第66話 お留守番

 ♡♡♡


「ティアナちゃん。ちょっとお話しない?」

 アリスさんが両手に飲み物のマグを持って立っていた。ご主人様たちは仕事に出かけて、私はステラ様のお店でお留守番をしている。日中は料理の手伝いをして過ごし、まかないを食べてあてがわれた部屋に向かう途中だった。


「あの……もう寝ますので」

「いいじゃない。ちょっとぐらい」

 困っていると大きな声が響いた。

「アリス。いい加減におし。その子は大事な預かりものなんだ」

 ステラ様がやってくる。


「別にちょっとぐらいいいじゃないですか。何も変なことはしませんよ」

「どうだかね。どうせ、またろくでもないこと考えてんだろ? そんなに眠れないってんなら野菜の皮むき、夜じゅうやってもらおうかね」

「ちぇ。じゃあね。ティアナちゃん。また明日お話しよう」

 アリスさんはパッと走り去った。


 ステラ様はため息をつく。

「ティアナちゃん。アリスとはあまり口をきかない方がいいからね」

「悪い人なんですか?」

 ちょっと怯えた声になってしまったかもしれない。


 ステラ様は笑みを浮かべる。

「アリスは悪くはないよ。心配しなくていい。ただ、馬鹿がうつるってだけさ」

「そうなんですか?」

 私はご主人様みたいに頭は良くないけど、もっと馬鹿になるのは困るな。


「うーん。なんて言ったらいいんだろうね。ちょっと夢みたいなことばかり考えてるんだ。伯爵様のあい……奥さんになりたいとかね」

「そうなんですか。私、そんな偉い人を見たことが無いのでよく分からないです」

「ああそうか。分かって無かったんだね」

「何がですか?」


 ステラ様はちょっとだけ迷った顔をする。

「昨日の夜、途中からテーブルに加わった男の人がいただろう?」

「はい。ザックさんですよね」

「あの人がこの町を治めるレッケンバッハ伯爵なんだよ」

「そうなんですか?!」


 思わず声が大きくなってしまう。確かに変わった挨拶をするなとは思っていたけれど、あれが偉い人のやり方だったのかな。

「まあいいや。とにかくアリスの話は適当に相手をしておけばいいからね。それじゃあ休むとしようか」


 ベッドに入るとずっと気になっていたことの不安が大きくなる。ご主人様は私をステラ様に預けて、その足で出かけて行ったのだけれど、その時にいつものおまじないができなかった。人が一杯いたせいでなんとなく恥ずかしくなってしまったのだけれど、ご主人様は無事だろうか? 私のおまじないの効果なんてたかが知れてるだろうけど……。


 気になることは他にもある。昨夜ご主人様が追いかけた綺麗な女の人は誰だろう。アイシャとか言っていた気がする。立ち上がった時にご主人様の顔から血の気が引いていたし、私が声をかけても返事をせずに駆けて行った。何か胸がモヤモヤする。昨夜はお姉ちゃんと一緒だったから平気だったけど、独りの今夜は気になってなかなか寝付けなかった。


 翌日、たまねぎの皮むきをしているとアリスさんがやってくる。

「私も皮むきやろうかな」

 アリスさんは小さな椅子を持ってくると私の横で皮むきを始めた。手慣れた動きで作業をしながら、小さな声で聞いてくる。


「ね。ティアナちゃん。ハリスさんてどんな人なの?」

「ご主人様ですか? 優しい方です」

「へえ。どんなところが?」

「全然怒らないですし、色んなもの食べさせて貰えますし、大きなベッドで寝れるんです」


「大きなベッドねえ。やっぱり一緒に寝てるの?」

「はい。家にいるときはいつも一緒です」

「ふーん。そうなんだ」

 なんか私を見る目が変わったような気がする? どうしてだろう。

「そうだ。これも貰ったんですよ」


 イヤリングを示すとアリスさんはキレイだねと感心する。

「いい趣味してんじゃん。仕事は何をしているの? 冒険者だよね?」

「スカウトだって言ってました。でも、それだけじゃなくて、新人の冒険者の教育係もしてるんです。ギルド長にどうしてもって頼まれたって言ってました」


「ギルド長とも懇意なんだ。凄いじゃない。それで、稼ぎはどれくらい?」

「私は良く分からないです」

「そっか。で、奥さんはいるのかな?」

「いないです。でも、どうしてそんなことを聞くんですか?」

「うん。まあね。どんな人かなって興味があって。ありがとね」


 玉ねぎの皮をむき終わったら、アリスさんは呼ばれてどこかに行った。私は野菜を洗ったり、同じ大きさに切ったり下ごしらえをする。それから、ステラ様の横にくっついて、いくつかの料理の作り方を教わった。野菜と鶏肉のスープとご主人様が気に入った内臓と豆の煮込みを試しに作らせてもらう。


「ティアナちゃん。手際がいいね。そうそう。みんなが褒めてただけのことはあるよ」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「アクは丁寧に取るんだよ。それと茹で時間は大切だ。串で刺してこんな感じが最高だね」


 お店の準備で忙しいだろうに、ステラ様は丁寧に指導してくれる。

「分かりました。でも、こんなコツを教えて頂いていいんですか?」

 ステラ様はにっこりする。

「別にこの町で店を開こうってんじゃないんだ。まあ、もし評判になったらステラ直伝だって言っておくれよ」

「もちろんです。どの料理もおいしいって宣伝します」


 休んでいていいと言われたけれど、お昼と夜の営業では注文取りや料理を運ぶお手伝いをした。ご主人様が働いているというのに私だけ何もしていないのは気が引けると言ったら、ステラ様に笑われた。

「でも。私は働き者は好きだよ。ハリスさんも果報者だね」


「そうでしょうか?」

「間違いないね。ティアナちゃんには感謝してるんじゃないかねえ」

「そうだといいんですけど……。あんな凄くいい人はいないと思うんです。だから、きちんとお仕えしなきゃって」


「そうかい。ティアナちゃんがそういうなら、きっとそうなんだろうね。でも、ちょっとぐらいは困ってることがあるんじゃないかい? 何だったら、私から言ってあげるけど」

「困ることですか? 困るって程じゃないですけど、ちょっとお酒を飲みすぎる気がします。体を壊さないか心配です」


「お酒ねえ。私の夫もそうだった。私にはもったいないぐらいのいい男だったんだけどね。やっぱりお酒が好きでぽっくり死んじまったよ。よし、分かった。ハリスさんが迎えに来たら私からガツンと言ってやるから。こんな可愛い子を置いて早死にする気かい、ってね。任せときな」

 ステラ様は腕まくりをするとぐっと腕を曲げて力こぶを見せる。私は慌ててやめて欲しいとお願いした。

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