第142話 死の饗宴
まったく悪趣味な舞台をこしらえたものだ。一辺が20歩ほどの中庭は建物の際の部分がかなり急な傾斜になっていた。よく磨きあげてあり、油でも塗ってあるのか、かがり火を浴びててかてかと光っている。子供たちは必死になってその斜面を登ろうとしていた。
俺は注意を反対側に戻す。中庭の中央には鉄製の太い柱が立っており、そこから鎖が伸びていた。その先端がつながっているのは頑丈な首輪。俺はその首輪がはめられている相手を見上げる。乱杭歯がはみ出した口からはよだれを垂らし、らんらんと光る眼は今日のディナーを映し出していた。
あっという声がして俺の足に何かがぶつかる。牢から助け出したガキのうちのどいつかが足を滑らしたらしい。上の方から笑い声が漏れる。優雅に着飾った連中のシルエットが夜空を背に浮かび上がる。手には酒器を持って本日のショーの始まりをいまや遅しと待っているのだろう。
「紳士、淑女の皆さま。大変長らくお待たせしました」
よく響く声が館の壁に当たって反響する。首輪をはめられたオーガが前に出ようとして鎖を引っ張った。ぐうっという声を漏らす。それを聞いて笑い声がまた起きた。何が紳士・淑女だよ。くそったれ。
「本日はいつもと少々趣向を変えてございます。館に忍び込んだ間抜けな鼠がおりましたが、首尾よく中庭に追い込むことができました。あまり美味そうではありませんが」
ここで嘲笑が巻き起こる。
「子供たちに比べれば多少は食いでがあるでしょう。さて、初めてのお客様もいらっしゃいますのでご説明をいたします。合図と共に鎖の留め金を外しますと、オーガを拘束している鎖は壁際の傾斜ぎりぎりに届く長さとなります。もちろん皆さまがいる3階までオーガの手が届くことはございませんのでご安心ください」
解説をする男の声に陶然さが加わった。
「食うもの食われるものの命がけの戦い。皆様にご満足いただけることと存じます。それでは死の饗宴の始まりですっ!」
ラッパが吹き鳴らされる。ジャリッと金属同士が擦れる音がした。
どたどたとオーガが突進してくる。片足の腱を切ってあるようで動きはそれほど速くはない。猛然と振り下ろす太い腕の下をかいくぐった。抜き打ちざまにオーガの足に切りつける。血しぶきがあがったが、この図体からすればかすり傷程度でしかないだろう。
それでもこの場に俺しか居ないなら、距離を保ちながら根気よく傷を付けていき最後は倒すことができるはずだ。問題はガキども。俺が距離を取りすぎるとオーガは鎖に引っ張られながらも傾斜の上の方から滑り落ちまいとする子供たちに必死に手を伸ばそうとする。
顔が充血し一旦オーガは後ろに下がった。首が締まって呼吸が出来なくなったのだろう。そうじゃなくてもダンジョンの外のこの環境はオーガにとって動きづらいはずだ。イラついたオーガがくぐもった声をあげる。大きな声を上げられないように喉を潰されているようだった。
俺は剣を振り回してオーガの注意を引く。両腕を伸ばしてつかみかかろうとするのを、小刻みに後ろに跳びながらかわす。オーガはくるりと振り向くとガキどもの方に向かおうとした。俺はため息をつきながら駆け寄って、オーガの太いふくらはぎにショートソードを突き刺す。もう一方の足が後ろに蹴りだされ間一髪でかわした。
「おおっと、鼠の割にはなかなか健闘しています。ちょこまかと動き回っている様はまさにドブ鼠のようだ。しかし、悲しいかなほとんどオーガにダメージを負わせていない。果たしていつまで持ちこたえられるか。あっ。子供の一人が滑り落ちたぞ。目ざとくオーガが見つけたあっ!」
興奮して喋り散らす男の声が癇に障る。オーガが蛙のようにしゃがみ込む。まずい。ガキは恐怖に顔を引きつらせて後ずさるが全く傾斜を登れていない。オーガが跳躍すれば捕まってしまう。ここで後ろから一太刀浴びせたところで無駄だ。くそ。
「これは絶体絶命だ。まずは一人脱落か?」
俺はすぐそばにあった鎖の輪を通すように逆手に持ったショートソードを地面にたたきつける。オーガが跳躍するとショートソードが物凄い力で引っ張られた。ピンと鎖が張り詰める。絶叫しながら俺は死に物狂いでショートソードを支えた。なんとか耐えることができる。オーガが跳ねたのでなければ持っていかれただろう。
ほっとするのも束の間だった。深く突き刺したショートソードは今度は俺の力では抜けなくなってしまっていた。怒りに燃えたオーガが俺の方に向かってくる。俺はショートソードを諦め、オーガの腕から逃げ回った。
「これは愉快だ。折角の工夫が仇となったか? もう武器はないぞ」
俺は大きく後ろに下がってオーガから距離を取る。手すりから身を乗り出してべらべらとしゃべる太めの男を見上げると肩のナイフを投擲した。きらりと光るナイフは空中を飛んで、ムカつく野郎の大きく開けた口の中に飛び込む。ぐらりと傾いだ男の体は手すりを超えて落ち、傾斜で弾んで中庭に転がった。
上の方から悲鳴と下卑た笑い声が同時に上がる。悲鳴を上げる方がまだ人間らしいと言えるのだろうか。俺の思いを別にオーガはようやくありつけた食物に飛びつくと腕を引きちぎって口に入れる。バキバキと骨ごとかみ砕き、口から赤い血を垂らして満足そうに咀嚼するオーガから俺はそっと距離を取ろうとした。
「あのクソ野郎を撃ち殺せ」
上の方で怒鳴り声がする。シュっという音が聞こえて俺は体を捻った。ついさっきまで俺の体があったところを数本の矢が通過して地面に刺さる。頬に鋭い痛みを感じた。遅れて飛んできた1本は最後に残ったナイフで切り払う。
見上げると星空を背にクロスボウを持った数人の人間の姿が見える。一旦引っ込んだのは次弾を装填するためだろう。オーガの方を見るとまだ食事中だったが、もう男の体はほとんど残っていない。あの男で満足してくれればいいがそうもいかなさそうだ。
さすがにオーガの相手をしながら矢をかわし続けるのは不可能だ。手元に残ったナイフでオーガを仕留めるのも至難の業。
「次は外すなよ」
射手を叱咤する声を聞きながら、少しでも時間を稼ごうと俺は深呼吸をして身構えた。
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