第94話 饗応

 俺はあんぐりと開けていた口を閉じる。それを見てコンバの母親であるジョスリーンはえくぼを見せた。

「どうかなさいました?」

「あ。いえ」


 散々コンバがおっかないと言っていただけにガーゴイルみたいな険悪な表情の女性を想像していた。紹介されてみれば、俺とそう離れていない年齢のはずなのに、肌の色つやも良くスタイルも抜群。こんな山間の集落よりは、王都の歓楽街の方がよっぽど似合う。


「遠いところをよくいらっしゃいました」

 深々と頭を下げる。

「あ、こちらこそお招きいただき、また日頃から数々のお心遣いをいただいて、ありがとうございます」


「まあ。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。どうぞこちらへ」

 自ら前に立って案内を始める。騎乗ズボンに包まれた形のいいヒップが揺れるのから無理やり目をはがす。すれ違う荒くれ達は皆緊張した面持ちで脇によけ頭を下げた。俺が振り返ってコンバを見ると、弱々しい愛想笑いを浮かべる。


 あてがわれた部屋で荷ほどきをした。ゼークトから渡されたアリスからの手紙を取り出す。ティアナやジーナがいる場所で読む気にはならず、ずっと未開封のままのものだ。封を切ると意外に几帳面な文字が目に入る。要約すれば、情報収集頑張ったからお願いした件をぜひ実現してね、ということだった。


 食堂の従業員なのに字が書けるというのも、文面からは直接内容が読み取れないように配慮してあるのも意外だ。頭からっぽの尻軽女と見ていると後で痛い目を見るかもしれない。俺なんぞに執着する必要もないと思うのだが、ひょっとするとレッケンバッハ伯爵あたりが厄介払いを目論んでいる可能性もある。


 どう返事をするか思案を巡らせているとコンバがやってきた。

「兄貴。夕食の前に温泉つかりませんか? 体もあったまりますし、疲れも取れるっすよ」

「へえ。ここには温泉があるのか。話には聞いたことがあるが入ったことはないな」


 折角なので案内を頼んだ。脱衣所にショートソードは置いていくが、ナイフは1本持って行った。

「こんなところまで持ってくんすか?」

「万が一の用心だ」


 温泉には丸木で屋根が組んであり雨でも入れるようになっていた。最初は冷えた体に熱く感じられた湯も次第に心地よくなってくる。

「こいつは悪くないな。家にも欲しいぐらいだ」

「そうなんすよ。気に入って貰えてよかったっす」


 しばらくのんびり過ごしているうちに辺りが暗くなってきた。温泉を出ると大きな広間に案内される。いくつものテーブルが並び、多くの人が着席していた。コンバに奥の主賓席に案内される。同じテーブルには中央にジョスリーンが座り左右が空いていた。左に俺、右にコンバが座る。ジョスリーンが簡単に俺を紹介し宴会が始まった。


 次から次へと酒の入ったフラゴンを持った男女が俺の席にやって来て杯に酒をそそぐ。木材ギルドの幹部連中だった。ジョスリーンが紹介するが途中から誰が誰だか分からなくなる。随分と杯が小さいなと思ったが、俺への配慮だったようだ。ここでは相手の健康を祝いながら杯を干すのが礼儀らしい。


 一通り酒を飲んだらあとはぐっと砕けた雰囲気になる。とりあえず俺の飲みっぷりは合格だったようだ。運ばれてくる料理に手をつけながら話をする。なんだかんだでコンバは好かれているらしい。しきりとの活躍を聞きにやって来る。いくつか格好のいいエピソードを話してやるとやんやと喝采があがった。


 コンバは照れたり笑ったりしていたが、話が一段落したところで俺の話をし始める。コンバの語るところでは俺は別人のように脚色されていた。勇略知仁を兼ね備えていると吹聴されて、こっぱずかしいったらありゃしない。それでも周囲は素直に感銘を受けているようだった。


 広間の隅で吟遊詩人の弾き語りが始まり宴会はますます盛り上がりをみせる。創造と生物の成長を司るナーダ神の物語が始まった。冒険あり恋ありの波乱万丈の歌に皆が唱和する。どうやら主賓の役割を果たせたとほっとしているとジョスリーンが俺の袖を引いた。コンバを目で探すが遠くの方で誰かと肩を組みながら半分寝ている。

「ハリス様。少々お疲れでしょう。こちらでお休みされては?」

 

 途中まではジョスリーンの案内で進む。

「ちょっと失礼をいたします。お先にお出でになさっていてください」

 ジョスリーンはすっと消えて、代わりに若い女性が現れる。宴会の賑やかな声が微かになるほど離れた場所にある部屋に通された。二人掛けのテーブルの上に酒器と料理を並べると女性の姿が消える。奥にはもう一部屋あるようだった。


「お待たせいたしました」

 入り口を振り返ると先ほどまでの盛装からゆったりとした服に着替えたジョスリーンが頭を下げた。豊かな谷間が嫌でも目に入ってしまう。そそと寄ってきてテーブルの横手に座った。濃厚な香水の匂いが満ちる。

「山中の洞窟で熟成させた葡萄酒です。さ、どうぞ」


 杯に注がれると血を思わせる透明な液体は芳香を放った。俺がジョスリーンの杯に注ぐと高く掲げる。

「ハリス様の健康と幸せに」

「ジョスリーン様の健康と幸せに」


 ジョスリーンは喉を見せながら玻璃のグラスをくいと空けた。結構飲んでいたと記憶しているのにいささかも乱れていない。俺は少しきつくなっていた。饗応を受けた料理はいずれも味が濃く、ついつい酒が進んでしまったせいかもしれない。俺も礼儀上グラスを空ける。


「お見事な飲みっぷり」

 ジョスリーンはさらに酒を勧めてきた。酒で働きの濁った頭が警鐘を鳴らす。

「主催者が長く席を外してよろしいのですか?」

「私どもの酒席は流れで解散ですので問題ありませんわ」


 ジョスリーンは艶然と微笑む。

「日頃愚息がお世話になっているハリス様には感謝しかございません」

「あ、いや。私の方こそ息子さんには助けられていますよ。先ほど活躍ぶりはお聞かせしましたでしょう?」


「あら。愚息に恥をかかせないようにいいことだけを話されているのは知っていますのよ。あの子からは全て聞いているのですから。何度かハリス様のお陰で命を救って頂いていることも。母としてどうお礼をしたら……」

 ジョスリーンの手が伸びて俺の手に触れた。

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