第7話:体育は男女別でよかったと思った②

 ラケットを握り、何度か素振りをして感覚を確かめる。振り抜くたびに、風を切るこぎみ良い音が鳴り、テンションが上がっていく。

 体育なんて楽しめればそれで構わなかったが、今日ばかりはその考えは捨てて、久方ぶりに本気でやろうと思った。体育で本気になるなんて、小学校以来だな。


 ネットを挟んで向かい側には、トントンと軽く飛び跳ねて体を慣らしている浅見がいる。浅見もどことなく真剣な顔つきで、大きく息を吐き出している。


「ルールはいいな?」

「そっちこそ。今さら変えてくださいなんて言わないでよ?」


 今回のゲームは特別仕様のハンデ戦。11点のワンゲーム先取で俺が六点から、浅見が無得点からのスタートとなる。

 得点半分以上の差が俺にあることになる。


「紗枝~」と俺の得点ボードを6まであげてくれている女子が、浅見に話しかけた。


「本当にハンデなんかつけていいの?」

「いいのいいの。相馬には後2点くらいハンデあげてもいいぐらいなんだから」


 完全に舐めきってやがる。得意気な笑みを浮かべる浅見に、俺は内心にやけるのが止まらなかった。

 確かに浅見は強い。しかしだからと言って、俺は弱過ぎる訳じゃない。運動神経だって悪くないし、これでも色々と器用にこなせる自信だってある。そりゃあその手に本気で取り組んでる人間には勝てないけど、多少強い程度で俺と同じく現在帰宅部の浅見に、これだけのハンデをつけられて負ける訳がない。むしろ負けたら恥ずかしいレベルだ。


「サーブはこっちからでいいか?」


 丁度よくシャトルがこちらにあったのもあるが、念のため浅見に確認を取る。


「いいよ。ぶっちゃけレシーブの方が得意だし」

「そうなのか? だったらそっちがサーブしていいぞ?」

「嫌だよ。サーブするって言ったんだからサーブしてよ」

「ちっ。わかったよ」


 出来る限り勝率を上げたかったが、まあいいだろう。


 コートの対角線上にお互い立ち、俺はラケット面を浅見に向けて、そのすぐ先にシャトルを添える。

 浅見も臨戦態勢に入ったのか、腰を落としてラケットを構えた。

 シャトルが宙に放たれるのを皮切りに、ゲームが始まった。




 ゲームの展開は、予想外にも切迫していた。たかだか5点程度なら、あっさり逃げ切れると思ったが、その見込みは甘かったと言えよう。

 もっとも驚かされたのは、浅見の運動能力の高さだろう。さっきまで手を抜いていたのか、それともダブルスだったからそれに合わせていたのか、もしかしたらそのどちらも、ということもあると思うが、ともかく動きが機敏でシャトルを拾う拾う。

 全然シャトルが向こうのコートに落ちず、焦って勝負を急ぐと今度はこっちのミスが目立ってしまった。浅見はダブルスほど攻めては来ないが、やはりゲームメイクが上手いのか、的確に嫌なところにシャトルを飛ばして来る。

 唯一浅見に勝っている力の部分で、無理矢理技術を埋めているが、その場しのぎでしかないので差がどんどん縮まってしまった。


 現在の得点は10対11で向こうのアドバンテージとなり、逆転を許している。


「はぁ……はぁ……」


 久しぶりの全力運動に、体がそろそろ言うことをきかなくなって来た。しかしそれは向こうも同じなのか、肩を大きく上下させて息をついてる。


「相馬……意外に強いじゃん」

「お褒めに預かり光栄だよ。てか……お前本当に強いな」


 これが実力の差というやつなんだろう。やはりしっかりと運動部に所属していた人間は強い。


「そりゃあテニス部でしたから。これでも県大会まで行ってるし」

「マジかよ。なんで今もテニスしてないんだし」

「正直、運動は好きだったけど突き詰めたいものじゃなかったんだよね。だから高校で続けたいって思わなかったから、辞めた!」

「さいですっか!」


 サーブで放たれたシャトルを返し、次第に前に後ろに大きく揺さぶられる。ここに来ても浅見の打ち分けの上手さは健在で、俺は無駄に走らされる。けれどここで負けるのは男として嫌だった。プライド云々とかは正直持ち合わせちゃいないが、けれどもこいつに負けるのだけはごめんだ。


