第11話 魔狼

 ノルンの町から半日ほどドーラス山の麓を回り込んだ位置にあるダンジョン。入った途端、久しぶりの冷気が俺を包む。しかし、以前に比べればそれほど体にこたえなかった。ティアナが不器用なりに、俺の防寒着の裏打ちを直したり、サイズを調整したりしたお陰だ。なぜか特に下着が暖かい。ちょっと縫い目がチクチクするが。


 ぶ厚く着込めば寒さはしのげるが、そのせいで敏捷性が落ちれば本末転倒だ。そのあたりのバランスを取る必要がある。かさ張らない程度に保温できる服装にはまさに俺の命がかかっていた。その服装に手を加えた人物がまぶたに浮かぶ。ちゃんとティアナは留守番をしているだろうか。出がけにはまるで今生の別れかのようにティアナは取り乱していた。


「そんなに心配するな」

「でも、ダンジョンは危ないところだと……」

「ああ。だから、無茶はしない」

 両手を胸の前で組み合わせ心配そうに俺を見つめるティアナに我慢できなくなっておでこにキスをした。


 本当は唇を重ねても良かったのだが、そうなると、こんなあっさりしたキスで終わるはずもない。舌を絡めたり、歯をなぞったりしているうちに、押し倒すことになったのは賭けてもいい。見る見るうちに真っ赤になって顔を隠したティアナに背を向けて、渋々ギルドまで出かけたのだった。


 あの態度からすると、この程度のスキンシップなら嫌ではないということなのだろうか。それとも突然のことで嫌悪感よりも、驚きと羞恥心の方が勝ったのか。唇に残った感触を思い出して、そろそろいいかな、そんな能天気な想像にふける。そこへ緊張した声が響いた。

「ゴブリンだ!」


 漂った緊迫感とは裏腹に勝負はあっさりついた。ガチガチに鎧を着込んだテッド、ゾーイ、コンバの前衛たち。彼らの構えるラージシールドの堅陣を崩せず、一方的に6体いたゴブリンがやられていた。初心者パーティなら死人がでてもおかしくない相手だが、この程度なら苦も無く倒せる程度の腕はあるらしい。


 まあ、それなり金のかかっていそうな装備に助けられている面もあるが、それも含めて実力だ。前衛の実力観察が終わったあとは、俺も2回ほど投げナイフでアシストする。早く戦闘を終わらせるためで別に危険だったわけじゃない。赤毛の魔法士ジーナも魔法を使わずじまいだった。


 ジーナは前衛たち若造と俺の間ぐらいの年齢で、見るからに性格のきつそうな顔立ちをしている。鼻にそばかすの残る顔の中で、吊り上がり気味の両目はいつも油断なさそうに周囲を監視していた。冒険者としての経験もそこそこあり、中位の魔法も使えるという触れ込みだった。


 第一層をざっと見て回る。入り口から離れたところで鍵のかかったままの部屋や宝箱が見つかった。皆の要望もあり、大した手間ではないので、きっちり中身を回収する。銅貨が数枚と安物の指輪だ。さすがに3日間で誰かが宝箱の再利用をしたとも思えない。つまり、探しているパーティは第2層に下りたということだ。


 第2層への階段のところで一応協議する。

「ここで引き返すのもありだ。下に降りたのなら、探す相手はすでに全滅しているだろう。結構えぐいものを見ることになる。それに、普段は第4層にいるようなのが徘徊している可能性も無くはない。俺は戦力としては期待できないからな」


「問題ねえよ」

 即答するゾーイ。俺のぼんやりとした不安は確信に変わる。こいつら、まだ第4層に下りたことは無いな。第4層ともなればオーガやトロールなどの巨人もいるし、軍神バラスの偽物も出てくる。バラスを気取った偽物はフルプレートメイルにヒーターシールド装備で俺には傷つける術がない。剣の腕もゾーイの5人分ぐらいはあるはずだ。


「私はレベル4の魔法が使える」

 ぶっきらぼうにジーナが言った。余裕があるように装っていた3人組も驚いた表情をする。俺も口笛を吹いた。

「なら、問題はないな。いざとなりゃジーナの魔法でぶっ飛ばして貰えばいい」


 階段を下りてしばらくすると、前方に魔狼が3匹何かに食らいついて食事中だった。第2層に巣くう奴らでは最上位のモンスターだ。鋭い爪と牙を持ち敏捷な動きで相手を翻弄する。動きのとろい我らがパーティの前衛連中には荷が重いだろう。

「先制した方がいい。魔法を頼む」


 ジーナが木の杖をかざして呪文を唱え始める。魔狼がこちらに気づく前に詠唱が完了した。淡い光が集まりながら人の脚ほどの太さの氷柱の形をとる。青い光が弾けると物凄い勢いで飛んでいき魔狼の一体に突き刺さった。俺はうめき声をあげる。

「なんでアイスブレイクなんだよ」


 アイスブレイクはレベル4の攻撃魔法だ。凶暴なトロールも1発で沈黙させることができる。単体しか標的にすることができないし、魔力の消費も割と多めだが、時と場合によっては非常に強力だ。第5層のモンスターにだって通用することもある。


 ただ、魔狼は冷属性の魔法に対しては強力な耐性を持っている。おおむね本来受けるダメージの90%は軽減されてしまうはずだ。いくら強力な魔法といえども効果は期待できなかった。

「ファイアボルトでいいんだよ。あんたのレベルなら同時に複数狙えるだろ」


 俺の非難の声にジーナは唇を噛みしめる。そして、決定的な言葉を告げた。

「私が使える攻撃魔法は冷属性だけ。ファイアボルトは得意じゃないのよ」

 攻撃を受けた魔狼は次々と俺達に向かって走ってくる。そのうちの1体の動きは鈍く、体表に赤い物が見えた。一応は効果があったようだ。前衛が迎撃態勢を取る。俺は力なくつぶやいた。

「なんてこった」

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