第76話 占い婆

「そんなことはありません。厳しく戒められましたものですから。いついかなる時も陛下に仇なすことは許さぬと。恩人の言ですからね」

 俺は軽く頭を下げた。

「ふむ。そうか……」

 国王は何かを懐かしむような顔をする。国王と俺は同じ人物を思い浮かべているはずだ。


 俺の回想は国王の声で破られる。

「ハリスよ。そなたの願い聞き入れよう。此度の働き、しかと勲功簿に記録するよういいつけておく」

 俺が頭を下げている間にカンディール4世は入ってきて時と同じドアから出て行った。閉まる間際に声が聞こえる。

「書記官を呼べ……」


 俺もくるりと向きを変えてドアを開け、城の出口の方にスタスタと歩き出す。ゼークトが追いかけてきた。

「おい。怒ってるのか?」

「別に」


「ほら。やっぱり怒ってるだろ。お前がそのセリフを言うときは怒ってる証拠だ。お前まさか陛下に対して」

 俺は足を止めてゼークトに向き直る。

「害意はない。昔はクソ野郎と思ってたがな」


「その言い草はさすがに……」

「今も思うところはなくはないが無茶はしねえよ。俺が馬鹿な真似をやらかしたところで過去は変えられねえ」

「一体なんのことだ」


「もう昔の話さ。何があったか知りたきゃそれこそ陛下に聞いてみればいい。お前の立場なら聞く機会もあるだろうさ。心配しなくても大人しく帰るよ。騒ぎになればそれこそティアナや皆に迷惑をかけるからな。それで、なんでわざわざ俺を連れてきた? 俺をからかって楽しいか? 心臓に悪いぜ。今回のはさすがにやりすぎだろ」


 ゼークトは困ったような顔をする。

「別に俺はからかうつもりはない。お前が陛下と因縁があるとは知らなかった。単にお前を日の当たる場所に引っ張り出そうと思っていただけだ」

「物凄く迷惑なんだがな」


 聖騎士を詰問する俺に驚いたのか廊下を行き来する連中がポカンと見ている。俺は再び出口に向かった。ゼークトが横に並んで歩く。

「お前だって前途に不安は感じてるだろ。今はまだいい。だが、いつまで今の俊敏さ器用さが続くつもりだ?」


「そうは言っても俺には盗賊の技術しかねえよ」

「意地を張るな。本当にそれでいいのか? いつかはしくじって死ぬか大怪我をするかもしれないんだ。あの娘が泣くぞ」

「そんときゃ仕方ねえ。お前さんが面倒見てくれ……」


 頬に衝撃が走り熱を帯びる。俺が加害者を睨みつけると見たこともない形相で怒りまくっていた。口の中に血の味がする。俺達は無言でにらみ合った。周囲の者を制して前に出たゼークトの表情が和らぐ。

「頭を冷やせ。お前も本当は分かってるはずだ」


 俺は返事をしなかった。確かに俺の冒険者としての実力はピークを迎えている。まさにゼークトの言う通りだ。ただそれを素直に認められず、ふくれっ面のまま、ずんずんと出口に向かって歩いた。ゼークトがついてくるので文句を言ったら、城の中を勝手に歩けるわけがないだろうとたしなめられる。畜生、言うことすべてがもっともだ。城門のところで武器を返して貰うと振り返らずに出て行った。


「どこまでついて来るんだよ?」

「俺は自分の家に向かってるだけだ」

「ああそうかい。じゃあな」

 適当な細い道を曲がる。それから滅茶苦茶に歩き回った。


 ゼークトがついて来ないことを確認すると歩く速度を落とす。気が付くと歓楽街へ向かう道に出ていた。夕暮れが迫りつつある道の先には明かりが瞬き始めている。冷静になってみれば何でゼークトに腹を立てていたのか分からなくなっていた。頬が腫れているのを感じる。くそ。あの野郎本気で殴りやがって。


 頬を撫でていると声がかかる。

「そこの旦那」

 見回すと道ぞいに並ぶ家の間にあるくぼみに婆さんが座っていた。

「女難の相が出ているというワシの占いが当たったじゃろう」


 記憶がよみがえってくる。ティアナを買った日にうろうろしていて声をかけられたんだった。

「良く覚えてるな」

 婆さんはイヒヒと笑う。


「そりゃ人相見じゃからな」

「記憶力は大したもんだが、占いが当たったとか適当なことを言ってんじゃねえよ」

「失礼な奴じゃな」

「そうかい。歓楽街に向かう男に女難の相が出てるなんて、大抵は当たるだろうぜ」


 老婆はフンと鼻を鳴らした。

「ワシを馬鹿にしよるか。じゃあ好きにするがいい。折角大事なことを教えてやろうと思ったんじゃがな」

「へえ。大事なことねえ」


「おヌシ。大切に思ってる娘がおるじゃろう。可愛くて気立ての良い娘じゃ」

 まあ、そりゃそうだろ。大抵の男は心の中に偶像を抱いている。惚れてれば誰だって良く見えるもんだ。俺が黙っていると老婆は言葉を続けた。

「しかし、その娘と結婚するには障害がある。自分の力ではどうしようもないものじゃ」


 人知で未来を占えるとはおこがましい思い上がりだな。久しく忘れていた爺さんの懐かしい言葉と思慮深い声音が脳裏に響く。俺は銅貨を1枚取り出すと老婆の前の台に置いた。

「それでどうなるんだ?」

 いずれ上手くいくと愛想を言うか、成就するにはこれが必要と護符か何かを売りつけて来るか、さてどちらだろう?


 老婆は俺の顔をまじまじと見る。そして目を泳がせた。

「見料を貰った以上は正直に言わねばならぬな。言いにくいことじゃが、その娘とおヌシの名が共に祭壇前で祝福されることはないな。それにおヌシには剣難の相も出ておる。1年以内に死ぬじゃろう。気の毒なことじゃ」


 先ほどゼークトに言われたセリフが蘇る。1日に何度も死ぬと言われるのは愉快では無かった。

「なんだと」

「悲しむべきは人の定めじゃ。思い残すことがないようにするんじゃな」


 俺は深呼吸をして冷笑を浮かべた。

「婆さん。いつもこの辺で店を出してるのかい?」

「ああ、そうじゃが」

「せいぜい長生きするんだな。来年にまた来て大笑いしてやるぜ」


 俺は婆さんに背を向けると宿に向かって歩き出す。まあ銅貨1枚の価値はある余興だった。宿に戻る途中の繁華街で人だかりができている。

「なんですって? もう一度言ってごらん。その舌ねじ切ってやるから」

 聞き覚えのある声に人込みをかき分けて中をのぞく。揃いの上着を着たジーナ、エイリアと恰幅のいい赤ら顔のおっさん及びその一行がにらみ合っていた。

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