第103話 お守り
エイリアの依頼で出かける身支度を終える。テーブルに座ったままのジーナがつまらなそうに手を振った。
「行ってらっしゃい」
今回の件は俺のみの指名で他の方はご遠慮くださいとエイリアがきっぱりと言ったため、ジーナは少々機嫌が良くない。
「神託じゃしょうがねえだろ」
「そんなの分かってるわよ。でも嫌なものは嫌なの」
「シノハ村の先まで行って帰って来るだけじゃねえか」
「はいはい。前回は遊びに出かけて拉致されたんだけどね」
俺のことを心配してるのが分かるので文句は言えないがジーナにしては子供っぽい感じだ。朝食の片づけを中断してティアナがやって来る。背伸びをしておれの額に唇を押し付けた。
「いってらっしゃいませ」
その様子を眺めていたチーチがやって来る。
「これを持って行って。あなたを守ってくれるわ」
差し出されたものは小さく丸まった布だった。何かのお守りかと受け取って広げてみると下着で俺は一瞬思考が停止する。
「あたい達の習慣では想い人に自分の身につけている物を渡して無事を祈るの」
「あ、ああ。そうなのか」
受け取ったものを突き返すわけにもいかず、とりあえず革鎧のポケットの中に放り込んだ。今回は仕方ない。次回からはもうちょっとおとなしめの物にしてもらおう。
ティアナが寝室にすっ飛んでいき戻ってくる。握りしめていたものはもちろんチーチのものより色気のない布切れだ。真剣な顔で差し出すそれを俺が拒めるはずもない。こうしてポケットにあまり人目には触れさせたくない物を2つ入れたまま俺は出かけることになった。
神殿までエイリアを迎えに行く。俺より少し年上の神殿長がしつこくエイリアのことをくれぐれも頼みますよ、と念押しした。元々神官というよりは役人臭のする人物だったが、自分の保身に汲々としている姿には俺は辟易する。まあ、エイリアに何か事故があれば大変なことになる立場だろう。
今回は旅というほどの距離ではない。ノルンから西に向かって田舎道を進んで一つ目がシノハ村。ミーシャが住んでいたところだ。そこから南に半日ほどの距離にあるのがウーズ村だ。ミーシャを息子の後添えにしようとしていたエロじじいが村長を務めている。その先には沼地が広がっていて行き止まりの辺鄙な村だった。
ただウーズ村は泥炭が採れるのでド田舎にしてはそこそこに裕福である。だからこそ村長が女に入れあげたりすることができるわけだ。神託によれば村を影が覆っているらしい。何か邪なものが入り込んでおり早々に退治が必要なのだが、誰でもいいというわけではないそうだ。
さらにお伺いを立てたところ、エイリアと共に行く資格があるとして啓示があったのがなんと俺。エイリアは分かる。お人好しでちょっと抜けているところがあるが聖女にも列せられようかという実力者だ。かなり高度な治癒魔法だけでなくメイスの使い手でもある。魔法や呪いに対する耐性もずば抜けて高い。
その点、俺はすべての点でそこそこだ。魔法は使えないし、剣の技量ならキャリーには及ばず、力ではコンバ以下。素早い動きが身上だが、反面装甲は厚くないので攻撃を避けそこなえば致命傷になりかねない。知識と精神集中で魔法への抵抗も多少はできるが、脳筋戦士よりはマシという程度で、まさに器用貧乏だ。
もうすぐ村が見えるだろうと思われる場所まで来ていた。
「ハリスさんのような頼れる方がいて本当に安心できます」
穏やかな笑みを浮かべるエイリアに力なく返事をする。
「期待を裏切らないように頑張りますよ」
「エピオーン様が選ばれたのです。もっと自信をもってください」
本来ならもっと喜んでもいいのだろう。清楚だが大人な美人さんと二人で道行きなのだから。他愛のない会話の端々に俺への親愛感もにじむ。
「本当のところ、レッケンバッハ伯爵とは何があったのです?」
昨夜ティアナにも同じようなことを質問された。エイリアの表情からすると大体の想像はついているようだ。
試合後にくつろいでいるところを侍女が誤解したのだろうと説明するとふふふと笑う。
「そのように思われるような恰好をしていたのですね?」
おや? その手の話は疎いのかと思えばそうでもないのか?
「噂好きの侍女にも困ったものですよ」
「憧れの伯爵様が取られると思ったら気が気でないのでしょう」
「想像力がありすぎですよ。私じゃ与太話にもならない」
「そうかしら。ハリスさんは十分に魅力的だと思いますけど」
「お。ウーズ村が見えてきましたね」
俺が話を逸らすがエイリアは乗ってこない。
「ティアナさんがハリスさんを慕うのも当然ですわね。チーチさんにとってもハリスさんは颯爽と現れた救世主ですし」
エイリアはそっと小さなため息をつく。
「ハリスさんにお会いしたのは私の方が早かったのですけどね。私に人を見る目があれば……」
俺は視線だけをエイリアの方に向けた。
「私は神殿という狭い世界で長く過ごしてきたので世の中をよく知らなかったようです。多少は冒険者の真似事もしていますけど、それでも世間知らずな面は多いのでしょうね。希少なものほど早くなくなるのは人も同じだと気付くべきでした」
エイリアの表情に僅かな陰りを見出して俺は驚く。
何と言っていいものか迷っているとエイリアは頭を振った。
「まずは仕事を片付けるのが先でした。ハリスさん。村の中に何か感知できますか?」
俺は柵で囲われた村の方に視線を戻す。
もうすぐ雨の振り出しそうなあいにくの空模様で霧も出ているせいか、村の通りには人影がなくひっそりとしていた。
「表には誰もいないですね。寒いからガキも外では遊ばないかもしれないが、それでも人気が無さ過ぎる気はします」
「ハリスさんも同じ印象ですか」
「魔法で生き物の気配を探っては?」
エイリアが首を横に振る。
「同時に魔法を使える存在がいることを相手に知らせることになりますので」
不意に霧の中から人影が現れる。血色はいいがどことなく目の焦点があっていない感じのする年寄りが歩み寄ってきた。エイリアの姿を見て相好を崩す。ぱっと見にはただの好色なエロじじいと見えなくもない男は声を出した。
「ようこそ。ウーズ村へ。何か御用かな」
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