スペシャル2 幸福な男の不幸

 まあ、これで文句を言ったら天罰が下るんだろうな。俺は漏れそうになったため息を飲み込む。右手に持った錠は開く気配が無い。思うように動かない左手を握ったり開いたりを繰り返す。こういった動作は支障なくできているように見えるが、やはり鍵開けの繊細な作業をできる水準までは回復していなかった。


 神龍姫の術が無ければ俺は死んでいる。その術の後遺症で左手で精密作業ができないということはやむを得ない。そこは良く理解していた。だから恨むなんてことは無い。迷惑をかけられていたアホ犬ニックスの正体が神龍姫だったということは、その判断に微塵も影響を与えていない……はずだ。


 しかし、恨みこそないものの、現実問題として飯を食っていくためには働かねばならず、この腕の状態には困りもの。俺にできることはスカウトだけだ。その肝心の技術が使えないとなったら、どうやって食って行けばいいのやら。幸いにして右手は動くので剣は振るえる。とはいえ、前衛でやっていけるほどの技量かと言えば不安しか無かった。


 縫い物をしているティアナの様子をそっと観察する。色々な偶然と幸運が重なって、俺の妻となってくれた愛しい女性。いまだに自分が夫として相応しいか悩むところがあるが、なってしまった以上は、夫としての務めをきちんと果たしたいと思っている。


 俺の調子が良くないと聞いて、ティアナは、だったらしばらくは私が働きに出ますと言った。俺の沽券に関わると、拝むようにしてそれだけはやめてくれるように頼んだ。冒険者ギルドに預けておいた蓄えがいくばくかは残っているのでしばらくは生活に困ることは無い。二人だけなら相当長く食いつなげるんだが……。


「僕たちの勝ちだよ。兄ちゃん」

 テオが歓声をあげ、トムが悔しそうなそぶりを見せた。ミリーが手を叩き、一番ひょろっとしているゼルが唇を尖らせている。盤上の駒を片付けるとチームを変えて次のゲームを始めた。


 こいつら4人も良く食うからなあ。面倒を見てやると言った手前、食事だけはきちんと与えているが、それにしてもよく食べる。変に遠慮しない方が子供らしくていいといえばその通り。それに加えて、俺が死んだと聞かされていた間のティアナの心の支えになってくれていた恩もある。さて、食い扶持はどうしようか?


 この場所に送り出される前にエレオーラ姫に念押しされた件を思い出して渋い顔になった。姫さんは相変わらず俺を担ぎ出すことを諦めてはいない。指に嵌めたジジイの遺品の指輪が鈍い光を放った。大切な品ではある。その一方で俺を縛る鎖の役割も果たしていた。ふう。


 まったく、この年にもなって、このザマじゃジジイに笑われるだろうな。もしこの場に居れば、朗らかに笑って、きっとこう言うんだろう。

「悩め。悩め。お前の人生を決められるのはお前だけだ。悩んで出した結論ならワシがいくらでも応援してやろう」


 ジジイも後事を託すなら俺より頭の切れるホフマンにすればいいものを、よりにもよってこんな半端者にこの指輪を遺すなんてな。あれだけの器量を持っていたジジイにできなかったことが俺に出来るかよ。まあ、難しいことはゆっくり考えよう。まずは体を元に戻してからだ。


 俺の体に残る不具合を治すには高位の神官による継続的な治療が必要だということだ。残念ながら、友の会の証で受けられる治療の範囲には入っていない。となるとそれなりの治療費が必要になるが、それを稼ぐには体が万全じゃ無いと難しい。思案は堂々巡りになる。


 一時的に大金を貸して貰えそうな相手は何人かいるが、どれも借りを作りたくない相手ばかり。王国内の知り合いはエレオーラ姫の一派なので、誰から借りても、結局は姫さんの思惑に乗るようにと条件を付けてくるだろう。ゼークトはそんなことをしないはずだが、嫁さんへ断りなしには金を自由にできないしな。ルフト同盟のミコネン商会当主のオーバルトから大金を借りるのは政治的によろしくない。


 金が無ければどうしようもないかといえば、一つだけあるにはある。エイリアさんにお願いすれば笑顔で協力してくれるのは間違いない。それこそつきっきりで治療を行ってくれるだろう。しかし、その代償も決して小さくは無い。再びティアナの方に視線を走らせる。やっぱり駄目だ。


 俺は悩むのをやめ、錠をテーブルの上に置く。ちょうど次のゲームが終わったタイミングを見計らってガキどもに声をかけた。

「油代も安くねえんだ。とっとと寝ろ」

 文句を言いながらも、渋々と言いつけに従う。


 テオが不用意な発言をし、俺はガキどもからコップを回収した。まったく、このませガキどもめ。不服そうにトムが唇を尖らせる。今まで通りに動く右手で唇をつまんだ。

「いい加減にしないとケツ引っぱたくぞ」

 トムは俺の手を振りほどく。


 べえ、と舌を突き出すとトムは自分たちの寝室に駆けて行った。残りの三人も後を追う。あの調子だとまだ何かを隠し持ってるようだが、これ以上手間をかけるのも面倒くさい。どのみち、あいつらがどれだけ耳をすませようが、壁にコップをつけようが聞こえやしないのだ。


 家の中の戸締りを確認して歩く。ノルンの家に比べると簡易的な仕掛けのものばからいだ。俺も寝室に入り、ベッドの頭のところの台に愛用のショートソードを置く。何も無いとは思うが用心するにこしたことはない。ランプの灯を消して、ベッドに身を横たえるとティアナが抱きついてくる。


 するりと体を入れ替えて、ティアナの上になり、そっと額に口づけをした。柔らかな頭髪が鼻先をくすぐる。深く息を吸い込むといい香り。眉にも唇を押し当てる。ティアナは少しくすぐったそうに身をよじらせた。それから体をずらし、口づけを交わす。


 ああ、くそ。これだけ愛おしいというのに。俺の体に残った不具合は左腕だけじゃなかった。大事な場所がピクリとも動かない。勘弁してくれよ。リクエストに応えて、もう一度長いキスをする。ティアナが俺を気遣うので、髪の毛を撫でてやった。

「俺はお前が腕の中にいるだけで十分に幸せだ」


 その言葉に嘘は無い。嘘はないけれども、やはり辛いのも事実だった。まあ、仕方ねえ。気長に構えるか。

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