第59話 良妻の条件

「なあ、ゼークト。その嫁候補の範囲はどこまでなんだ?」

「俺が顔を合わせた範囲だな。まず、お前と同居している3人とエイリアさん、それに確か長剣を下げた腕の立ちそうな女性……」

「キャリーさんだな」


「ああ。そうだ。共通の未婚女性の知人っていうとこんな感じだろ?」

「だな。で、なんで、ジーナ一択なんだ?」

「何度か話をしてみたが彼女は機転がききそうだ。さっきも言っただろ。ここで選べって」

 ゼークトは自分のこめかみを指さす。


「そうは言うがな。性格は考慮しなくていいのか?」

「その点は全員合格だろう」

「まあ確かにそうかもしらん」

「それで、ミーシャさんにはタックがいる。いきなり父親というのもしんどいだろう?」


「そうだなあ。タックは父親のことも覚えているし、これから俺が父ちゃんだよと言ってうまくやっていける自信はないな」

「残ったうちジーナさんを除く2人には1点問題がある。ハリス。お前はティアナ嬢を手放すつもりはないんだろ? あの2人は夫に愛人がいるのを許すタイプとは思えんが?」


「おい。どうして、俺が愛人持つ前提なんだよ?」

「そりゃあ、お前があの娘に気があるのは一目瞭然だからさ。まだ手は出してないようだけどな」

「つーか。だったらティアナが嫁でいいじゃねえか。いや、別にティアナがいいとかそういうんじゃ……」


 ゼークトは不思議そうな顔をする。

「ああ。ハリス。お前知らないんだな?」

「何がだよ?」

「国法で解放奴隷と元主との婚姻は禁止されてるぞ」

「なんでだ?」


 ゼークトは説明する。スミノフ公爵というのが若い女奴隷に入れあげた挙句に奴隷解放して結婚し、子供ができたら跡継ぎにすると言いだし揉めにもめたそうだ。有力な貴族だけに親族を巻き込んで内乱にまで発展しかけたらしい。そこでカンディール4世が下した判断が、解放奴隷と元主との婚姻禁止だった。もちろんスミノフ公爵の結婚も無効になる。


「だから、あの娘を愛人にすることはできても結婚はできないんだ……」

 俺は考え込む。まさかそんな法律があったとは。最初はほんの軽い気持ちだったし、抱ければいい程度にしか考えていなかった。ただ、最近はそれ以上の感情が芽生えつつある。


「おい。ハリス。聞いてるか?」

「ああ」

 ゼークトが痛々しい表情をした。いつの間にか近くに来ていたニックスがアホ面を俺の足にこすりつける。ノミを移すつもりか?


「どうするのかは良く考えろ。とりあえず、すぐに子供は作るな。これは知ってると思うが、奴隷の子供は父親が誰であろうと奴隷だ。罪作りなことはするなよ」

「……ああ。分かってる」


 ゼークトは軽く馬腹を蹴って離れていき、しばらく俺は一人で悩んだ。しかし容易に答えは見つからない。ティアナの笑顔を見たいという自分の気持ちに気づいてしまった以上は俺の取れる選択肢はほとんどない。奴隷身分から解放したら子供の身分の問題は解決する。しかし、正式に妻にしたいという男が現れたら、ティアナは心を奪われるんじゃないか。悩みが尽きぬまま今日の野営の時間を迎え、気が入らぬまま手ごろな場所を探した。


 馬車が止まると同時に馬車の扉が開いてティアナがぴょんと飛び出してくる。俺の姿を見つけると駆けてきて不安そうに俺を見上げた。

「あの。ご主人様?」

 くりくりと良く動く目が俺を透視するかのように観察する。


「なんだか元気がないようですけど……。それはそうですよね。私たちは馬車に乗ってましたけど、ご主人様は歩きづめですもの。私なんかが楽をして申し訳ありません」

「気にするな。俺は慣れてる」

「明日は私も歩きます」


「バカ言うな。危ないだろ」

「トンネルの中じゃなければ大丈夫じゃないかってお姉ちゃんが言ってました。ダメですか?」

「なにもわざわざ疲れることはない」


 ティアナは両手を組んでお願いしますという顔をしている。まあ、いいか。確かにそこまで神経質になることもない。

「常に誰かと一緒にいるんだぞ。馬車の近くから離れないようにして、何かあったらすぐに乗り込むんだ」

「はい。分かりました。あ、そうだ。薬草茶用意しますね」


 ティアナは御者がおこしている焚火の側に走って行った。俺は周囲を調べて回る。一巡りして戻るとティアナが厚い手袋をした手でケトルを取り上げた。中身を銅製のマグにそそぎ、爽やかな香りのするそれを俺に差し出す。東の空に登り始めた細長い月を眺めながら少しずつ口に含んだ。


 舌を火傷しそうな熱さだが、疲れが取れるような気がする。そして、頷いて見せるとティアナが嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑顔の方が薬草茶よりも何倍も疲れには効きそうだ。


 翌日の昼過ぎには湖のほとりにある大トンネルの入口に到着する。しっかり体を休めてから、固く閉じた門扉の前まで進んだ。白い石でできた上屋にはびっしりと彫刻が施されている。それに反して鉄製の扉には何の装飾も無くそっけない。片側の扉にある覆いをのけると鍵穴が出現する。


「ゼークト。鍵をくれ」

「ない」

「ないじゃねえだろ。どうすんだよ?」

「お前なら開けられるだろ?」


「通行を禁止するために施錠されているのを勝手に開けたらまずくないか?」

「大丈夫だ。俺は通行を許可されている。だから心配することは無い」

 俺はため息をついて、バックパックから鍵開けの道具を取り出した。作業を始めると後ろからもの凄く強い視線を感じる。


 振り返ってみると興味津々といった様子で目を輝かせたティアナの顔を至近に見出しのけぞりそうになった。

「おわ。何やってんだ?」

「ご主人様の仕事ぶりをみるのは初めてなので」

「そ、そうか」

 

 気を取り直して鍵穴に道具を差し込む。ゆっくりと慎重に。さすがに大掛かりな仕掛けだけあってなかなかの難敵だった。異なった深度で上下左右バラバラの方向のピンを同時に押さえる必要がありそうだ。何本かまっすぐな鉄の棒を取り出して加工し、それを1つに束ねる。


「上手くいきそうですか?」

 ちっちゃな声が聞こえる。

「集中力が乱れる。静かに」

「はい。すいません」


 左手に持った即席の鍵を差し込んで、右手の道具の先端でしかるべき場所を探す。首筋に息遣いを感じてなかなか精神統一できない。ふうっと息を吐いて振り返るとティアナは口をぐっと引き結んでしゃべっていないことをアピールする。気を取り直して再チャレンジ。ガチャ。いつもの倍の時間がかかったが、やっと頑固な錠が俺に対して降伏した。

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