第114話 試練の時

 俺は買い置きの度数の高い蒸留酒を口に含んだ。自宅での酒宴は果て、コンバ、エイリア、キャリーは帰宅している。その中でキャリー一人が上機嫌だった。残りの二人は何とも言えない名残惜しさを溢れさせつつ帰っている。もうちょっと一緒に居たいが常識としてこれ以上は迷惑になる、そんな時間に帰って行った。


 そして、一つ屋根の下に暮らしているジーナとチーチが俺の酒の相手を務めている。まだ飲めないティアナは部屋の隅っこで縫い物をしていた。一心不乱に針先を見つめ、ちょっと鬼気迫る雰囲気を醸し出している。なんとなく思考が読めた。俺が怪我をしたことに責任を感じているのだ。


 以前だったら、俺に危険なことをしないで欲しいと嘆願するところだろう。しかし、マルホンド師に自分の能力を教えられた今となっては、俺が傷つかないようにと願いを込めて肌着を作成しているに違いなかった。針を動かしながら何かをつぶやいているティアナからジーナに視線を移す。


 ジーナは俺の視線に気づくとほっと溜息をついた。

「そういう目で見ないでくれる? 仕方ないでしょ。どうやって魔力を錬成しているのか聞かれて断れると思う? 思いつめた顔をして両手を組んでお願いされちゃったら無理よ」


「いや、別に責めるつもりはないんだ。ただ……」

「そうね。あなたの目にも分かるぐらいだから、私には眩しいほどよ。全身からなけなしの魔力かき集めて指先に集中してる。新作は一体どんな効果を発揮するのか想像もできないわね」


「こんな隠し技もってたのかあ。ハリスがご執心なわけだ」

「別に魔力付与ができるから大事にしてるわけじゃねえぞ」

「そんなのあたいにだって分かってます。まあティアナはそれ抜きにしてもいい子だけどさ。最初は余裕でハリスを奪えると思ってたけどねえ」


「やっぱりそのつもりだったんだ」

 ジーナが呆れた声を出す。チーチは舌をペロッと出した。

「今はもう無理だって気づいてるからそんな声出さないでよ。それにティアナなら奥さん同士として一緒にうまくやっていけると思うんだよね。ティアナがどう考えてるかは知らないけど」


 チーチは酒をちょっとだけ口に含み唇を曲げた。

「やっぱりちょっと濃すぎ。で、あたいはハリスがきちんとあたいの事も大事にしてくれればそれでいいよ。それにさ、ハリスが手を出せば絶対あたいの方が相性がいいと思うんだ。ちなみに結構激しめの……」


 ジーナがパシッとチーチの頭を叩く。

「いい加減にしなさい。あけすけ過ぎるとハリスが引くわよ。それに私はまだあなたを認めたわけじゃないんだから」

「ええ~。あたいはジーナのことも結構気に入ってんだけどな」


「それは光栄ね。私はあなたを人として信用することにしただけだから、勘違いしないで。だいたい、最終的に決めるのはハリスよ。それにこの国には色々決まりごとがあるから話は簡単じゃないわ」

「面倒だなあ。いっそ父のところに来ちゃえばいいのに」


 俺は2人がしゃべるのをぼんやりと見ていた。いがみ合って角突き合わせていないので安心して酒を楽しめる。ティアナの誘拐未遂事件があった後にチーチとジーナは停戦合意に至っていた。何をどう話し合ったのかは知らないが、とりあえず家の中が殺伐とした雰囲気で無くなったので良しとしている。


 バラスという問題が片付いたので次はティアナの処遇に取り掛からなくてはならなかった。どうするかは俺の中でもう決まっている。ボックの厚意で新しい皮鎧の代金支払いを待って貰えることになったので、そのために必要な金貨6枚の確保はできていた。


 奴隷解放の手続きには王都まで出かけなくてはならない。戻ってきたら歪な笑みを浮かべたチーチジーナと対面する事態を避けられるというなら当面はそれで問題ない。全部を一度に片付けようなどというのはどだい無理な話だ。明朝出発することになっているのでお開きにする。


 台所の衝立の裏に行くと、ニックスが迷惑そうにのそりと顔を上げた。革鎧を脱いで肌着姿になる。ジーナが先に体を拭く際に濡れた石の床に立つと、チーチとティアナが二人がかりでお湯を運んできた。腰にタオルを巻き、肌着と下着を衝立に投げ掛けると向こう側に消える。ティアナが汚れ物入れに持っていくのだろう。


 海綿が無いので声をかけようとしたら、チーチが手にして現れた。んふふと笑みを浮かべている。

「あたいが洗ってあげる」

 嫌な予感がするが疲れていたので任せてみた。


 ティアナに比べるとやや力強いが背中をこする感触は心地よい。脇腹はそっと押さえるようにして血の跡を拭ってくれた。大雑把なようでいてこういう気配りもできるのか、と思って下を見ると横から覗き込んでいる頭が見える。

「おい」


 声をかけると顔をあげてニイッっと口角を上げた。

「あまり筋肉はついてないように見せかけて脱ぐと意外だね。それに結構りっぱ……」

 上げていた腕をおろしてチーチの頭を後ろに押しやった。


「お前なあ。さっきもジーナにそういうのはやめろと言われてただろ」

「自分の夫なんだから気になるのは当然でしょ。あ、ハリスもあたいのこと見る?」

 俺はチーチの手から海綿を取り上げた。

「後は自分でやる。いい加減にしないとひっぱたくぞ」

「そんな趣味だったのね。わくわくしちゃう」


 睨むと逃げて行ったので手早く他の部分を洗う。ティアナが乾いた布を持ってきたので水気を拭き取り新しい下着と肌着を身につけた。髪の毛をゴシゴシやっていると後片付けを終えた2人がやってくる。ベッドに横たわるとティアナがぴったりと体を寄せて来て俺の肩に額をくっつけた。


 誘拐されそうになってから、ティアナはひどく甘えるようになっている。俺の腕にしがみついていないと寝れないらしい。さらに空いた手で髪の毛をなでてくれとねだる。当然チーチに背を向けることになるのだが、さすがに文句は言わなかった。文句は言わないが後ろから体を密着させてくる。


 これはこれで結構辛い。一線超えたら部屋から追い出すと言っているので、チーチもきわどいことはしない。しかし、柔らかく香しいものに挟まれているというだけで、反応しそうになるのを押さえるのに神経を集中させなければいけなかった。まあ、これはこれで幸せの領分に属するのだろう。ほどなく眠りに落ちた。

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