第5話 死んだ方がまし

 ♡♡♡


 周囲には色とりどりの明かりが灯り、賑やかな喧騒がそこかしこで生まれていた。楽しそうな笑い声、美味しそうな食べ物の匂い。ぐううとお腹がなった。砂混じりの半分腐った野菜入りの薄いスープを最後に口にしたのはいつだろう。もう、この世に未練はない。だけど、もう一度でいいからお腹いっぱい食べたかったな。


 首輪につけられた鎖が重く、自然と首が下を向いてしまう。髪の毛をぐいとつかまれて上を向かされた。

「おい。お客様に顔を見せろって言ってんだろ」

 ぼんやりと視線を向けた先には着飾った複数の男女がいた。


 私を見て顔をしかめたり、地面につばを吐いたりしている男。視線を背ける女もいる。だけど、私に向かって指さし手を挙げるものなんて誰もいない。左右を見ても杭には誰もつながれていなかった。そっか。また、私だけ残っちゃったんだ。私の髪の毛をつかんでいる男が後ろに向かってだみ声を出す。


「ボス。時間の無駄ですぜ。こんなガキ買おうなんて酔狂な客いませんよ」

「年1回の感謝祭なら財布のひもが緩んだのがいるかと期待したんだが」

「もう、いいじゃないすか。こいつはエサってことで。さっさと店じまいして俺達も祭りにくりだしましょうよ」


 その時、周囲とは雰囲気の違う男の人が近づいてきた。真っ赤な顔ををして目だけをぎょろぎょろさせてフラフラと歩いている。私は自然と身をこわばらせた。憂さ晴らしに私たちにひどいことを言ってからかったり、ごみを投げてよこすような人かもしれない。


「おい。一応売りもんなんだ。金もねえのに近づくんじゃねえ」

 私の髪の毛をつかんでいた男が手を放して前に出る。

「あん? 金がねえだと。てめえ、どこに目つけてやがんだ?」

「まったく、酔っぱらいが。すかんぴんに買えるわけねえだろ」


「……いくらだ?」

「金貨3枚だ。ほら、払えねえだろ。下がった、下がった」

「買った」

「は?」

「だから、買ったと言っている」


 あれよあれよという間に鎖が外され、私は面白くなさそうな顔をした男に引き渡された。男は私の腕をつかんで、あてがあるのかないのかどんどん歩いていく。

「どいつもこいつもバカにしやがって……。やってやる」

 とっくに希望なんて失っていた私の心は絶望に黒く塗りつぶされた。


 奴隷は物だ。持ち主が手足を引きちぎろうが全身を切り刻もうが罪には問われない。男の横顔を見る。眉間にしわを寄せ、口の端を下げ、機嫌が悪そうだ。町はずれの公園に入って行き、城壁のそばのくぼみのところで立ち止まる。

「ああ。クソ眠い」


 男は肩のところを触ってマントを外すとそれをかぶってくぼみに身を横たえた。目をつぶるとすぐに軽いいびきをたて始める。私は途方に暮れた。夜も更けて来て風が出ている。ボロ布がまとわりついているだけの体が冷えた。半口を開けて寝ている男の顔は先ほどまでの恐ろしい感じはしない。


 身をかがめると少しは風が当たらないが、それでも寒くて仕方なかった。男に近づくと体から温もりを感じる。体を丸めて側に寄った。いびきが止まり、私が顔を上げると男が半眼を向ける。とたんにマントがばさっと私にかけられた。不意のことに固まっていると、またいびきの音が聞こえ始める。その音を子守唄に私も眠りに落ちた。


 ***


 私を買ったハリス様と出会って7日になる。あまり口数も多くないし、何を考えているか良く分からない。でも、とてもやさしい人だ。私の体も治してくれたし、殴ったり鞭打ったりもしない。それに食べ物をきちんと食べさせてくれる。


 あの日、自分では食べずに私にくれた鶏のもも肉はとても美味しかった。もう死んじゃってもいいかなと思えるほど。それは別格にしても、野宿するときに、ご主人様は自分だけ食べたりはしない。パサパサのビスケットと固くて塩辛い干し肉だけど、ちゃんと私にも分けてくれるし、木に登ってりんごを取ってきてくれたこともある。


 分けてくれるというか、自分ではあまり食べないで、私にばかりくれることが多いぐらいだった。食べずに小さな容器からお酒を飲んでいたりする。酔うほどじゃないけれど、ちょっと目つきが据わった。その時だけはなんかちょっとだけ値踏みをされているようで不安になる。


 あと1日で着くと言われて坂道を登っていたら、後ろから奇声が聞こえた。醜い顔をしたモンスターが3体、私たちの方に向かってくる。手にはギラギラした剣を持っていた。嫌な記憶がよみがえる。私がまだ小さかったころ、お父さんはモンスターから私達をかばったときの傷が元で死んでしまった。今はご主人様のお陰でだいぶ薄くなったけど、そのときに付いた頬の傷……。


 お父さんよりも細い体のご主人様は、私の手を引いて走り始めた。一生懸命に走るけど、いつまでもモンスターが後ろからやってくる。繰り返し耳に入ってきた呪いの声が頭の中でこだまする。

「あいつも不具の娘なんざ差し出せば死なずに済んだのに」


 ご主人様は助けないと。どうせ死んでもいいと思っていた私にこれだけ親切にしてくれたご主人様。きちんと恩返しをしなきゃいけないのだけど、それもかなわなさそうだ。

「このままじゃ追いつかれます。私を置いて行ってください」


 早く。早く。あの剣で切られちゃう。ご主人様は私の力じゃびくともしない。懇願する私の手をやさしくトントンと叩いてご主人様はモンスターの前に出た。がくがくと膝が震えながら目をやるとモンスターが剣を大きく振りかぶる。私はぎゅっと目をつぶった。

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