第138話 オーバルトの企て
馬を走らせているうちに日がかげっていく。オーバルトは何もないところで馬を止め降りた。
「申し訳ありませんが、この先は気取られないように歩いて頂きます」
「この先に何があるんだ?」
「今は面白い見ものがあるとだけ」
「思わせぶりな言い方だな」
「驚きがあった方が人生楽しいのではございませんか?」
俺と伯爵も下馬して、オーバルトの使用人の一人に手綱を預けた。
オーバルトは使用人を一人連れて先を歩く。伯爵を見ると余裕の笑みを浮かべていた。俺と伯爵が帯剣しているのに対してオーバルトと使用人は丸腰だ。それに足腰はしっかりしているが剣をたしなんでいるようには見えない。仮に罠だとしてもなんとでもなる。伯爵と連れだって後を追いかけた。
疎林の中をどれぐらい歩いただろうか。オーバルトが立ち止まり、木の陰からのぞくように合図する。一軒の猟師小屋が開けた土地の中に月の光を浴びて佇んでいた。そこそこの大きさでゆうに10人ぐらいは入れそうに見える。
「それで? あの中に金貨が山とでも積まれてるのかい?」
オーバルトは声を立てずに笑った。
「いえ。あの中に価値のあるものはないでしょう」
「ということは、これから運んでくるのか?」
「ええ。物ではありませんが」
「となると人か。誰だ。そいつは? いい加減明かしてもいいだろう?」
「アイシャという女のことはよくご存じですね? その女ですが少々やり過ぎたんですよ。マールバーグの破落戸を引き入れたはいいが、報酬を渋ったせいで、そやつらが町で狼藉を働く始末です。そこへ夫のシグルドが急死したせいで血のつながらない息子に家を追い出されたんですよ」
俺の顔をオーバルトが覗き込む。
「そして、未払いを根に持つ破落戸どもにかどわかされる羽目になったという次第。まあ、そうなるように誘導はしましたがね。そうそう。腕に赤い派手なバンダナを巻いている男は切らないでくださいよ。私の手下ですので」
ちょうどそのとき彼方から物音が聞こえはじめた。俺達の反対側から10騎が空き地に侵入する。馬からは湯気が立ち上っていた。かなりの距離を走ってきたようだ。次々と馬から飛び降りると一人が小屋の脇の横木に手綱をもやった。残りの連中は覆面をはぎ取り、俺達がいることなど気づかぬように声を響かせる。
「よし。お楽しみといこうじゃないか」
「このクソ女。俺達をさんざんこき使いやがって」
「そのくせ手間賃を値切ろうとするたあな」
「その分、払って貰おうじゃねえか。自分自身でな」
今まで顔が見えなかった一人の頭から何かが取り払われる。目隠しをされていたらしい。口には紐がかけられ大声をあげられないようにしていたが、目鼻立ちは見て取れた。アイシャだ。男たちは次々手を出してその体を撫でまわす。
「それじゃ、最初の3人だ」
アイシャの両腕を捕まえた2人を引き連れて一人の男がランプを手にして猟師小屋に向かう。アイシャは身をよじっていたが男2人に引きずられていた。
「俺達の番が来るまでは殺すなよ」
「ああ。なるべく優しく扱ってやるぜ」
気づけばオーバルトが俺の顔を凝視していた。その目はどうするかと問いかけてきている。横を見るとレッケンバッハ伯爵は口髭を捻っていた。あくまで俺の行動に従うつもりらしい。俺はそっとため息をつく。甘いというのは分かっている。憎んでもあまりある相手だが、これから起こるであろうことを座視はできなかった。
俺は木の陰から躍り出ると10歩ほどの距離を一気に詰めた。マールバーグの連中なら遠慮は不要。アイシャに向かってヤジを飛ばす男の一人の腕を確認する。音をさせずにショートソードを引き抜くとその背中から水平に構えた剣を突き入れた。剣を抜き、驚く隣の男の首筋を薙ぐ。噴水のように吹き出す血が驟雨のように地面を叩いた。
さらにもう一人切ったところで、アイシャに取りついていた男がその手を放して腰から剣を抜こうとする。次の瞬間にはそいつの首が飛んでいた。伯爵が次々と相手を替えて踊るかのような足取りで切り捨てていく。オーバルトの手下まで切ったんじゃないかと心配したが、夜目にも派手なバンダナを巻いた男が馬柵のところで両手を上げていた。
9人の男が地面で動かなくなり、周囲は血の臭いが満ちる。アイシャは1歩も動けずにいた。近寄ってナイフで口にかけられた紐を切り離す。顔色は良くないが、それでも元冒険者をしていただけあってアイシャは気丈に立っていた。
「ハリス……」
後ろから足音が聞こえる。靴音が響いているのはわざとだろう。
「ハリス様。さすがの腕前ですな。破落戸相手とはいえ瞬く間にこれだけの相手を切り伏せるとは」
「俺は3分の1だけだ」
アイシャの顔に驚きの表情が浮かぶ。
「オーバルトさん、どうして?」
「お答えする必要はないですな」
オーバルトは冷たく言い放つ。
「ルフト同盟の重鎮のあなたが、王国の貴族や冒険者とつるんで何をしているのか興味があるわ。評議会に訴えたら興味を持つ人はいるでしょうね」
「マールバーグの連中を引き入れて治安を悪化させた方が言うセリフとも思えませんな。それにもうあなたの言葉に耳を傾ける人がいるとでも?」
アイシャとオーバルトの視線が交差する。
「ハリス様。この女狐をどうされます?」
「思わず反射的に動いちまったがなあ。何も考えてなかった」
以前なら手を上げただろうな。今でもこの女のことは許せない。ただ、復讐しようという気はなくなっていた。
「どうするつもり?」
アイシャは昂然と胸を張る。こうやって虚勢をはる様子は哀れだった。俺はさらに近づいて、アイシャの服の襟をくつろげる。そこに細い金鎖を見つけ引き出した。この女は昔から大事なものは肌身離さない。全身引ん剝く手間が省けて良かった。
鎖の先には華奢な指輪が一つ。少し古ぼけた銀製のもので俺が大切にしていたものだ。金鎖をナイフで切り、指輪を回収する。
「こいつは返して貰うぜ」
俺は指輪を指にはめた。
「それだけでよろしいのですか?」
「ああ。こんな女にもう用は無い。俺にこれ以上関わらなければ、こっちも無視するさ」
アイシャは唇を噛みしめていた。
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