「おら!」


 無理に飛んで、無理矢理スマッシュを決める。体勢が悪かったせいでシャトルはネットの白帯はくたいに当たるが、威力があったためかシャトルは向こうのコートに落下した。


「うわ。ここに来てまたデュースとかないわ」

「負けたかねぇんだからしかたねぇだろ」

「相馬って案外、熱血タイプだったの?」

「違わい。お前に罰ゲームの権限があるのが怖すぎるんだよ」


 正直なにされるかわかったものじゃないし。一般的に考えられることから逸脱したものを要求してきそうだから、俺が負ける訳にはいかないと思うのが本音だ。

 浅見は「別に変なお願いはしないよ?」と肩をラケットでトントンと叩きながら言う。しかしそれを信頼する要素は0に等しい。俺はいつも、こいつにからかわれているからな。自業自得だ。


「とにかく。お前に勝たせる訳にはいかない。俺が勝って主導権はいただく。後お前が悔しがる姿を純粋に見たい。後悔させてやるって言ったしな」

「女の子に優しくしないと、嫌われるぞ?」

「うるせぇ。お前だけは別だ。むしろ日頃の礼だ」

「お礼だったら勝たせてよ」

「そういう意味じゃねぇよ」


 むしろ今までの流れでよくプラスに考えられたな。


 ともかくこれで11対11。イーブンになった。ここから怒涛の二連続ポイントで勝利をかっさら――。


 ――キーンコーンカーンコーン――


 授業の終わりを告げる鐘がなった。それと同時に、監督の先生が「集まれ~」と呼びかける。俺達の試合は、強制的に終了のお知らせだ。


「ほらそこ~。さっさと切り上げて来る~」

「浅見」

「う~……今日のところは引き分けだね」


 ~~~


「くそ~。あとちょっとだったのに」


 授業が終わり教室に戻る最中、浅見は口をへの字にして眉を顰める。


「残念だったな」

「本当だよ。相馬をいいように出来ると思ってたのに」


 やっぱり俺の判断は正しかったとしか言えない。あのままこいつに勝たせてたら、俺は何をされていたのだろう。


「因みに相馬」

「なんだよ?」

「相馬が勝ったら何をお願いするつもりだったの?」

「えっ?」


 そういえば、こいつに勝たせまいと思ってはいたが、自分が勝った後のことは考えて無かったな。


「まさかエッチなお願い?」

「馬鹿者」


 俺が決めあぐねていると、これ幸いと言わんばかりに俺の考えを捏造してくる。


「健全な男子高校生なら、それくらいの妄想はするでしょ?」

「そりゃあ……」浅見の胸部分をチラリと見てから、「しないとは言えないな」と正直に答え、照れつつ前を見る。


 事実浅見は魅力的な女性だ、しない方が可笑しい。俺はなんとなく嫌なので、極力頭の中から消してるけど。


「相馬のエッチ」

「お前から言って来たんだろうが」

「まあそうですが」


 浅見は俺との距離を詰め、腕を絡める。そして背伸びをするように顔を耳元に近づけると「胸だったら触ってもいいよ?」と囁いた。


 顔が熱くなる。それと同時にこいつが本気でそんなこと言っていないことも理解している。しかし一瞬。もちろん直ぐに思考は止めたが、本当に一瞬。こいつの胸を触っている自分を想像してしまった。


「お前! そういうのは冗談でも言っていいことじゃ!」

「別に、相馬相手だったら……いいんだけどな~」


 腕を組んでいる関係上、彼女の胸が腕に当たる。むしろ積極的に押し付けて来ているので、感触が……凄い。けして大きいとは言えないだろう浅見の胸だが、だからと言って無い訳ではない。むしろ標準サイズでも十二分じゅうにぶんな凶器になる。

 不味い。このままでは確実に不味い!


 腕を振り払い浅見と距離を置く。早まった心臓を意識的に押さえつけながら、なるべく彼女の胸の感触を忘れようと、特に意味もなく円周率を心の中で唱え始めた。


「まっ。今日は引き分けということで、その腕の温もりだけで勘弁してよね」

「別に俺は、そういうことがしたい訳じゃねぇし」

「フフッ。知ってる」


 相手をおちょくるような笑みに、俺はまたしてもやられたと思った。

 結局のところ、試合には引き分けたものの、勝負では完全に敗北したのである。だって完全に、からかわれてるからな。

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