第101話 押しかけ女房

 俺が心身ともに疲労した体を引きずって家に入って行った途端にどんと何かが勢いよくぶつかる。その勢いにたたらを踏んだ。ティアナが俺の体に細い手を回してぎゅっと抱きしめる。ジーナとコンバ、ミーシャも立ち上がっていた。

「ハリス。無事だったの?」

「兄貴。大丈夫っすか?」


 テーブルのところで、一様に安堵の表情を浮かべている。

「あなたが騎士団に拘束されて、荒野に連行されていったって聞いて、心配してたのよ。ギルド長には知らせたけど、うかつに動けないし」

「ああ。まあ色々あったがとりあえずは無事だ。コンバの傷はどうなんだ?」


「あんなのかすり傷っすよ。神殿で治療して貰ってなんともないっす」

「そいつは良かった」

 俺のあごに柔らかいものが触れる。

「ご主人様。この傷は?」

「ああ。ちょっと切れただけだ。深くはないし心配するほどのもんじゃない」

「そう。かすり傷よ。いずれは消えるわ」


 振り返ると扉が開いてチーチが顔をのぞかせていた。

「勝手に入ってくるなと……」

「女をいつまでも待たせるもんじゃないでしょ」

 チーチはスタスタ近づいてくると俺にしがみついているティアナをじっとみつめる。


「ああ。そういうことね。あたいはそれで第何夫人になるの?」

 チーチは順にジーナとミーシャの顔を見て俺にニッと笑いかける。周囲の空気が変わったがチーチは気にするそぶりはない。

「第4夫人? 強いオトコに妻が多いのは当然のこと。別に不満はないわよ」


 チーチは両手の平を合わせると頭を軽く下げた。

「あたいはチーチ。ハリスの奥さんになるため今日から同居する。よろしくミジャリナ」

 凍り付く皆の様子を気にせず、チーチは俺に問いかける。

「あたいの荷物はどこに入れればいい?」


 ジーナが頭を振り振り声を出す。

「ねえハリス。どういうことなの? ミジャリナってマーキト族の言葉で自分より先に娶られた夫人を表す言葉よね。そもそもその娘はなんなの?」

 俺は体にしがみついて離れようとしないティアナを見下ろした。

「薬草茶淹れてもらっていいか?」


 ティアナは弾けるように台所に駆けていく。俺はチーチに向きを変えた。

「もう空き部屋は無いから、とりあえず裏庭に天幕張れ」

「分かったわ。愛しい人」

 チーチは外に出て行く。


「なんか外にすっげえ荷物があるんだけど。お、おっちゃん久しぶり」

 タックが外から入ってきた。

「なんか女の人が数人裏庭に荷物運び入れてるんだけどさ。何が始まるんだ?」

 俺は疲れた体を運んで椅子にどかりと座る。


 そこへティアナがお茶を運んできた。薫り高いお茶を口に含むと少しだけ疲労が回復した気がする。お茶を運んできたトレイを胸に抱えてティアナがおずおずと口を開いた。

「ご主人様。奥さんを貰ったのでしょうか?」


 辛抱強く俺が口を開くのを待っていた他の面々も俺に注目する。

「とりあえずまだだ。向こうの両親にもこちらにも事情と都合があるというのは納得して貰ってる」

「向こうの両親てどういうことよ?」

 ジーナの声が尖っていた。


「可哀そうな俺にそんな声を出さないでくれよ。話はエイリアの頼みで出かけた時にさかのぼるんだ。コンバ。マールバーグのカス共を返り討ちにしたときにいた女の子覚えてるか?」

「ああ。言われてみて思い出しましたよ。さっきの子はあの時兄貴が助けた娘じゃないっすか」


 俺は事情を説明する。マーキト族の女性は潔癖なところがあってある一定以上の年齢になると素肌を見せていいのは夫だけということになっている。そうでない男性に見られたときは相手を殺すこともあるらしい。俺は不可抗力とはいえチーチの裸身を一瞬だけ見たので、その決まりに抵触していた。とはいえ恩人ではある。


 一方で武を重んじるマーキト族の女性の夫となる第一条件はその女性よりも強いこと。俺はチーチと試合を行って辛くも勝利していた。あごの傷はそのときにつけられたものだ。俺はなんとかチーチの細剣を弾き飛ばして組み付き関節を極めてチーチから降参の言葉を引き出していた。


 その言葉を言ってからのチーチの豹変ぶりには俺も戸惑うしかない。野狼のような猛々しさが消え子猫のように甘えるようになっていた。元々マーキト族は名誉と恩義を重んじる。ネムバは最初から俺を客人としてもてなそうとしていたのを、チーチが腕試しさせろと強硬に主張していたそうだ。


 チーチにしてみれば日頃から腕自慢していたのに不意を突かれて攫われた。助けられた相手は俺のような頼りなさそう男。マーキト族の女としてはいくら恩義があるとはいえこんな軟弱そうな相手を夫にはできない。周囲の目というものもある。それで試合をしてみれば結果は俺の勝ち。これなら文句はない。


 しかもチーチの肌に傷を付けなかったことは俺の腕の確かさに加えて愛の深さ故ということになった。名前入りのマントを貸したのも、実は求愛行為だったとされる。その挙句に試合前に用を足したのも豪胆さの証左とされた。つまり族長の娘の夫として問題はゼロ。


 かねてよりネムバはカンディール4世との間で和平交渉を進めていたらしい。何かのついでに娘の恩人が王の知己であることを知ってこれは使えると喜んでいたそうだ。ネムバの息子のキンブリに王族の誰かを降嫁させる案もあったのだが、立ち消えになった矢先のことで双方がこの話に乗った。


 残る障害はチーチの気持ちだったがそれも解消されて、めでたく両者の平和の象徴としてチーチが俺に輿入れすることになった。かいつまんで話を聞かせるとテーブルの周囲はしんとする。裏庭でなにやら命じているチーチの声が響いていた。きっと侍女達に仮住まいの天幕を組み立てさせているのだろう。


「それじゃあ何でハリスをまるで生贄のようにして拉致してったの?」

「単なる伝達ミスか文化の違いによる誤解じゃねえか」

 俺をもてなすつもりなら集落に着くまで紐をほどかなかったのかキンブリに聞いた時のことを思い出す。変わった修行をしているが邪魔をしてはいけないと考えたそうだ。


「それで、もうハリスとあの娘の結婚は確定なわけ?」

「その辺りもよく分からねえんだ。そもそも王国民じゃないしな。とりあえず花嫁修業ってことのようだ」

「でも婚約破棄は国家間の問題になるわよね」

 ジーナは俺が目を背けようとした事実を冷静に指摘してくれた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る