第146話:落ち着かない

 あの後、どうにか塚本は生死の境から復活し、青い顔のまま自分のクラスの方に戻っていった。

 俺たち2年生は、学年種目である大縄跳びの準備のために待機場所に移動となる。スムーズに競技の進行が行えるように事前に整列をして、そこから入場という運びだ。


 つまるところこの時だけは、俺の前に紗枝が来ることになる。


 高めの位置で結った髪が、風で馬の尻尾のように揺れる。今日一度も俺の前にちゃんと姿を現さなかったこいつだが、見た目に反して規則はわりかし守るやつなので、本番だけ場所を変えるなんてこともしなかった。

 正直、ありえそうなことだったので少しだけ覚悟していたんだが、杞憂に終わってよかった。


 ただそれでも、こちらを向いてはくれないようで、ずっと前を向いている。いつもだったら適当にちょっかいをかけてきて楽しそうに笑ってるんだが、やっぱりまだ避けられてるのかな?


 こっちから話かけるか……。


 そう思っていざ何か話題を振ろうかと思ったが、すんでのところで口が止まる。

 仲の良かった友達と疎遠になって、久々に会ってみると何を話していいのかわからなくてうまく喋れない。そんな状態。


 なんか共通の話題でもあれば……。


 そう考えた時に、浮かんだのはさっきのことだった。


「紗枝。さっきは、ありがとう。気合入ったわ」


 400m走の時。走り出した直後に、俺に向けて応援をしてくれた。あれのおかげで、かなり頑張れたから、お礼は言いたかった。

 紗枝は「ああ……」とどこか素っ気ない感じだったが、「気づいたら、声出してた……」と気恥ずかしそうに話す。


「なんだろう。応援しなきゃって思って、姿みたら……かってに? ごめん、なんか恥ずかしいわ」

「いや……なんか、俺もごめん」

「別に大丈夫……うん」


 妙な空気が流れる。別に大したやり取りではないと思うけど、紗枝が予想以上に恥ずかしがるものだから俺まで恥ずかしい気持ちになる。


「私の応援で頑張れたんだ……そっか」


 その言葉に、反射的に弄られるのではないかと身構えてしまう。いままでだったら、この後は紗枝が俺の顔を見て、ふ~んそっか~。と小ばかにしたように笑うのだ。

 だからそれが来るんじゃないかと思ったが、一向にその気配がない。


「それは嬉しいかも」

「おう……まあ……うん……」


 優しげな声に、調子が狂う。


 なんだこれは? というか誰だこいつは?


 あまりの雰囲気の違いに、逆に心配になってしまう。確かに最近では大人しくなった方だと思うが、それでも子供みたいにちょっかいをかけては、楽しそうに笑うのが紗枝らしいと、俺はそう思ってる。


 だからこそ感じる違和感。突然彼女だけが大人になってしまったような……そんな感覚。


「だい……じょうぶか?」


 自然と声に出していた。突然、人が変わったように見えたから、自分の中で勝手に体調が悪いんじゃないかと思ってしまった。

 けれど彼女は驚いたように「えっ?」と振り向くと、ビクリとして半歩引き、手ぐしで髪をすく。


 ……えっ? 不自然に避けられたような気がしたけど……気のせい?


「大丈夫って、何が?」


 俺の動揺を他所に話を進めるので、慌てて「ああ、その……体調とかどうかな~って……思いまして」と素直に伝えた。


「体調は平気だけど……へっ、変?」


 変というか……大人っぽすぎておかしいというか……単純に俺が戸惑っているというか。


 不安そうな表情を向ける紗枝。その顔に、とりあえず何か言わなければという使命感にかられる。


「変じゃない! 変じゃないんだけど、雰囲気が違うというか……大人しいというか……その……」


 言葉が上手く出てこなくてこんがらがる。もうすでに、自分が何を言いたいのかもわからない。でも、一つだけ明確にわかっていることもある。


「落ち着かない」


 そう、落ち着かないのだ。いつもと違う彼女の様子に、いつも通りにいかないこの感じが、落ち着かない。それと単純に心配にもなる。何か理由があるなら答えてほしいし、できるなら元のように振る舞ってほしいとも思う。


「なんか、あったか?」


 その言葉に、紗枝は少しだけ考えるように下を向いてから、首を縦に振った。


「何が――」

「ようやく、覚悟できたから……」

「覚悟?」

「だからごめん、優」


 彼女は、申し訳なさそうに眉を顰めると「慣れてね」と微笑んだ。

 その言葉に、どれだけの意味が籠められているのかわからなかった。けれども安直に否定するなんてこともできなくて、結局なんの言葉も出ずに押し黙ってしまう。


『ただいまより。2年生による大縄跳びを開始します――』


 放送委員のアナウンスがこだまする。それを合図に、体育祭実行委員が「1番取るぞ!!」と気合を入れると、クラス全体で「おおー!!」と掛け声をあげる。


「優。がんばろ!」

「あっ、おう」


 周りの空気に置いて行かれ戸惑う俺だったが、そんな人間が一人いたところで競技は止まってくれない。

 結局もやもやした気持ちを抱えながら、大縄跳びが始まった。

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