第137話 密談

 エレオーラ姫は気分がすぐれないということで、今朝はまだベッドから起きてこない。予定していた鹿狩りについては、せっかく準備をしてもらったのに実施しないのは気が咎めるとの姫の意向で新婦不在で実施された。本日も大変お肌がツヤがいいゼークトの顔を見ていると昨夜も仲睦まじかったのは容易に想像できる。


 早い話が姫は仮病だった。まあ、実際に励み過ぎて体がだるいということはあるのかもしれない。本人たちに聞くわけにはいかないが。ゼークト他数名と山林を駆け巡り1頭の牡鹿を仕留めた。うららかな陽気で少々暑くなる。従者たちが今夜の食材を運んで行くのを見送り、俺達は湖畔の宿屋に喉を潤しに寄った。


 大部屋の奥の個室に通される。注文した酒とつまみが運ばれてくると、呼ぶまで部屋に来ないように給仕に命じた。護衛たちに好きに寛ぐように言って、俺とゼークト、レッケンバッハ伯爵は忍びやかに隣の個室の扉をあける。中では、壮年の男性が2人の供を連れて俺達を待っていた。


 いかにも裕福そうな男が立ち上がり、俺達にテーブルにつくように勧める。

「はじめてお目にかかります。オーバルト・ミコネンです」

 ルフト同盟の有力な商人であり、俺が助けたヨハンの父親だった。こんな面倒くさい手順を踏んでまで面会をするのが、ゼークトの新婚旅行の裏の目的である。


 和やかに会談は終わり、ミコネン家との間での一種の相互協定が結ばれた。ルフト同盟は有力商人による合議制で運営されている。ミコネン家はその会議体で、出来る限り王国に対して融和的な政策をとるように努めることになった。その見返りとして、ミコネン家には王国産の薪炭を優先的に供給する。


「さて、これで我々の間には協商が成立したわけですな。そこでというわけではないが、ハリス殿を一晩お借りしたい」

 自分たちの個室に戻ろうとする俺達をオーバルトが呼び止める。ゼークトが間髪入れず言った。


「なぜハリスを?」

 オーバルトは悠然としている。

「ハリス殿には愚息がお世話になりました。そのお礼を差し上げがてら、個人的な友誼を結びたいだけです」


「俺は構わないぜ」

「ちょっと待て。ハリス」

「いや。これは俺が決める」

 ゼークトが制止しようとするのを振り切った。


「俺を隣の部屋に置いて行ってくれ。オーバルト殿が店を出るときに合図して貰えば後から追いかける」

「しかし」

 ゼークトは渋るがそれ以上は口にできない。協定を結んだ相手の腹の底が分からないとは言えない立場だった。


「グラハム卿。私が同行しよう。一人ぐらい増えても構わないだろう。オーバルト殿?」

「もちろんでございます」

 オーバルトは笑みを見せる。あまり長居は出来ないので自分たちの部屋に戻った。


「ハリス。勝手な真似を」

 ゼークトが文句を言うが俺は取り合わなかった。

「まあ、ついて行ってみるさ。あのおっさんも馬鹿な真似はしないだろうよ。俺を害したところで利益が無い。さあ。新妻の元にとっとと帰るんだな」


 ゼークト達が先に勘定を済ませて引き上げる。残ったつまみを肴にレッケンバッハ伯爵と世間話をした。部屋の扉をそっと叩く音がしたので、ちょっとだけ時間を置いてから店を出る。街道の東の先の方にゆっくりと馬を走らせる3人連れの姿が見え、俺達はゆっくりと後を追いかけた。


「そうだ。すっかり忘れていたよ。先日の祝宴でのことなんだが」

 伯爵が切り出す。

「ハリス殿が庇った給仕がいただろう? 祝宴のために雇われた臨時雇いだったらしいんだが、大事に至らなかったということで、貴殿の評価は急上昇らしいよ」


「そんな大仰な話です? そもそも躓かせようとしたクソガキが悪いんだし」

「そのクソガキは一応、貴族の子弟なんだ。知らんといわれればそれまでさ。貴殿は新郎のリングマスターだ。それに酒をぶっかけたら、何らかの制裁はあっただろうね」


「あのバカどもは自分のしでかしたことの重大さを分かってるんですか?」

「分かってないだろうし、気にもしないだろうな」

「胸糞悪いな」

「同感。ああいう跳ね上がりにはお仕置きが必要だと思わないかね」


「一介の冒険者に何をお望みで?」

 俺の声に警戒を嗅ぎ取ったのだろう。伯爵はとりあえず一旦は引き下がった。

「まあ、それは追々と相談しようじゃないか。あと少しで追いつく。まずはオーバルト殿が何を企んでいるのか拝聴しよう」


 俺達が追いつくとオーバルトは帽子を上げる。馬腹を蹴りスピードを上げた。

「お手数をかけて申し訳ありません。ただ、お付き合い頂ければ、ハリス殿にはご満足を頂けると思いますよ」

「期待してるよ」


 俺のそっけない返事にも動じない。

「ハリス様には愚息を助けて頂いたことは感謝しております。ただ、私は根っからの商人でしてね。恩人のあなた様のことを少々調べさせていただき驚きました。子供の誘拐を奇貨とするのは親としてどうかとも思いますが、お近づきさせて頂く良い機会だと喜んだ次第です」


 俺は唇を尖らせ鼻を鳴らす。構わずオーバルトは声を張り上げる。

「ヨハンの母である私の亡き妻は王国随一を誇るマルク商会の縁者です。ルフト同盟の中で私の立ち位置は元々王国よりと見られています。義弟が騎士ともなれば致し方ありません」


「ガブエイラのことか?」

「はい。彼も商家の出身ということで苦労しているようですが、精鋭騎士団の隊長まで上り詰めました。随分と汚いこともしているようです。もちろん、ハリス様はご存じですな」


 俺の顔色を伺いオーバルトは話を続ける。

「ハリス様に助けて頂いたヨハンには弟がおりますが、その出来は遠く及びません。親馬鹿ながらヨハンは立派に育っております。我が家を継ぐのはヨハンが相応しいでしょう。ただ、ヨハンに代替わりすれば、増々風当たりが強くなります」


「同盟と王国の関係からすればまあそうだろうな」

「愚かな話でございます。我らに金はありますが、それだけで王国に勝てると思うのは笑止の極み。今はだいぶ屋台骨が揺らいでおりますが、立て直す可能性が出てきました。エレオーラ姫は私などが申すのも憚りがありますがかなりの人物です。そして……」


 オーバルトは淡々と告げる。

「夫の親友がハリス様だったというのは僥倖でしょう。そうは思いませんか?」

 またそういう話かよ。俺には他にも悩みが多いんだぜ。強欲王や行方の知れないデニスも気になる。それに、女性問題にもそろそろケリつけなきゃなんねえんだ。

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