第65話 譲渡の提案

 俺の頭の中の冷静な一部はまずいことになったと認識していたが、残りの部分は感情のまま衝動的に剣を抜くことを命じていた。4人の剣士相手に正面から立ち会って俺に勝ち目は絶対にない。理性はやめろと叫んでいた。感情と理性がせめぎあう。


「いやあ。ジョン。待たせたな。何をそんなにカリカリしてるんだ」

 横合いから俺に抱きついてきた男が片手を俺の剣のつかに置き、もう片方の手で俺をぐっと抱きしめる。振り払おうとしたが、この男は物凄い力だった。至近距離で目と目が合う。


 吸い込まれそうな濃いブルーの目に引き寄せられた。悲しみを帯びたようなその瞳を見た瞬間から俺は冷静さを取り戻す。もの凄い美男子だった。細い口髭をたくわえた口元は笑みを含んでいる。ゼークトの晴朗さとは真逆の方向のカッコよさだった。好みもあるだろうが、この壮絶なまでの美貌はゼークトも一歩譲るだろう。


 別の男が護衛と俺達の間に入る。護衛たちはあっけに取られていたが、馬車が走り出したのを見て、駒どめの柵から手綱を外すと自分たちも騎乗して後を追った。間にいた男が俺を押さえている美男子に声をかける。

「ザック。いきなり男に抱きつくなんてびっくりさせないでくださいよ」

「すまんな。ミゲル」


 俺を拘束していたザックは腕の力を緩めた。

「まあ落ち着け。町中での抜剣は禁止されていることぐらい知っているだろう」

 ザックはふっと笑みを浮かべる。

「これも何かの縁だ。1杯奢ろう」


 俺は痺れた腕をさする。店の出入り口のスウィングドアのところにはゼークトが姿を見せていた。刃傷沙汰になっていないことに安堵の表情を浮かべる。ザックは俺とゼークトの顔を見比べた。

「ということは……貴公はハリス殿かな」


 俺は必死に頭を回転させる。なぜ俺の名を知っている? 一時的にアイシャの存在を忘れて考えた。

「ということはあんた……あなたは……」

「ザックという一介の剣士さ。せっかく微服に着替えているんだ。無粋な真似をしないでくれよ」


 ザックは俺の腕をとるとステラの店に向かう。ゼークトに手を挙げた。

「書類仕事に追われるのは忌々しいが、そのお陰でいいタイミングで来れたよ。本当は食事も一緒にしたかったんだがね。食後酒ぐらいは付き合えよ」

 ゼークトを中に押し込むようにして中に入った。


 店内の客が入口を一斉に見る。ザックは意に介さずに歩みを進めテーブルを見回した。立ち上がってこちらの様子を伺うティアナを目にすると振り返る。

「ハリス。ハリスと呼んでいいかな。私のことはザックでいい。面倒な敬称はなしにしよう。あなたのテーブルにお邪魔させてもらっていいかな?」


 俺と腕を組んだままザックは奥のテーブルまで進む。途中でアリスとすれ違った。

「あら。ザック。こんばんは」

「やあ。アリス」

 機嫌よくザックは返事をする。


 テーブルの側まで行くとザックは上品に一礼した。

「お楽しみのところお邪魔させていただくよ」

 俺は半ば自棄で皆に紹介する。

「こちらの紳士はザック。様も殿も閣下も無しだそうだ」


 俺のセリフで察したらしい。エイリアとジーナが立ち上がる。それを見てコンバも慌てて立ち上がった。一人ずつ紹介する。ザックは女性相手には胸に手を当てて優雅に一礼し、コンバとは力強く握手をした。アリスの運んできた椅子を礼を言って受け取るとテーブルにつく。


「いや。不躾な真似をして申し訳ない。ゼークトから友人とこちらで夕食を取ると聞いてね。ぜひ挨拶させてもらおうと思ったんだが、なかなか仕事が山積でね。失礼」

 ステラがスープとパン、葡萄酒を運んでくるとザックは立ち上がって、左右の頬を寄せた。席に着くと食事を始める。


「拙宅に招待することも考えたんだが、せっかくレッケンバーグを訪れて、ステラの料理を食べないというのももったいない話だからね」

 ザックは座談も上手だった。たちまちのうちに打ち解けて、皆と旧知の仲のように話している。


「あの。ザックさん。いつもそのスープを食べているのですか?」

「ああ。そうだね。ここの料理はどれも最高だが、このスープには思い入れがある。派手さは無いがステラの優しさを感じられるというのかな。体の内側から元気づけられるような気がするんだ」


「はい。その気持ちよく分かります」

 ティアナの回答にザックは嬉しそうに笑った。

「そうか。私と気が合うようだね。君も料理はするのかい?」

「ステラ様には及びませんけど、ご主人様は褒めてくださいます」


「私は結構いい勝負だと思うけどね」

「そうっすよ。俺にはどっちも旨いっす」

「この間ご馳走して頂いた料理はとても素晴らしかったわ」

「言われてみれば、味が似ている気もするな」


 口々に褒められてちょっと頬を染めたティアナはそっと俺の方を見た。

「そうだな。旨いからついつい食べ過ぎてしまうな。少し太ったかもしれない。スカウトの名が泣きそうだ」

 ティアナの頬の赤みが更に増す。


「おや。人の店に来て他人の料理を褒めてるのかい?」

 ザックの為に食後の飲み物を運んできたステラが腕組みをして怖い顔をする。そしてすぐに破顔した。

「冗談さ。それだけの腕ならうちの店にスカウトしなきゃならないね」

 ティアナは真っ赤になって両手を振っている。


 アイシャを見かけてからの嫌な気持ちがだいぶほぐれていた。会計で少し揉めたが、ゼークトが押し切っていた。どうも注文した料理の代金と、出てきた料金の代金の間ぐらいで話がまとまったようだ。店の外に出るとミゲルと呼ばれていた男がすっと寄ってくる。


 ザックは俺達の泊まる宿までやってきた。俺とゼークトを呼び止める。

「約束の1杯を差し上げたい」

 女性たちとコンバが部屋に戻るのを見送ってから、酒場の隅に場所を確保する。度数が高めの穀物酒のコップを掲げた。熱い塊が喉を焼く。


 しばらく世間話をした後に自分も唇を湿らすとザックが切り出す。

「ティアナはいい子だね。可憐で気立ても良く、料理も上手と、言うことなしじゃないか。そこでだ。ハリス。私にあの子を譲らないか。金貨100枚出そう」

「閣下!」

 思わずゼークトが声を出す。それに対して自分の唇に人差し指を指をそえながら、ザックことザッカリー・レッケンバッハ伯爵はどうだねというように眉を上げた。




 

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