第6話 一家団欒
暮らし始めてまだ日が浅いが一応は愛しの我が家である。
俺なんぞには不似合いな呼称ではあるが、まあ、あれだ。素敵な奥さんが待っていてくれるのだから、そう呼んでも差し支えあるまい。
しかし、実際にはその言葉の心地よい響きをかき消す騒々しい連中が今日も元気にはしゃぎ回っていた。
そりゃまあ、どーんと大きな玄関ホールの両側に緩く弧を描く階段があり、その手すりがいい具合に滑り台のようになっていればテンションが上がるのは分かる。
俺もジジイの屋敷で似たようなことをやった。
あれは滅茶苦茶楽しい。
ただなあ。
うちに居候をしているガキどもの紅一点のミリーが先頭で滑り降りてくる。
スカートがまくれ上がってカボチャのようなパンツが丸見えだった。ちなみにこれはティアナではなくミリーが自分で作ったものらしい。
手すりが途切れると空中を飛び、たたらを踏みながら着地した。
その後ろからやせっぽちのゼルが後ろ向きかつ腹ばいの姿勢で滑ってきて腕で勢いを殺して止まる。
「どいて、どいて!」
すごい勢いで落ちるように滑ってくるのはトムだった。
その後ろで弟のテオが手すりにしがみついている。
「お兄ちゃん、待ってよう」
俺は一足飛びに階段のところに向かうとゼルを抱え上げた。
障害物がなくなった空間をトムが通過して床に落ち、絨毯敷の上を転がる。
「よっと! ハンク、お帰り」
「遅かったねえ」
「何かあったのか?」
のろのろと滑ってきたテオが顔を上げた。
「お帰りなさい」
「あのなあ。お前ら。怪我したらどうするつもりだったんだ?」
小言を言い始めたちょうどその時、玄関の扉から見て左手の壁にある扉が開く。
エプロン姿のティアナが姿を現れて笑顔を見せた。
「旦那様、お帰りなさい。お腹空いてるでしょう。すぐお食事にしますね」
そう言うと扉の向こうに姿を消す。
フッと流れてくる美味そうな香りに喉が鳴った。
今晩の料理はなんだろうな。
期待に思わず忘れそうになるが今はこいつらにお説教をしているところだった。
この気を逸らした一瞬にガキどもは食堂の方に突進する。
「俺らも手伝うぜ」
まったく。機を見るに敏と言えばそれまでだが、ガキどもめ、うまく逃げやがった。
憮然として奴らの消えた扉に俺も向かう。
扉の隙間からティアナが戻ってくると俺の胸に手を当てながら背伸びをした。
たちまちのうちに頬が緩んでしまう。
我ながら現金だと思うが仕方ない。
おっと、奥さんを待たせてはいけないな。
体を前屈みにして目を瞑るティアナと唇を重ねた。
ほんの軽いキス。
ティアナは蝶のように身を翻すと台所へと戻っていく。
気がつけば俺の体の中に残っていた懊悩やら疲労やらが消えていた。
唇に残るほのかな熱を噛みしめながら俺もティアナの後を追う。
食堂脇の小部屋で、手水鉢の水で手を洗おうとすると水が足りない。
テオが桶を運んできた。
手水鉢に水を移し桶を返すとえへへと愛想笑いをして走り去る。
これがトムなら自分も役に立っていると主張するところだが、それを口にしないだけまだ可愛いものだ。
まあ、朱に交わりまくっているので将来はどうなるかは分からないが。
手を洗いテーブルのところに戻るとトムとミリーがいそいそと料理を運んでいる。
俺も手を貸そうとするとトムが俺を押し止めた。
「一家の主はどーんと座って待ってな。これぐらいのことは俺らがやるからさ」
「そいつは結構なことだ。せっかくの料理を前に不粋なことはしたくねえから今は勘弁してやるが後でお説教だからな」
構わず厨房に入っていこうとする。
「別にご機嫌を取ろうってわけじゃないんだぜ」
トムが唇を尖らせた。
「少しでも手が多い方が早く食事にありつけるってもんだ」
戸口をくぐるとティアナがのっぽのゼルに指示を出しながら仕上げをしている。
