第143話 啖呵
上階の射手とオーガに均等に注意を向けていると、俺達がこの中庭に迷い込んだ扉の表面が白い輝きに包まれるのが視界の端に見える。次の瞬間には、俺達の脱出を固く拒む分厚い樫材の扉が粉々になって崩れ落ちていた。その向こうのほの暗い中から薄ぼんやりと光をまとった人影が進み出てくる。
その横から大きな体の男が飛び込んで、オーガに向かって突っ込んでいった。食事を終えたオーガは新たな獲物に手を伸ばそうとしてその指を切り落とされる。コンバが戦斧を次々とオーガにたたきつけていった。戦斧が光を帯びているのは魔力を付与されているのだろう。オーガはたちまちのうちに切りたてられていた。
「ハリス大丈夫?」
少しやつれたジーナが問いかけてくる。
「気をつけろ。上に射手がいる」
警告を発しながら見上げたが、上階から俺達を狙う矢じりの輝きは見えなかった。
「なんだ。こいつらは? 警備は何をしている?」
うろたえる声と何かが落ちて割れる音が上階から聞こえてくる。俺は踵をかえすと斜面の下で放心するガキどもを抱えて出口に運ぶ。その間にジーナが呪文を唱えていた。氷柱がオーガに突き刺さる。エイリアが俺の顔を見て息を飲んだ。
「ハリスさん、お顔に怪我をしてます」
「かすり傷だ。それより、子供たちを見てやってくれ」
俺はコンバの加勢をしてやろうと中庭に戻ろうとする。その腕をジーナがつかんだ。
「丸腰で何しようっての? それにコンバは大丈夫よ。見て」
ジーナの魔法の援護を受けて、コンバはオーガを屠っていた。そればかりでなく、俺が放棄したショートソードを渾身の力を込めて引き抜き戻ってくる。
「兄貴。はい、これ」
ショートソードを受け取る俺にコンバは謝った。
「もっと早く来れれば良かったんすけど」
「子供を確保するまでは強硬手段は取れないって言ったのは俺だ。気にすんな。むしろ、これだけ早く来れただけ大したもんだ」
レッケンバッハ伯爵が同行してくれたのは幸いだったが、それでもこれだけの館だ。警備の数も多かったし、客も護衛をつれてるだろう。
「まあ、とりあえず外に出てはどうっすか?」
コンバの案内で歩き出す。エイリアが歩きながら俺に治癒魔法をかけてくれた。この程度の浅い傷なら立ち止まって無くても余裕らしい。
表玄関から外に出ると、トムが駆け寄って来て、ガキの一人に取りついた。
「テオ!」
「兄ちゃん」
手に手を取り合って泣き始めた姿から視線を逸らすと、目に入って来るのは、数名の騎士だった。
俺の視線に気づいたコンバが言う。
「ここにいるのはほんの一部っすよ。残りは伯爵たちと上へ行ったっす」
「ホフマンが近くの駐屯地からごっそり動員したってことか」
「そういうことっすね」
後ろから声がかかる。
「ねえねえ。ハリス。あたいがハリスを狙ってた射手の弦切ったんだよ」
振り返ると細剣を誇らしげに掲げたチーチが得意満面の笑みを浮かべていた。顔には褒めて褒めてと書いてある。
「ああ。次弾が飛んでこなかったのはそういうことか。助かったよ」
「やっぱり下からじゃあたいは見えなかったか。結構活躍したのに。そうだよね?」
後ろに控えていたキャリーが苦笑していた。
「確かにそうですが、もう少し背後にも気を配った方がいいかと」
「しょうがないじゃない。ハリスが危ないと思ったんだもん」
「怪我してないよな?」
「あたいのこと心配してくれるんだ? いやあ、たまには剣を振るってみるもんだね」
いや。あまり危険なことはして欲しくないんだがな。
「ええと、ザックさん? ハリスさん?」
トムが神妙な顔をして話しかけてくる。テオと呼びかけた子供の手をつないでいた。
「ああ。ハリスでいい。どうした?」
「弟を助けてくれてありがとう。約束通り俺を奴隷に売っぱらって……」
「あほか。弟の面倒は誰が見るんだよ。それに、お前じゃ銀貨1枚にもならねえ」
「ハリスさん。前に盗賊だって言ってたけど、実は偉い人なんだろ。これだけの人を使ってるんだもん。俺聞いたことがあるんだ。俺らみたいなガキを拾い上げてくれる人がいるって」
他の2人のガキもトムの後ろに並んでいた。何かを期待する8つの目が俺を見上げる。
「俺達にもチャンスをくれよ。大きくなったら墓堀人夫でもなんでも言われたことすっからさ。食事と寝床だけでもお願いだよ。もう、俺たち今までの塒に帰れねえんだ」
「裏町の顔役連中への付け届けしなかったのか? たいした額じゃないだろうに」
「だって警備が厳しくて稼ぎがなかったんだよ。少しだけ待ってくれって頼んだのに、有無を言わさず取っ捕まって、こんなところに連れて来られたんだよ。俺らみたいなゴミはオーガの餌になった方が世のためだってさ」
俯いたトムの固く握りしめた拳に水滴が落ちる。腕にまとわりついたボロ布で目の周りを擦った。顔を上げると何も言わない俺を睨んでくる。
「結局あんたも他の連中と一緒かよ。あんたみたいな人間には分からねえだろうけど、何もしてくれねえなら、死ぬのがちょっと先になるだけなんだぜ。人助けをしていい気持ちになりたかっただけかよ」
この世への恨みを込めたトムの言葉にキャリーが前に出る。
「いい加減にしなさい。恩人に向かってなんて口を利くのよ」
俺はキャリーの肩に手を置いた。
「それだけ生意気な口を叩くんだ。覚悟はできてんだろうな」
俺の声に潜むものにトムが気圧される。
「ちょっと、ハリス。子供相手に大人げないわよ」
振り返ってジーナを制した。
「育ちの悪いガキとはいえ、人に頼みごとをする態度じゃねえな。ゴミならゴミらしく地べたに這いつくばって憐れみを乞えばいいものを」
今や顔面蒼白になりながらもトムは弟をかばうように俺の視線を受け止めて立っている。にらみ合いの後で俺はしゃがみこんだ。
「俺はゴミじゃねえって顔してるな。クソ生意気だが気に入った。俺がくれてやれるのは、飯と屋根ぐらいしかねえがそれでいいか?」
立ち上がりトムの汚れの浮いたボサボサ頭に手を伸ばしてワシャワシャとかき回してやる。その手にはめた指輪が鈍く光った。あっけにとられるトムの目に映る俺はどのように見えるのだろう。せめて、あの日のジジイの半分も立派に見えてりゃいいがと願った。
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