第91話 タレコミ

 何かが俺の額を叩き目を覚ます。薄明かりの中で透かして見た。ティアナが寝返りをうち、手の甲が俺の額に当たったらしい。すっかり目が覚めてしまったが、加害者は眠ったままだ。ただ、変な夢でも見ているのか、時折苦し気な表情を見せた。手を握ってやる。しばらくすると反対側にころんと転がった。


 眠れそうにないので夜の散歩に出ることにする。手早く着替え、ベッドサイドにメモを残した。自宅でも時おり暗視の訓練のため出かけることがあるが、よその家で一人にされたらティアナが不安がるだろう。寝たら朝まで起きないが念のためだ。ちょっとだけ思案をして、いたずらっ気を起こすことにした。


 窓を開ける。与えられた部屋は3階だ。窓枠に鉤づめを引っかけて綱を滑り降りる。スナップを効かせて綱を振り鉤づめを回収する。庭を影のように走った。裏通りに面した塀のすぐそばの木に向かおうとしたときに背後に人の気配を感じる。ちっ。さすがゼークト、家人も優秀だな。


 言い訳をしようと振り返るとキャリーが呆れた顔で近づいてきた。

「こんな深夜に何やってんのよ?」

「眠れんので散歩だ」

「ティアナを置いて、窓から忍びだして?」


「信じられんかもしれないが散歩だよ。それ以上の意味はない。まあ、ちょっと腕試しも兼ねてるが」

「それって友人の家でやること?」

「赤の他人の家だと切られるかもしれないだろ」


「それで、どこに行くの?」

「適当にその辺を」

「じゃあ、私も行く」

「は?」

「承知しないと騒ぎ立てるわよ」


 仕方ないので承諾する。ただ、俺の後はついて来れないので、表門から門番に言って出るように指示した。俺は当初の予定どおり木に登って、枝の先の方まで行き跳躍して裏通りに降り立つ。屋敷の周りを巡ってキャリーが出てくるのを待った。まいても良かったが新年そうそう嘘をつくのも気が引けた。


「それこそ親父さんにこんな姿を見られたら面倒なことになるだろうに」

「その時は仕方ないから正直に話すわよ。罠にはめられて弱みを握られているのであなたには逆らえないってね」

「そりゃ、俺の首が飛ぶな」


 俺はぶらぶらと歩きながら疑問をぶつける。

「それで、キャリーさんはあんな時間に庭で何をしていたんだ?」

「私も眠れなくてちょっと散歩してたの」

「……親父さんのことか?」


「まあね。騎士一筋で頑固者だから。悪い人じゃないし腕も確かよ。ただ、父の反対を押し切って私が騎士になったから、今の私の境遇には、ほら見ろって感じでね」

 俺はその点にはあまり言えることはない。前方に目当てのものを見つけ、そちらの方にゆっくりと近づいていった。


 すっかり葉を落とした楡の大木が通りの中央に立ち、道はそれを迂回していた。この町で一番高く立派な木だと思う。その下に立ちてっぺんを見上げた。昔はもっと高かったと思ったが、それは俺が小さかったからなのか。枝を透かして寒々とした月が見降ろしている。視線を下げて正面に立つ屋敷の閉じられた門を見た。一応は維持されているものの長い間使われていないのは明白だった。


 感傷に浸ったのはほんの一瞬で、またぶらぶらと歩きだす。無性に飲みたくなった。ティアナがむくれるが今日ぐらいは勘弁してもらおう。下町の方へ足を向ける。少しは落ち着いたもののまだ人通りは多く、店も開いていた。どこかに入ろうと左右を見ているとガキが寄ってくる。

 

「小銭をめぐんでくれよ」

 汚い手を差し出した。今日は随分とたかられるな。まあ祭日だからか。拳を振り上げるが怯えることもなく更に近づいてくる。

「おじさん。命を狙ってるやつがいるよ。俺聞いちまったんだ」


 ガキの目を見て思い出す。一昨日ミーシャの財布をすったガキだ。

「この女の人がおじさんのことをハリスって呼んでたよね。俺、勝手に潜り込んで寝泊まりしてる馬小屋があるんだけどさ。そこで若い男がジュゼッペに袋を渡しながら、ハリスって盗賊を殺ってくれって言うのを聞いたんだ。俺すぐにピンときたんだ。おじさん俺のスリ見破るし、その風体だもん」


 俺はガキの胸倉をつかんで脇道に引きずり込む。

「ジュゼッペって裏街の使い走りをしているやせっぽっちか」

「うん。そうだよ。良く知ってるね」

「で、なんで俺に知らせようと?」


「この手首の恩人だからね。それに駄賃くらいは貰えるでしょ?」

「ガセじゃねえ保証がないな」

「ひどいな。この人混みの中を探し回ったんだよ。小銭だけが目的なら酔っぱらいを介抱して懐のものを貰った方が効率がいいじゃんか」


「そりゃそうだ。じゃあ、頼んでた方はどんな奴だ?」

「若い戦士ふうだった。名前は分かんない。髪は黒かったかな。そうだ。左目の下のこの辺に目立つほくろがあったよ」

 俺はちょっと考えると懐から銅貨を数枚と銀貨を1枚取り出す。


「名前は?」

「トムってんだ」

 俺は銭を握らせる。

「よし。トム。知らせてくれてありがとうよ」


「信じるんだね」

「ああ。もし襲撃があったら探し出して後金をやる。そのときはザックとでも名乗って探すから名乗り出な。それじゃ、お前は向こうの通りに行け。物乞いがうまくいったフリでもしろよ」

「はいはい。じゃ、せいぜい生き延びて俺に金くれよ」


 俺が蹴飛ばす真似をするとひゃあと言ってすっ飛んで逃げて行った。周囲を確認するが、酔客だらけで俺達に注目している者はいない。適当な1軒に入ってカウンターの端に腰を下ろす。


「あの話信用できるの?」

「まあな。俺に含むところがある野郎の人相と一致している」

「冒険者ってのはそんなに恨みを買うものなのかしら?」

「俺の人徳がなさすぎるんだろうさ」


「ずいぶんと落ち着いてるわね。勝てる自信があるの?」

「裏街が絡んでるとなるとやっかいではあるな。まあ、今回はトムのお陰である程度身構えることができる。それだけで段違いさ」

「思ったより色々と訳ありなのね。さっきは別の物乞いに銀貨2枚も与えてたし」


「あれはまた別件だ。ちょっと事情は話せないけどな。個人的なことさ」

「ふーん。それで一人で何とかなるの? 私の助けがいる?」

「ああ。とりあえず、悪いがここの払い持ってくれないか? さっき、あのガキに持ち合わせ全部渡しちまった」

 俺が頬をぽりぽりかきながら言うとキャリーは盛大にため息をついた。


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