第26話 名前の綴り

 ノルンには昼過ぎに戻ってきた。まさかとは思うが、あの連中が留守宅に何か仕掛けていないとも限らないのでまずは家に帰る。別にギルドに行くのは後でも問題ない。いつまでもコンバがくっついてくるので、自分の家に帰れと言ってやった。意外と大人しく引き下がる。

「何か用があるときは、ギルドに伝言残してください。すぐに駆け付けますんで」


 坂道を登って家に向かう。気が急いて自然と足が速くなった。手前の家の前を通りかかるとオーディ婆あに呼び止められる。色々とティアナが世話になっているということを聞いているので無視もできない。家が気になるのだが呼ばれるままに近くに寄って行った。


「こんにちは。なにか用ですか?」

「ああ。いいことを教えてやろうと思ってな」

「なんです?」

「あの子が髪の毛を切ったんじゃ」


「ティアナが?」

 それがどうしたってんだ?

「ちょっと前髪が伸びておったろ。眉が出るように切って貰ったんじゃな。ほれ、住み込みで字を教えてやっておる」


「ジーナか?」

「そう。そのジーナじゃ」

「それで?」

 オーディ婆あは盛大にため息をつく。


「やっぱり、お主は全く分かっておらんのう」

 年のせいか、話が回りくどくて何を言っているのかさっぱりだ。

「はあ。それじゃ、どうも」

「まてまて」


「だから、なんです?」

「家に帰ったら、まず第一に髪を切ったことを言ってやるんじゃぞ」

「なんで、そんなことしなけりゃならねえんだ?」

「そういうことに決まっておるからじゃ。まあ、騙されたと思って言ってみろ」


 俺は首をひねりながら、自分の家に帰ってくる。扉を開けて声をかけると、ティアナが物凄い速さでやってきた。

「ご主人様。お帰りなさいませ」

 ぴょこんと下げた頭をあげる。少し赤みがかったブルネットの前髪。うーん。言われてみれば短くなったような、そうでもないような。


「髪……切ったか?」

 ティアナの顔に笑みが咲き頬が少し紅色に染まる。

「えへへ。分かりますか? お姉ちゃんに切って貰ったんです。それでご主人様……」


 ティアナは服のすそをいじっている。後ろからやってきたジーナが口をパクパクさせていた。ん? なんだ? に・あ・う? ああ、そういうことか。俺はティアナの顔を左右から見る。

「うん。似合ってるんじゃないか」

 まるで目の前で花が咲いたようだった。なるほど。今度、婆あに礼を言わないとな。


「あっ。お昼はもう食べました?」

「いや。まだだ」

「残り物でよければすぐにお出しできますけど」

「ああ。それでいい」


 久しぶりのティアナの料理を食べて寛いでいると、ティアナがすぐ近くにやってくる。

「あの。ご主人様」

「なんだ?」


「その手はどうされたのですか?」

 俺の左手に残る傷を見つけたのか。いずれ消えると言っていたがまだ薄くナイフを刺した跡が残っている。

「ああ。ちょっとな。ちゃんとエイリアに治してもらったから心配いらない。そうそう、お前が元気にしているか気にしていたぞ」


 ティアナは懐かしそうな顔をしたが一瞬だった。

「治してもらったってことは元はひどい怪我だったんですよね? どうしたんですか? せっかくおまじないもしてるのに」

「なんだ? そのおまじないって?」


「ご主人様が出かけるときに私のおでこにちゅってしますよね。父が出かけるときに母もしてました。ちゃんと無事に帰って来てって。大切な相手の無事を祈るおまじないだと言ってました。あれ? ご主人様が私に……?」

「ま、まあ、一応俺もちゃんと帰ってきてるし、それでいいんじゃねえの?」


「それで、もう痛くはないんですか?」

「ああ。だから、そんなに心配するな。それよりもお替りを頼む」

「あっ、はい。すぐに」

 ティアナは皿を持っていきながら、何かぶつぶつ言っていた。

「ご主人さまがして……。ということは、私……」


 お替りを持ってきたティアナに訪ねる。

「こっちは特に変わったことは何もなかったのか?」

「字を教えてもらったことぐらい……。あ」

 ティアナはいつも繕いものをしているところにいくと蝋板を持って戻ってくる。


「ちゃんと名前の字を書けるようになったんです」

 誇らしげに見せる蝋板には一面に俺の名前が並んでいた。ハリス様、ハリス様、……。

「そこは自分の名前じゃないのか?」


「私もそう言ったんだけどね」

 今まで沈黙を貫いてきたジーナが口を挟む。私のせいじゃないから、と全身で主張していた。

「だって、私の名前よりご主人様の名前の方が数が多いですし、お帰りまでに終わらせておきたかったので」


 数が多い? 字数か? たいして変わらんだろ。終わらせておく? ティアナは嬉しそうに報告した。

「ご主人様の下着と肌着、全部にお名前の縫い取りしておきました。今着てるものは洗濯したらやります」


 にっこにこ。幸せそうなティアナを見ていると文句は喉の奥に飲み込むしかない。あのな。子供じゃないんだから、服に名前の縫い取りなんかしないんだぜ。

「そうそう。一昨日からやたら気合の入った騎士団があちこち家探ししてるのよ。まだうちには来てないけど」

 ジーナが話題を変えた。


「なんだかよく分からないんだけどね。まあ、私らには関係ないと思うわ。まずは役所と神殿、それに冒険者ギルドから調べてるみたいね」

「へえ。そりゃ、大変だな。って言ってられねえか。俺の仕事の報酬受け取れないとなるときついな。ちょいと見に行ってくる」

 俺は皿の残りを急いでかきこむとギルドに出かけて行った。

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