんだ。さっぱり分からないぞ」
「あなたが今着ている肌着に魔力感知の魔法をかけたの。結果を知りたい?」
俺はジーナの勢いに押されて頷く。
「なんだよ。ずっと着たままだから汚れてるって話か?」
「バカね、そんなんじゃないわよ。あなたの着ている肌着には名前が付いてるわ。あなたも知ってるでしょ。魔力付与がされている武具でも名前の付いているものは効果が高いって。私の見たところでは、『ハリス様の肌着』は物理的防御力が20%増し、冷気緩和90%、祝福20%の効果があるわね。もちろん、あなた専用よ」
俺はジーナの顔を見返す。目が本気だった。
「ということは?」
「あなたの肌着はいわゆる
何言ってるんだ? 俺の頭はジーナの話していることの意味が理解できなかった。
「そうよ。意味が分からないわよね。肌着や下着なんて消耗品に魔力付与するなんて。もともとの機能が低いから割合で付与される加護なんてたかが知れてるもの。それなのに2割増しなんて魔法の無駄使いよ」
ジーナは言葉を切る。
「ティアナはね、自分ではそのことを分かってないけど恒久的な魔力付与をしているのよ。針仕事を通じてね」
「ということはティアナは魔法士の素質があるということか?」
「残念だけど、それはちょっと違うの。あの子自身の魔力総量はほぼ一般人並みね。ただ凄いのはその少ない魔力を使って物に魔力を封じる力ね。
「呪いって言い方は……」
「でも、その通りなのよ。魔法を発動するための呪文って、超常的な力を開放するための定型文に過ぎないわ。祝福も呪いも根っこは一緒。どっちの方向を向いているかの違いでしかないの」
俺はジーナの早口に圧倒される。
「それで、そのことをあいつに教えてやったのか?」
「私からは何も言ってないわ。知ればもっと魔の力を極めたいと思うようになるかもしれないから。私のように魔法に魅了されてしまったら、なかなかに人生は大変よ。私は自分で選択したのだからいいけどね。でも、ティアナにとってそれが幸せかは分からないわ」
そうか。ジーナが冒険者をしているのはそういうことか。魔法士ってのも因果な職業なんだな。疑問が解けた俺にジーナは言葉を続ける。
「私があの子に言ったのは、子供ができる体になったってことね。ほら、出血して怯えてるから教えてあげたわ。それはそれでびっくりしてたけど」
それで、どこまで教えたんだ?
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