第86話 キスの効果
食事を御馳走になって各自に割り当てられた部屋に引き上げる。食事は軽食だったが材料は結構なものだった。ただ、それなりに金をかけている料理だろうに俺にはティアナの作るものの方が旨いように感じられる。慣れもあるのだろうが、それも味覚のうちだ。
「ただで飯が食えると思ったが、やっぱりお前の作る料理の方が旨いな」
「そうでしょうか」
照れながらもティアナは嬉しそうだ。
「ご主人様にそう言われると作り甲斐があります」
そろそろ寝ようかと考えていると部屋をノックする音が響く。開けてみるとゼークトが呼んでいるとの伝言だった。しかも、ティアナも連れて来いとの話だ。食事の時間を外したということは、他人には聞かせられない話だろう。ただ、ティアナ連れの意味が分からなかった。
案内された書斎にゼークトの姿はない。窓際に女性が佇んでいるだけだった。俺達が入ってきたことで女性が振り向くと横でティアナが弾んだ声を上げる。
「エル!」
確かに前回カンヴィウムに来た時に酔っぱらいに絡まれたときにいた女性だった。駆け寄って来てティアナの手を握る。
「ティアナ。よく来たね。ハリスさんもこんばんは」
「こんばんは。あんた、ゼークトの屋敷の者だったんだな」
ちょうどその時に奥側の扉が開いて主が姿を現す。手にはお茶のセットが乗ったトレイを運んでいた。女性は身をひるがえすとゼークトに駆け寄って軽く口づけを交わす。
「あ」
声を出した傍らのティアナを見ると顔を手で覆っている。
「何してるんだ?」
あわあわとするティアナは声が出ないようだ。
「あ、赤ちゃん……」
「は?」
「おい。ハリス。立ち話もなんだから座れよ」
エルと腕を組んで呼びかけてくるゼークト。おっと、こっちの方もわけが分からねえ。ごく軽めのキスだったが、あれはどうみても使用人に対する挨拶じゃない。となると……。俺は最敬礼をした。
「おいやめろよ」
「変に畏まらないで欲しいな」
間違いない。この既視感はゼークトに連れられて王城に行ったときのものだ。親子そろって人を驚かすのが得意ときてやがる。
相変わらずぶつぶつ言っているティアナを引っ張ってソファに腰を下ろした。革張りの豪華なものだが、立派過ぎて寝るには向いてなさそうだ。正面にお姫様が座っているとなると落ち着かない気分が更に増す。
ただ、ずっと何かつぶやいているティアナの様子が気になった。お姫様を前にどうかと思うが耳にささやく。
「おい。ティアナ。しっかりしろ」
「赤ちゃんが……」
「だから。何が赤ちゃんなんだ?」
「く、口にキスしてました」
「意味が分かんねえよ。キスしたって赤ん坊なんかできねえぞ」
ティアナは急に目が覚めたような顔をする。
「だって、ミーシャさんがそう言ってましたよ」
話を聞けばなんということはない。例の出血騒ぎのときに赤ん坊が産めるようになったと言われて、どうやったら赤ん坊ができるのか気になったそうだ。ジーナに聞いたら、まだ早いと教えてもらえず、それなら子供がいるミーシャに聞けばいいと質問したら、そう教えられたという次第。
手順としてはキスが第1歩というのは間違いないが……。それをすっ飛ばしても赤ちゃんはできる。しかし、ティアナに真正面から聞かれれば、後半の手順を説明できるかというと俺も自信はない。まあ、実際にどうするのか指導しろというならやぶさかではないな。いや、まだ早いか。
「あはははは」
エレオーラ姫が手を叩いて笑っていた。
「ティアナったら可愛いねえ。そっか。キスしたら赤ちゃんができると思ってたんだ。それはびっくりするよね」
ソファをバンバン叩いてエレオーラ姫は笑い転げている。
「いくら私でもさすがに結婚前に赤ちゃんはまずいぐらい分かってるから。ああ。ティアナ。そんな顔しないで。別に馬鹿にしてるんじゃないのよ。教わらないと分からないもんね」
「ティアナ。あんまり睨むなよ。これでも一応お姫様なんだから」
ティアナはびっくりした顔をする。
「エルがお姫様?」
「あんまり、お姫様とか言われてもピンと来ないからエルでいいよ」
俺の中での常識から言ってもお姫様という柄じゃない。確かにゼークトはこのお姫様を称して面白いと言っていた。その形容詞もどうかと思うが、それ以外の表現も難しい。
「さて、改めて紹介しよう。こちらが俺の婚約者のエレオーラ姫殿下だ」
「エルがお姫様? お姫さまってもっとピラピラのついたキレイな服を着てるのかと思ってた」
エレオーラ姫はにこっと笑う。
「いつも着てるわけじゃないのよ。あれ窮屈だし。私はあんまり好きじゃないんだ。時々は仕方なく着るけどね」
俺は姫に頭を下げてからゼークトを問いただす。
「それで、夜中にわざわざ妃殿下も同席で呼び出したのはどういうつもりだ?」
「それは私がお願いしたのよ。ハリスさん。もう面倒だからハリスでいいわよね?」
エレオーラ姫が身を乗り出した。
「その理由を伺っても?」
「これから結婚しようって相手の一番の友人の人となりぐらい知っておきたいってことよ。本人がどんなに表面を取り繕っても付き合っている相手を見れば、本性はだいたい分かるわ」
「俺のせいでゼークトとの結婚をやめるとか言いださないかと心配になるんですがね」
「あら。俺の方がふさわしいとかいうアピール?」
「……。それで、ティアナを同席させた理由は?」
「気兼ねなくお話しできる友達が欲しいというのが私の側の事情ね」
「本題は別にある。ここから先は俺から話そう。核心に入る前に一つ聞きたい。ティアナ嬢は自分の能力について知っているのか?」
料理の才能のことじゃないよなあ。
「まだ話していない」
「この話はそのことと関係がある。俺から話すより、お前の口から言った方がいいんじゃないか?」
ティアナが不思議そうな顔をして俺を見つめてくる。ゼークトが切り出した以上、この件を本人に話さないわけにはいかないか。
俺はティアナに向き直る。
「お前には特殊な才能がある。お前が作った肌着には魔力が付与されているんだ。具体的には寒さを防いだり、ただの布切れではありえない強靭さがある。実際、この肌着を着てなかったら俺は大怪我していただろう」
ティアナは首を傾げて目をパチパチしていた。
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