第69話:係決めでまさかのできごと

「ごめん、教科書忘れちゃって……」


 その言葉とは裏腹に、彼女の表情は特に悪びれもなく、いっそ清々しいほど真顔だった。

 もし俺が彼女の立場だったなら、きっと隣の人に教科書を貸してもらうことなく、先生に注意を受けるまでひっそりと授業を受けることだろう。いくら同年代の、そしてクラスメイトだとしても、迷惑をかけるようなことはしたいとは思えない。

 それに……そもそも話しかけられるような性格じゃない。話しかけるにしても、知り合いじゃないと難しい。


 だから彼女が俺に話しかけたことに驚いた。

 彼女が隣の席になって一ヶ月。いままで会話をしたこともなかったし、目を合わせるようなこともなかった。そんな相手に話しかけられたのだから、驚くに決まっているだろう。


 彼女の質問は、最初は何を言われているのか理解できてなかった。それ以上の衝撃だったので、頭が回ってなかったのかもしれない。

 ジッと見つめる彼女の顔にようやく我に返った俺は、焦りつつ「あっ、おう……」と教科書を閉じてそのまま手渡そうとした。

 その光景があまりにも滑稽だったのだろう。彼女は笑いを堪えつつ、「それじゃあ勉強できないよ?」と教えてくれた。

 そうとう馬鹿なことをしそうになって、顔から火が出るくらい恥ずかしかった。嫌な汗を背中に感じつつ、机を寄せる。彼女も机を寄せてくれて、お互いの机が合わさった。教科書を真ん中に置いて、授業を受ける。


