第39話:今度から作ってきていいですか?

 吹奏楽部が演奏する音楽に耳を傾けながら、夏休みの課題をかたずける。


 夏休みの教室は当たり前だがガランとしていて、人の気配というものが感じられない。まるでこの学校に自分一人なんじゃないかって思うけれど、周囲の音がそんなことないだろうと教えてくれる。


 暑い風が窓から入り込み、額から汗が垂れる。

 窓の外を覗き込むと、暑い中野球部がグランドでノックをしていて、音楽に混じりバットがボールを打つ子気味良い音がリズミカルに響いた。


 ご苦労なこったな。


 中学のころは運動部だったので、この暑さの中の運動がどれほど辛いのかはわかっている。あの時は心底嫌としか思えなかった。正直あまり部活が好きじゃなかったからかもしれない。

 必死にボールを追う野球部員の一人を何も考えずに見ていたら、「何を見てるんですか?」と声をかけられた。

 顔を向けると、目の前に迫力のあるお胸が飛び込んでくる。いかんいかんと視線を更に上に持って行くと、夏らしく長い黒髪を後ろで一つに纏めた瀬川さんが立っていた。


「野球部。暑い中頑張ってるなって思って」

「そうですね。今日は暑いですから、脱水症状や熱中症には気を付けてほしいです」

「だね。補習はどうだった?」


 尋ねると、瀬川さんの表情が曇る。

 勉強が嫌いな彼女のことだ、補習は地獄だっただろう。


「補習って。瀬川さん以外にもいるの?」

「いますよ?」


 彼女は鞄を前の机に置いて、椅子を通路側に向けて座る。


「といっても、私含めて三人くらいですけど」

「意外と赤点取る人いるんだね」


 進学校だし、勉強には力を入れていると思っていたが、そうでもない人がいるようだ。


「補習って、どんなことやるの?」普段そんなもの受けなから気になる。

「普通の授業とそこまで差はないと思いますよ。けれど、テストの範囲に合わせての復習みたいなものなので、順序通りというよりかはピンポイントに授業をしているって感じですかね」

「なるほどね」


 教師側からしても、補習なんてしたくないだろうし。テストさえ通ってくれればいいんだから、無駄な知識をいれたくないって感じなのかな。


「相馬くん。ご飯はどうされますか?」


 補習は午前中に行われているので、時間的には丁度昼休みに差し掛かったくらいの時間だ。どことなくお腹は空いて来ている。俺は普段、母親にお弁当を作って貰っているが、さすがに休みの今日まで作ってもらう訳にはいかないので、総菜パンを買ってきた。

 この学校の購買で不動の人気を誇るやきそばパン。まあこれは、駅前のスーパーで買ってきたものだけど。


「あるから大丈夫だよ」


 やきそばパンを見せると、瀬川さんは少しだけ残念そうに「あっ……」と声を漏らす。


「そうですか」

「どうかした?」

「いえ。なんでもありません」


 何かを隠されたような感じだったが、一先ず彼女が話さないので深く聞かなくてもいいだろう。


「ご飯、食べちゃいましょう。そしたら勉強みてください」

「うん。わかった」


 瀬川さんは鞄の中から巾着に入ったお弁当を取り出す。女の子らしく、小さめのお弁当のようだ。

 巾着から取り出したお弁当の中身は、ラップに包まれたサンドイッチで、色とりどりの具材がパンにぎっしりと詰まっている。

 見た感じ、トマトとレタスのミックスサンドと、照り焼きっぽいものと、タマゴサンドっぽいな。美味しそうだ。


「自分で作ったの?」

「これですか? はい。料理は好きなので。相馬くんは、普段から惣菜パンなんですか?」

「いや。いつもはお弁当。夏休みだから母親に作って貰う訳にもいかなくって。俺も瀬川さんみたいに料理やってればよかったかな」


 お金はできるだけ使いたくないので、瀬川さんに勉強を教える度にお昼で200円近く使うのは、俺にとっては少し痛手だ。こういう時に、料理勉強しとけばよかったかなって思う。


