第139話 指輪と告白

 しばらく俺を見つめていたアイシャはついに視線を外してうつむく。まだ十分に美しくはあったが、男を誑しこむにしても大物はもう無理だろう。アーヴァイン商会の総裁の後妻として悪評が知られてしまったのが痛い。よほどの馬鹿じゃなければ手を出すのはためらうはずだ。


 オーバルトが手下にアイシャの縛めを解くよう合図をする。

「もうハリス様を煩わせることは御座いますまい。念のために私の方で監視をつけておきます。毒の棘があるのに気が付かず、美しい花を愛でようとする男には事欠かないですからな」

 アイシャは今や見る影もないほど悄然としていた。


 上目遣いに俺の方を見るアイシャの顔に色々な感情が去来する。恨み、諦念、打算。ひょっとすると身を投げ出して俺に憐れみを乞うかと思ったが、それはしなかった。そんなことになったら幻滅しただろう。そのことはアイシャも良く分かっているはずだ。勝負はついた。


 大人しくオーバルトの手下に連れられてアイシャは去って行く。あっけない幕切れだった。

「オーバルト殿。ご尽力に感謝します」

「いやいや。いずれ、あの女は排除しなければならなかったのです」


 オーバルトは感に堪えない様子で去り行くアイシャから視線を戻す。

「しかし、ハリス殿は寛大ですな。いや、あの女にとってはこの方がむしろ残酷かもしれませんが」

 俺への過大評価を訂正はしなかった。


 別にそんなに難しいことを考えたわけじゃない。ふとティアナの顔が浮かんだら激情が流れ出て行っただけだ。どうも一緒に暮らすうちに感化されたらしい。アイシャの羽振りが良ければどうだったかは分からない。尾羽打ち枯らした境遇にさらに石を投げつける行為は、ティアナの横に立つのにふさわしくないと思っただけだ。


 それに、もう既に十分に俺は癒されたのだろう。アイシャは、俺に金銭的被害を与え、信用を棄損した。今の俺は失ったもの以上のものを得ている。その原因となったティアナとの出会いは、ある意味アイシャのせいとも言えた。愛する者の命をアイシャが奪ったというなら話は別だ。そうでないなら、今あるものを大切にした方がいい。


 破落戸どもの馬に乗って街道に出る。そこに俺達の馬を連れたオーバルトの手下が合流した。馬を替えてオーバルトとがっちりと握手をする。

「そうだ。大事なことを忘れていた」

 オーバルトが手下に合図をする。


「息子2人へサインを頂けませんか? ヨハンはあなたがバラスを倒した話を後から聞いてとても悔しがっていましてね」

 そこはちゃんと公平に扱うのか。俺は喜んでサインをしてやり手形を押した。

「立ち入ったことを聞くんだが、ヨハンは母親としっくりきてるかい?」


 オーバルトは複雑な顔をする。俺にささやいた。

「礼儀正しく接しています。ただ、我がままをいうことはありませんな」

「変なことを聞いて申し訳ない。親子ってのは難しいものだな」

「はい。今度はゆっくりと遊びにおいでください。ヨハンも喜びます」


「冒険者になるとか言いだしても恨まないでくれよ」

「それは困ります」

 もう一度固く握手を交わして東と西に別れた。途中の宿で仮眠を取って夜が明けてから馬を走らせる。


 昼前には城館にたどり着いた。下働きに馬を預け、あくびをするレッケンバッハ伯爵へ礼を言って別れる。ゼークトの居場所を聞くと館の向こう側にいるのではないかとのことだった。大きく棟を回って、湖を見下ろせる側に出る。陽光を反射する湖面がキラキラと輝いていた。


 目を細めながら裏庭を見渡す。ふと視線を感じたように館を見上げたが、その窓に人影はない。気のせいかと改めて庭内を探した。使用人たちの姿は見えるが肝心のゼークトの姿は見当たらない。近くの東屋も無人だ。庭の西の方にある東屋に向かおうとする。そこへ、横合いから何かが凄い勢いで走ってやってきた。


 少し息を切らせたティアナが俺を見上げる。

「何か御用でしょうか?」

「ん?」

「あの。ハリスが私を探しているのかと……」


 視線を上げる。先ほど見上げた部屋はどうもティアナの部屋だったらしい。俺が左右を見渡していたのを見て、自分を探しているのかとすっ飛んでやってきたのだろう。そんなに慌てなくてもいいだろうにと自然に俺の顔がほころぶ。ティアナは何か指示を待つように俺のことを見ていた。


 ゼークトに業務報告をしてからゆっくりとどのように話をするか考えるつもりだったのだが、順番が変わった。

「立ち話もなんだ。日差しも強いし、あそこで話をしよう」

 俺は近くの東屋にティアナを誘う。


 侵入者に驚いて小鳥が数羽飛び立った。腰を下ろして、ティアナにも横に座るように言う。巧妙に配置された生け垣が周囲の視線を遮っていた。横を見ると神妙な面持ちでティアナが俺のことを見つめており、耳元でイヤリングが揺れている。えーと、なんと切り出したらいいだろう。


 アイシャから回収した指輪を外す。ティアナをそれを不思議そうに見ていた。

「これは俺の恩人から貰ったものなんだ。少々古いものだが、ここに文字が彫ってあるだろう?」

 ティアナに渡してやると目を細めてその文字を読む。


「我が家族に……ですか?」

「ああ。昔、俺のことを可愛がってくれた人が居てね。俺にくれたんだ。長いこと失くしていたんだが見つかったんだよ」

「あ。ハリスの頭をくしゃくしゃにした方ですね」


 ティアナが熱を出した時にそんなことを言ったかもしれない。話を覚えていたのか。指輪を戻すと俺の指で鈍い光を放った。

「これをくれた相手に俺は言ったんだ。家族というなら俺が結婚するときはご祝儀は弾めよって。任せろと言ったのに、さっさとくたばっちまいやがって」


「あの。それってつまり……」

「俺はお前よりかなり年上だし、いつくたばるか分からない仕事をしている。ティアナにはもっと相応しい相手が居るだろう。なんだかお前の優しさに付け込んでいる気がして気が引けるんだが」


 俺は息を継いだ。鼓動が速い。ジイさん、俺に勇気を。

「俺と結婚してくれないか?」

 ティアナは目を見開いている。ガーネットのような2つの丸い瞳が俺の姿をとらえていた。ティアナの顔がくしゃりと歪む。目をしばたたかせるとつうっと涙が頬を伝った。

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