カリッと揚げ焼きにした鱒を香味野菜を散らした大皿に移すとゼルが小鍋のソースをかけ回した。
じゅっという音がする。
「その大皿は重そうだ。俺が運んでいこう」
「ありがとうございます。それじゃ私たちは他のものを運びましょう」
大皿を持って食堂に戻った。
どうやらこれで全てらしい。
テーブルの上には既に6人分の料理が用意されている。
この魚料理だけはテーブルで切り分けるという演出のようだ。
渡されたナイフとフォークで全員によそってやる。
ガキどもも椅子によじ登った。
軽く両手を握り合わせ今日の恵みに感謝の祈りを捧げる。
「じゃあ、頂きましょう」
ティアナの言葉にガキどもはがっつき始めた。
食えるときに食っておく。
路上暮らしで染みついた習慣はなかなか抜けないものだ。
俺はせっかくなので魚料理を最初に頂くことにする。
表面はカリッとして中はふんわりした魚の身と酸味のある野菜のソースがマッチしていた。
気付くと顔の横に視線を感じる。
そちらに顔を向けるとティアナが期待と不安の混じった目で俺のことを見ていた。
「この魚料理も美味いな。淡水魚は泥臭いこともあるが、これは全然感じない。ソースとの相性も合ってると思うぞ。前にも似たような料理を食べたと思うが。確かバラスを倒した日のお祝いで」
「上手くできたようで良かったです。この魚で作るのは初めてだったのでちょっと心配で」
ティアナはニコリと笑う。
「文句なしに美味い。それにしても、今日は随分と張り切ったんだなあ」
「久しぶりにダンジョンに入られたので、きっとお腹を空かせるかなと思って」
なるほど。
俺の好きな内臓の煮込みも用意してあるのはそういうことか。
匙ですくって口に運んだ。
ますます頬が綻んでしまう。
「お替わりもありますから」
「それは嬉しいな」
ガツガツと食べていたトムが顔を上げた。
「オレもこの煮込み、お替わりしたい」
「旦那様の方が先よ」
「じゃあ、魚をもうちょっと欲しい」
ティアナが立ちあがろうとするのを制して手を伸ばしトムの皿に一盛りしてやる。
「お前なあ。食うのはいいがもうちょっと味わえ。ちゃんと噛んでるのか?」
「分かってるよ。だけどさ、ついつい早く食べちゃうんだ」
まあ、好き嫌いなく何でも食べるのはいいんだけどな。
ステラの店で食事をしていた裕福そうなガキのように、「あれは嫌い」だと抜かしたりはしない。
まあ、ステラも一目置くほどの料理上手の奥さんが作ったものだからな。
ダンジョンでの出来事を話してやりながら食事を楽しむ。
「誰も怪我しなくて良かったです。あ、でも、旦那様が一緒だから心配はいらないですね」
「ステラさんとコンバが居たからな。2人とも後ろから見ていて胸がすくようだったよ。そうだ。ステラさんが店を空けている間、ティアナは代役で大変だっんじゃないか?」
「お昼はメニューを絞ってますし、煮込みは仕込んであったから大丈夫でした」
完食して、さて後片付けだとなると、トムが自分たちでやると言い出した。
「大丈夫。私がやるから」
そういうティアナをトムたちは取り囲み食堂の外へと拉致していく。
戻ってきたトムが鼻を蠢かせた。
「ゆっくりと夫婦水入らずで語らう時間だぜ」
魂胆は明らかだったが、ここは大人しく乗せられてやるか
書斎というにはささやかな部屋に行くとティアナが戸惑った顔でソファに座っている。
すぐ横に腰を降ろすとこてんと肩に頭をもたせかけてきた。
ノックがありゼルがお茶を運んでくる。
礼を言うと照れたような顔になった。
カップに口をつけるとティアナには及ばないがお茶の味は水準は越えている。
大トンネルに入る前に淹れてもらった茶を思い出し、ティアナとの思い出話に花が咲いた。
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