「今からでも遅くないですよ」

「そうかな」

「そうです。あっ! そうですよ!」


 何かを思いついたのか、瀬川さんは満面の笑みを浮かべる。


「私が相馬くんに料理を教えれば解決です!」

「え?」

「相馬くんにはこれからも勉強でお世話になるんですから、せめて何か私から返したいです。けれど馬鹿な私が相馬くんに何を返せるかわからなくって、実は少し悩んでいたんです」


 別にそんなことで悩まなくてもと思うが、俺も無償で何か施しを受けるのが苦手な方なのでその気持ちが凄く理解できる。

 前に納得したとしても、感情的には納得できないことなんてざらにあるからな。


「ですがこれならお返しができます! 相馬くん、私に料理を教えさせていただけませんか!?」


 彼女は体を前のめりにして俺に迫る。あまりに急に近づくものだから、一瞬お互いの鼻先が触れるんじゃないかって距離にまで迫った。


「……っ」

「……っ。失礼しました」


 あまりの近さにお互い顔を赤らめて視線を逸らす。気まずい空気が流れ始めたが、彼女が咳払いをすることで嫌な空気を払った。


「とりあえず、ご検討いただけませんか?」

「ああ……あ~……」


 検討するに値するとは思うが、俺としては別に料理は勉強しなくてもいいかなと思っている。というか、今は別にやりたいという訳ではないからだ。しかしここで断るのも、なんだか瀬川さんに悪い気がするし……今は保護にしとくか。


「うん、わかった。検討してみるよ」


 彼女は安心したのか、ホッと胸をなでおろした。


「よかった。お礼をすることができて」

「そんなに悩んでたの?」


 だとしたら、悪いことをしてしまったかな。


「いえ。これは私の気持ちの問題なので。でも、色々考えたのは本当です。琴を教えるとか、お昼のお弁当代わりに作ってあげようかな~とか」

「へ~。お弁当は、ちょっと気になるかも」


 母親以外の誰かに作って貰ったことが無いので、実は憧れがある。

 瀬川さんは何かを考えているのか、視線を泳がした。そして一度頷くと、「実は――」と鞄の中から自分のお弁当のとは違う、少し大きめの巾着を取り出す。


「お弁当。作って来ちゃったんです」

「えっ? 本当に?」

「はい。今朝の私は何を思ったのか、別に約束とかもしてなかったのに作ってきてしまって。相馬くんがお昼を持って来ていると考えもしてませんでした」

「ああ。だからさっき」

「はい。お恥ずかしい」


 なるほど、そういうことだったのか。


「言ってくれたらよかったのに」

「ご迷惑になると思って」

「迷惑だなんてそんな。有り難く頂くよ」


 瀬川さんから巾着を受け取り、保冷材によって十分に冷えているお弁当箱を取り出す。彼女のお弁当よりは大き目だが、同じ柄のお弁当箱だった。中身は同じで、ラップに包まれたサンドイッチ。


「いただきます」


 ミックスサンドを一つ摘み、ラップを取ってかぶり付く。トマトの酸味とレタスのシャキシャキ、そしてドレッシングが合わさって凄く美味しい。


「うん。美味い」

「本当ですか? よかった~」


 また胸をなでおろす瀬川さん。

 しかし美味いなこのサンドイッチ。食べたら止まらないような、そんな癖を感じる。


「あの……相馬くん」

「ん?」

「今度から、私がお弁当作ってきていいですか?」


 頬を染めて上目使いそんなお願いをされて、嫌ですなんて断れる男子はたぶんいないと思いますよ。

 久々に味わった天然瀬川さんの殺し文句に、俺は頷くしかなかった。


 その後の瀬川さんは終始テンションが高く、勉強の最中にも味の好みや好き嫌いについて聞かれて、今日の勉強はたいして進まなかった。

 呆れはしたが、楽しそうな瀬川さんを見ると。まあいいかなんて諦めてしまうので、不思議な感じがした。

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