第2話 返却交渉

 少女はやせっぽっちで、顔から指先まで垢だらけのひどい恰好だった。手入れされていない脂と埃まみれの髪の毛の下の頬にははっきりと刃物でついた傷が残っている。さらに痛々しく感じさせるのは指の爪が数枚剥がれていて、赤い肉がむき出しだった。ひょろりとした腕や足にもミミズ腫れの跡があり、首にはごつい首輪がはめられている。


 俺は懐に手を突っ込んで革袋に触れた。どっしりとした金貨の重みが減っている。感触では1枚しかない。俺はかっとなって少女に怒鳴った。

「お前金をとっただろ?」

 少女はびくっとして縮こまる。


「取ってません」

「嘘をつくな」

「本当です」

 俺が手を伸ばすと身をすくめて腕で頭をかばうような仕草をした。


「私を買ったんです」

「俺がお前を買った?」

「はい。金貨3枚で」

「え?」


 言われてみれば、娼婦を買い損ねて疼く体を抱えながら、別の店に移動する途中で、奴隷市を冷やかしたような記憶がよみがえってくる。くそ。なんてこった。こんなガリガリのこきたない死にぞこないを金貨3枚で買っちまっただと? 俺は天をあおぐ。町を囲う城壁の尖塔が見え、同時に猛烈に喉が渇いているのを感じた。


 ここは町はずれの公園か。ならば噴水があったはずだ。背嚢から銅製のマグを取り出す。水を汲みに行こうとして目の前のガキを思い出した。

「向こうに噴水がある。水を汲んで来い」

 少女は俺の差し出したマグを受け取ると足を引きずりながら駆け出した。


 しばらくすると朝もやの中からマグを抱えた少女が戻ってくる。いっぱいに水を入れたマグを俺にそっと差し出す。受け取った俺は喉を鳴らして水を飲み干した。口から垂れた水を袖で拭う。ようやく頭が働くようになった俺は考えを巡らす。どう考えてもこんなガキはお荷物だ。奴隷商を探して買い戻してもらうように頼もう。


 そう考えたところで、近くからきゅるきゅるという音が聞こえる。すぐに目の前の少女の腹が鳴ったのだと気づいた。少女は恥ずかしそうに顔を伏せる。少女を引き取らせるなら少しでも状態は良くしておく方がいい。さっき、背嚢をあさったときに見つけた紙包みを取り出す。


 少し油のしみたそいつは想像通り、鳥の足を炙ったものだった。昨日露店で買ったまま、しまっていたのだろう。昨日さんざん飲み食いしたので俺の腹は減っていない。鳥の足の包みを少女につきつける。

「ほら、食えよ。腹減ってんだろ」


 最初は受け取ろうとしなかったが、ついに空腹に負けたのか、両手で鳥の足をつかむとムシャムシャと食べ始める。俺は壁にもたれかかり、少女が唇を油で汚しながら骨までしゃぶるようにして食べる姿を眺めていた。ようやく起きる気になったので立ち上がり全身を伸ばす。敏捷さが身上なのにこの体たらくが情けない。


 ひょこひょこついてくる少女を連れて、噴水のところでもう一杯水を汲んで飲む。マグを差し出すと少女も美味しそうに飲んだ。少し香辛料が効いた鳥肉だったので喉が渇いていたようだ。あまりに汚いので、せめて顔ぐらい洗うように命令する。少女はしぶしぶと水をすくって顔を洗った。


 なんどか洗ううちに肌の色になったので、布を投げて渡し、顔を拭くように言う。布をどけてみると意外と目鼻立ちは悪くない。頬がこけて血色も悪いが、昨夜ちょっかいをかけて断られた飲み屋の女たちよりは顔が整っている。ただ、洗ったせいで頬の傷が余計に目立った。昨夜のお祭り騒ぎの名残がそこかしこに見える道をたどって、昨夜の奴隷市を探す。


 片付けと荷造りをしている最中だったが、作業中の一人を捕まえて店主を呼んでもらう。

「やっぱり要らないので引き取って欲しいですと?」

「ああ。どうも酒に酔っていたらしくてな。もちろん手数料は払うから」

 帳簿を調べていた商人はそっけなく言う。

「銀貨10枚なら引き取ります」


 俺は憤然と抗議した。

「は? それじゃ、元値の5分の1以下じゃねえか。ぼったくりもいいとこだぜ」

「そうは言われましても」

 商人は少し離れたところで座り込んで膝を抱え俯いている少女を指さす。


「あれくらいの子供の価値は初物ってことなんで。中古品には値が付かないんでさ。奴隷を飼うにも食費もかかりますし、死ぬかもしれない。その経費込みです。本当は買い取る義理はないんですがね。さあ、どうします?」

 俺は考え込んだ。


 その間に、自分は片づけをする必要がなく暇なのか、商人は俺に世間話をしてくる。

「まあ。旦那も奇特だね。せいぜい見世物小屋のオーガの餌ぐらいにしかならないようなガキを買うんだからさ」

「餌?」


「そうでさ。オーガは生きたものしか食わないからね。あのガキも少しは身ぎれいにしろと言っても言うことを聞かないし、買い入れて1年も無駄飯食わしてるんで大損ですよ。旦那が買わなきゃ、そろそろ見世物小屋行きだって話が出ていたんで」

 俺が顔色を変えると、商人は冗談ですよと笑う。


 俺はしがない冒険者だが、そういう悪趣味な金持ちが居るのは知っていた。囲いの中に足の腱を切ったオーガと子供を放ち、追いかけっこの挙句に最後は疲れた子供をオーガがむさぼり食う様を鑑賞するという話だった。俺は胸くそが悪くなる。

「せめて、金貨1枚上乗せしろよ。それでも半値だぜ」

 商人はそれこそご冗談をと笑った。

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