 あ~、本当にこっぱずかしい。穴があったら入りたい。


 顔の熱はなかなか引いてくれず、さらには汗でシャツが張り付いて気持ちが悪い。


「ありがと」

「――!」


 耳元でこっそりと、甘い声で囁かれた。それが非常にこそばゆく、そして顔の熱を助長させた。

 目を見開て彼女を見る。お人形のような端整な顔立ちに浮かぶ笑顔が、しっかりと心臓を突き刺してくる。男ならば誰しも、彼女の笑顔に耐えられるわけはないだろう。

 けれどそれを拒絶するように顔を黒板に向け、頬杖をついて眉をしかめる。自惚れそうになる気持ちを抑え込んで、勉強に取り掛かった。


 高校一年の秋。これが俺、相馬優と彼女、日角瑠衣との初めての会話で、お互いを初めて認識したきっかけだった。


 ~~~


 席替えを終え、余った時間はクラス内の体育祭実行委員と文化祭実行委員決めに議題が移った。先生も最初にやることが詰まってると言っていたので、元からこれを決めてしまおうと思っていたのだろう。

 確かに体育祭も文化祭も差し迫ってきているし、決めないといけないよな。


 今は体育祭実行委員決めを、クラス委員長を筆頭に進めている。ただ立候補は今のところおらず、どうすればクラスが納得して役職を押し付けられるかになっている。


 正直、体育祭実行委員も文化祭実行委員も面倒なことこの上ないのでやりたくはないのだが、その気持ちは皆同じ。先ほどから議論は泥沼とかしていた。


「優、優」


 しかしその中で一人だけ、実行委員決めなど気にしていない奴がいた。


「日角さんと仲良かったの?」


 こそこそと話しかけてくるのは、俺の後ろの席のままとなった浅見紗枝だった。なんで今その質問をしないといけないのかわからないが、彼女は先ほどからしきりに聞いてきている。


「ねぇどうなの? 聞いてるの?」


 今は割と重要なことを決めているはずだから、クラスのことを優先して無視していたのだが、質問攻めが止まりそうにないので仕方がなく椅子を引いて、肩越しに紗枝に「去年、同じクラスだったの」と事情を説明する。


 神妙な顔つきになった紗枝は「にしては親し気だったよね?」と、なぜか変な疑いをかけてきた。


「同じクラスなんだから、話すことはあるだろ?」

「それはそうだけど……なんていうか……」


 なんていうか?


「……なんだよ?」


 それ以上の答えが返ってこなかった。本当になんだよ?


 俺と日角の関係性は、悪くはないがけして良いものでもない。お互いがお互い、一歩引いた位置で相手と付き合っているところがあり、深く踏み込むようなことはしなかった。よく言えば付き合いやすい奴で、悪く言えば親しい仲ではない。

 おそらくクラスが違えば、一瞬で切れる関係性だ。そもそも同じクラスでも、席が隣になるまで話してもいなかったしな。

 そんな関係が俺たちなのだが、こいつは一体何を気にしているんだ?


 紗枝の考えが全くわからず、一先ず答えが返ってこなさそうなので前で話しているクラス委員を見る。

 実行委員には男女一人ずつが選出されることになる。なので体育祭、文化祭合わせて男女二人ずつ、人柱を立てないといけない。


「え~……じゃあいったん体育祭は置いといて、文化祭実行委員になりたい人いますか?」


 クラス委員長は半ば諦めた様子で体育祭の方は投げ出し、文化祭の方を取り上げた。しかし自主性のない我がクラスに置いて、ことがそう易々と決まるとは到底思えない。実際これだって、誰も手を挙げることなんて――。


「はい」


 そんなことを考えていると、隣から声があがった。驚きつつ、席替えによって新たにお隣さんとなった日角を見る。彼女は相変わらずの澄ました表情で手を挙げていた。

 彼女のその行動は、クラス全員から一気に視線を集めた。


「文化祭なら私、やるよ」


 ニコッっと笑顔を見せると、すぐさま男子が手のひらを凄まじい勢いで返して手を挙げ始める。「俺やるよ!」「いや、俺がやる!」「お前ら日角さんと一緒にいたいだけだろ! 俺がやる!」とまあこんな感じに、クラス内は一気にカオスな状況になった。

 さすがは日角だな。と呆れつつも納得していた。去年同じクラスだから知っているが、日角はかなり男子の受けがよくモテる。まあ顔もいいし性格も天使みたいだし、男子から見れば非の打ちどころがないんだよな。

 そんな彼女が手を挙げれば、下心丸出しの男子たちはこぞって彼女の隣を確保したくもなるだろう。

 あまりの勢いにクラス委員長は「じゃあもう、立候補でじゃんけんで!」と声を荒げていた。しかしその声を遮るように日角は「あの、私が決めちゃってもいいですか?」と立ち上がりながら意見した。

 面食らった様子の委員長は先生に視線を向けると、先生は「別にかまわんよ」とGOサインを出す。


「じゃあ……」


 男子たちが一斉に静まり返る。皆、日角の次の言葉を心待ちにしており、中には祈るように手を組んでる男子もいた。どんだけ一緒になりたいんだよ。

 しかし日角は誰を選ぶのだろうか? 多分、さきほど手を挙げた面々(まあ俺以外の男子全員と言ってもいいかもしれないが)だろうけど、純粋に気になる。


「相馬、お願いできる?」

「はえ?」


 変な声出た。


 男子全員、そして女子からも、いやクラス全員からの視線が俺に向けられた。突然の采配に混乱して何も言えずにいると、他の男子から「なんで相馬なんだ!」「あいつ手挙げてないぞ!」「浅見さんだけでなく日角さんまで!」と声があがって……いや、最後のなんだよ。どういう意味だ。


 さすがの俺も意味がわからず、綺麗な笑みを浮かべる日角に「なんで俺なんだ? 立候補もしてないぞ?」と尋ねる。


「私がやってほしいからだけど、ダメ?」

「ダメってことはないけど……」

「ダメじゃないならいいよね?」

「そういうことでは」

「先生、相馬OKですって」

「日角!?」


 あれ? こいつこんなに話を強引に進めるようなやつだったっけ?


 ちゃんと付き合ったことがある訳ではないからわからないけれど、少なくとも慎ましやかな方だと思ってたんだが。


「まあ相馬、お前推薦狙いだろ?」


 えっ? 急になんの話?


 先生の質問に「そうですけど」と返す。


「文化祭実行委員とか、推薦状に書けそうなものはやっといて損はないぞ? あっ、これ相馬だけじゃなくお前らもな」


 なんでそういうこと言うのかな先生は! そんなこと言われたら、推薦狙いの俺はやった方がプラスになるってことじゃないですか!


 今までやりたくもなかったけど、一考に値することになってしまった。


 というかこれって、もしかしなくても色々とチャンス? 日角は知らない仲じゃないし、どうせやるなら見知った人が一緒の方が何かとこっちも楽だ。あれ? これってもしかしなくてもよい取引なのでは?


「やります」

「じゃあ文化祭実行委員は相馬と日角な。委員長、書いといて」

「あっ、はい」


 よし。推薦のためだ、ちょっと頑張ってみますか。


「じゃあよろしくね、相馬」

「おう」


 でも正直、相手が日角じゃなかったら少しひよってたかもしれないな。やっぱり一緒に何かをするってなると、相性って大事だと思うし。その点、日角との仲はよくもなく悪くものなく丁度いい。文化祭実行委員がどんなことするのかわからないけど、バイトと両立できるようにできるだけ調整して――。


 ゴンッ! と、自分の座っている椅子が蹴られて少しズレる。蹴った人間はわかっているので後ろを向くと、紗枝はどことなく寂しそうに左手で頬杖をついて窓の外を見ていた。


「……どうした?」

「……なんでもない」

「いや、なんでもなさそうには見えないけど」


 彼女はチラリと俺の方を見たかと思ったら、すぐに視線を戻した。


「なんでもないから……」

「……おう」


 寂しそうな横顔に、何かをしないといけない気持ちになったが、ただ何も言ってくれない以上何かをすることもできない。

 結局そのまま放課後になり、その日はお互い顔を合わせぬまま、家路についた。

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