第67話:ちょっともの足りない

 今日も一日お疲れ様でした。


 教科書とノートを重ね、机にかけている鞄の中にそのまま突っ込む。

 授業が緩やかだったのは新学期が始まってすぐの頃だけだった。後期の中間試験も近いこともあって、最近の勉強はなかなかのボリューム。特に大学試験に向けて本格的に進み始めたので、先生方も力が入っているのかもしれない。


 そんな中でも、俺の後ろに座る女子は変わらなかった。


 教師の目を盗んでは少しだけ声をかけて、時折からかうような言葉を並べて俺の反応を楽しんでいる。実に変わらない。変わらないのだが……。


 なんというか……以前に比べて頻度は落ちたと思う。


 前はひっきりなし、というほどではなかったが。確実に毎時間毎時間なんかしらのアクションは起こしていた。もちろんやらない教科もあるけれど、いける教科はほぼ確実にちょっかいをかけてくる。

 近頃はそれがない。今日のラインナップでいくと、世界史、化学、数学、古文はまず一度はちょっかいをかけてくる。しかし今日は世界史だけだった。

 授業内容によってやらないことはあるけれど、それでも世界史だけというのもおかしな話だ。


 体調でも悪いのか?


 そう思って今日一日や近頃の紗枝の様子を振り返るが、別段おかしなところは見受けられないし、むしろいつも通りというか……変わらないように感じる。


 椅子を引いて少し斜めにする。後ろを向くと、紗枝は鞄の中身を整理しているようだった。


 俺の視線に気づいたのか、顔を上げて目を細めて口角を上げる。


「何見つめてんの?」

「いや、別に見つめては」

「見惚れてた?」

「それはない」


 はっきりと口にすると、紗枝は少しむすっとした。


「じゃあなんで見てたの?」

「それは……」


 理由を話そうとして、けれど思いとどまる。

 別に今のままでいいのではないか? という気持ちが生まれ、そもそも授業としては今の形が正解なのではないか? という答えに行き当たる。


 あれ? 別に聞く理由なくね?


 そもそも『最近なんか大人しいな』なんて聞いたら、『もっとかまってほしいの? 優は甘えん坊だな~』なんてやり取りになりかねない。

 なら聞かない方がいいんだけれど、でも。


「何?」


 ジッと見つめてくる瞳に耐えられず、視線を逸らす。


 もしなんかしら、別の理由があったとしたら、どうなんだろうか?


 ただ単純な気まぐれかもしれない。でもそれを決めるのは俺ではなく、本当のことを知っているのは当たり前だが紗枝だけだ。勉強の形として今が正しいことはわかっているけれど、今までされてきたことがされなくなったっていうのは……やっぱり気持ちが悪い気がする。

 でも……俺から誘っているみたいで、正直聞くのが憚れる。


「ふー……」

「うひゃ!」


 考え込んでいると、耳に息を吹きかけられた。耳を抑えて体を引き、こしょば過ぎて変な声出た。


「何すんだよ!」


 顔を赤くして抗議すると、紗枝はジト目をして「黙ってるからでしょ~」と文句を垂れる。


「言いたいことがあるならいいなよ」

「それは……」


 面と向かって言うのは気まずくて、顔をそっぽに向けて「最近、大人しなと思って」と理由を話す。


「あ~……まあ、確かにそうかもね」


 あっさり返してきた。なんなら、本当にちゃかされると思ってたのに。


「後期からはほら、大学受験にかかわってくるでしょ」

「まあ、そりゃあな」

「私は問題ないけど、優は推薦狙ってるみたいだし」

「うん……うん?」

「何?」

「もしかして、俺のため?」

「うん。悪いですか?」

「……」


 はっきりと口にされ、顔が熱くなった。が、よくよく考えると当たり前のことである。


「いや普通のことじゃん」

「……我慢してるんだから感謝してほしい」

「いや普通のこと! 俺のためとか言われてちょっと感動したちゃったけど普通のこと!」


 当たり前なことを指摘していると、紗枝は「そうですけどー! じゃあなんで優は気になったんですか」と逆ギレ気味に質問してきた。


「いや、あんだけ騒がしかった奴が急に静かになったらそりゃあ気になるし、それに」

「それに?」

「……」


 勢いに任せて言ってしまえば、きっとここまで恥ずかしい思いをしなくて済んだかもしれない。途中で気づいてしまった自分が憎い。


「なんだよ~」


 不機嫌そうに言葉の続きを催促する紗枝に、苦い顔をしながらも腹をくくる。


「なんか、ちょっとだけ物足りない気がしたんだよ」


 おそるおそる紗枝の顔を見ると、「ふ~ん」と新しいオモチャを見つけたかのように悪戯っぽい笑顔を浮かべ、「物足りなかったんだ~」と楽しそうに俺の言葉を繰り返した。

 恥ずかしさとか、そういうもろもろを誤魔化したくて、俺はキレつつ「悪かったな」と拗ねてみせてそっぽを向く。


「え~? ねぇねぇ。何がそんなに物足りなかったの?」

「なんでもいいだろ?」

「私とあんまり話せなかったのが寂しかったの?」

「そんなんじゃねぇよ」


 まるで水を得た魚だ。ちょっかいをかけなかった授業分、今ここで発散しているようにも感じる。


 やっぱ言うんじゃなかった。


 後悔しつつ紗枝を無視していると、「10時でいい?」と尋ねてくる。


「……なんの話だ?」

「電話。10時くらいにしていい? 私もあんまり話せなくて、寂しかったし」


 優し気な笑みに、心臓が跳ねた。もしかしたら、からかいの延長かもしれない。そう思ったけれど、そんな顔で頼まれたら断れるわけもなく、「勝手にしろよ」と悪態を吐くぐらいしかできなかった。


「約束だぞ?」

「はいはい」


 かかってくるかはわからない。けれど今日は10時までには、もろもろ終わらせておこう。

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