第92話 鶏と卵

 ♡♡♡


 ご主人様の家に帰った翌日にコンバさんが訪ねてきた。大きな籠を担いでいる。

「兄貴久しぶりっす」

「おお。元気だったか?」

「お袋にはいろいろ小言を言われたっすけどね。これお土産です」


「ずいぶんと大きなもんだな。中で何か動いてるぞ」

「鳥っすよ。裏庭に放しちゃっていいですか?」

「ああ。構わないがどうするつもりだ」

「これ寒さに強い品種なんすよ。冬場でも少ないけど卵を産むんで、これから卵を食べられるようになると思うっす」

 コンバさんは私が卵を割っちゃった話を覚えてくれていたらしい。


「あの物置の一部を鳥小屋に改良しちゃっていいすかね? 夜は小屋に入れるようにしておいてやった方がいいんすけど」

「じゃあ、頼む」

「了解っす。ちゃちゃっとやっちゃいますよ。で、姐さんはまだ帰ってないんすね?」


 翌々日の朝に裏庭を調べたら卵を2つ見つけた。嬉しくなって拾おうとすると鶏が猛然と襲ってくる。私の悲鳴を聞きつけたご主人様が血相を変えてやってきたけれど、状況が分かると苦笑をした。後ろから現れたニックスもふわわと大きな欠伸をし、タックは笑いだす。


「そんなに怖がることないだろう。たかだか鶏だぞ」

「お姉ちゃん鶏が怖いんだ。へええ」

「で、でも、爪も鋭いし、くちばしでつつかれると結構痛いです」

「村で暮らしてた時に鶏ぐらいいただろう?」

「うちにはいなかったんです。貧乏だったし」

 

「……そうか。じゃあ、これからは俺が卵を回収してやる」

「だ、大丈夫です。ちょっと驚いただけですから。次からは……」

 ニックスに追いかけられた1羽がバサバサと羽ばたきながら私の方に突っ込んできて私はまたきゃあと声を上げてしまった。


 ご主人様の方を見るとやれやれという顔をしている。私はどこかに身を隠したい気分になった。ご主人様は物置小屋に入ってごそごそやっていると手に何かを持ってやって来る。円形の板に取っ手がついていた。

「使わなくなった練習用の盾だ。小ぶりだからお前でも使えるだろう」


 ご主人様は私に盾を持たせる。ご主人様が後ろから私を抱きかかえるようにして手を添えた。

「いいか。目標に対して正面になるように構えて、相手が来たら押すんだ」

 私の手を取って何度か動作を繰り返す。


「だいたい感じはつかめたか?」

 耳元で言われて振り返るとご主人様と間近で目が合った。なぜか頬が熱くなる気が気がして慌てて前を向く。

「たぶん大丈夫です」


「おい。タック」

「なんだい。おじさん」

「鶏をティアナの方にけしかけてくれ」

 タックが元気に追いかけまわし始める。


 私の方に追い立てられた1羽がジャンプしたところへ、私の手を握ったご主人様が盾を押し出した。手に衝撃が伝わり、鶏がぽすんと地面に落ちる。コッコッと鳴きながら鶏は私から逃げて行った。

「やった。やりました」


 ご主人様は私を褒めてくれる。

「なかなかうまいぞ。何度かやってれば、向こうがティアナを避けるようになるはずだ」

「お姉ちゃんいいなあ。おじさん。俺にも持たせてくれよ」

「これは遊び道具じゃねえ」


 やっとの思いで手に入れた卵を使って食事を出す。買ってきたものよりおいしい気がして、そう言ったらご主人様も頷いていた。食事の後片付けをして、洗濯物を片付ける。また鶏に襲われるかと心配したが、ニックスがついて回ってくれたせいか、あまり邪魔されずに済む。中に入るとお姉ちゃんが帰って来ていた。


 久しぶりに会ったお姉ちゃんは疲れた表情をしている気がする。

「やっぱり実家に帰らなきゃ良かったかしらね」

「どうしたんですか?」

「想像通りお見合い話が山ほどあったわ」


「いい人はいました?」

「世間的には悪くは無いんだろうけど、冒険者を辞めるのが条件なの。まあ、魔法の研究もやめて欲しいのが本音なんだろうね」

 ご主人様が首を横に振っている。この話はもうするなと言うことらしい。


 ご主人様とお姉ちゃんならお似合いだと思うんだけどな。お互いに信頼しているのは私にも分かる。でも、やっぱり好きというのとは違うのかな? 知らない人がご主人様の奥さんになって、私と性格が合わないと大変だ。その点お姉ちゃんなら心配ないから私は嬉しいのだけど、私の都合は関係ないだろうし……。


「ああ。そうだ。ジーナに贈り物があるんだったよな」

 ご主人様に言われて巻物を取りに行く。

「これお姉ちゃんに。呪文書らしいです」

 お姉ちゃんは巻物を広げて目を通した。


「なにこれ。どうしたの?」

 お姉ちゃんの声が弾んでいる。

「マルホンドさんて人に貰いました」

「魔法学院の? あの変人からどうして?」


 ご主人様が説明する。最初は眉間にしわを寄せて聞いていたお姉ちゃんも最後はゆるゆると首を振った。

「ティアナの力のことを本人に言うのは賛成じゃなかったのだけど、そういうことじゃ仕方ないわね。それでこんな貴重なものを貰っちゃっていいのかしら?」


「そんなに凄いものなのか?」

「まだ私も全部を読み切れていないんだけど、冷属性の攻撃魔法の呪文書よ。こんな術式聞いたことがない……」

 呪文書に没頭するお姉ちゃんにご主人様は肩をすくめる。

「まあ。喜んでもらえたようだし良かったな」

「はい」


 お姉ちゃんの表情が明るくなったので良かった。マルホンドさんのことはまだ許せないけど、少しだけ見直すことにする。薬草茶を入れてお姉ちゃんのところに持っていった。真剣に呪文書の文字に指を添えながら何かをつぶやいているお姉ちゃんはかっこよくて素敵だ。


 そこへコンバさんがやって来る。

「どうも兄貴。鶏はどうです?」

「ああ。早速卵を料理して頂いたよ。礼を言うぜ」

「いやあ。そんな。あ。姉さん。お久しぶりっす」


 コンバさんが声をかけるがお姉ちゃんは呪文書に夢中で気が付かない。コンバさんは悲しそうな顔をする。

「ああ。ジーナの奴は手に入れた呪文書に夢中なんだ。ティアナが茶を持って行っても気づかないぐらいだぜ。やっぱり魔法士ってのは変わってるな」


「そうすかね。あ、そうだ。兄貴。お願いがあるんすけど」

「なんだ?」

「うちのお袋がぜひ兄貴を招待したいっていうんです。どうすかね?」

「まあ、色々と世話になってるしな。一度俺からも挨拶した方がいいだろうなあ」

 ご主人様の返事にコンバさんは不自然なほどに喜んでいた。 

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