第32話:修学旅行です④
エントランスに置かれた、座り心地にの良いちょっと高級な一人用のソファに凭れかかって、俺は天井を見上げた。湿った髪の毛がソファの背凭れを濡らすけれど、俺は構わずそのまま天井を見続ける。
あの後、清水寺を見終わってから昼食をとり、そのまま金閣、銀閣などを巡り今日泊まる旅館に辿り着いた。旅館の部屋割りは男子大部屋女子大部屋と、個別に部屋を取らなかったらしい。まあ誰かと二人っきりというのも気を使うし、人数が多いにこしたことはないだろう。なんの気兼ねもないのは何よりの救いだ。
持ってきたスマホで時間を確認する。この時間は丁度うちのクラスがお風呂を使っている。俺はすでに入浴を済ませたが、時間はまだ三十分近く残っていた。思いのほか早く出すぎたかもしれない。
お風呂に入るちょっと前、寺島に「お風呂から上がったら待ってて」と言われたので、こうして部屋に戻らず寺島を待っている。
何の話しなのかは明確だった。だから俺は、それまでに自分の中でちゃんと気持ちを作らないといけない。
単純なことなのに、それをするのは苦労が伴う。瀬川さんの言う通り、それは当たり前で、必然なんだろう。だからこそ価値があるものなんだと、俺はそれを理解できた。だからこそ、誠意という言葉に価値が生まれるんだ。
だったら俺のすることは、真摯に謝罪をすることだけだ。
「相馬?」
お風呂場の方から浅見が姿を表す。彼女は視線をそらしてから、なんでもないような顔を作って俺に笑いかける。
「涼んでるの?」
浅見らしくないその対応に目を細める。
「お前を待ってた」
「……へっ?」
顔を赤らめて狼狽える彼女に、そのまま詰め寄る。
「どうしてもお前に話たいことがあったんだ」
「えっ! あのちょっと待っ!」
「頼む。少しでいいから時間をくれ。大事な話なんだ」
「近い近い近い! 相馬近いよ!!」
自分を守るように腕を抱き顔を引く浅見。自分が話たいがために勢いをつけすぎた。いつのまにか壁際まで追い詰め、完全に壁ドン状態になっている。
お風呂上がりということもあり、石鹸の香りが混じった甘い匂いが鼻腔をつつき、少し汗ばんだ首元、潤んだ瞳、赤くなった頬に心臓が跳ねた。
心臓があり得ないくらい脈打っているのがわかるが、すぐにサーッ……と血の気が引くのを感じた。今さらながらとんでもないことをしていることに気づき、「ごめん!」と慌てて浅見から離れ、他意はないのだと手を挙げてなにもしない意思表示を示す。
これから謝るというのに、俺は早まってとんでもないことをしでかした。浅見のやつ、怒ってないかな。
恐る恐る顔を見ると、大きく深呼吸を繰り返していた。もしかしたら怖かったのかもしれない。そりゃあ、男が急に迫ってきたら身の危険を感じるだろうな。
「ごめん。本当に驚かすつもりはなかったんだ」
「わかってるよ。相馬がそんなことする人じゃないのも知ってるし……壁ドンがいいっていう気持ちわかったかも」
「えっ? すまん。最後方よく聞こえなかった」
「気にしなくていい!」
小声過ぎて聞こえなかったが、怒っている訳ではなさそうなのでまあいいか。
「それでなんだが、少し話いいか?」
「……うん。私も、実は話したいことがあったの」
浅見も?
「ちょっと、外でない」
~~~
ロビーを出て旅館の入り口付近で涼む俺たち。ただ外出禁止なので、外に出て大丈夫なのかと不安になっている。
「大丈夫かな?」
「誰もいなかったし、別にバレないよ。それにここなら、ゆっくり話せるでしょ」
確かに誰もいないので、内緒話にはもってこいだ。これだったら、他の人のことを考えずにすむので、俺としても助かる。
「……浅見。今朝のことなんだけど」
話を切り出して、浅見に頭を下げる。
「すまなかった。夢の話とはいえ、お前に不快な思いをさせた。本当にごめん」
「えっと……その件についてなんだけど。ごめん!」
突然浅見がそう言ったので頭をあげてみると、なぜか浅見が頭を下げていた。
「私、別にあのとき怒ってなかったの」
「……えっ? でも、妙に距離があったから、俺はてっきり」
顔をあげた浅見は申し訳なさそうに俯きながら「距離を置いちゃったのは、ただ本当に気まずかったからなんだ」
「だからそれは、俺が変な夢を見たことで怒ったからじゃ」
「さすがにそんなんで怒るほど、純情じゃないよ。男子がそういうふうに思うのは、もはや生理現象と同じだし」
酷い偏見のように感じるが、けして間違ってはいないので黙っていよう。
「じゃあなんで?」
浅見は少し恥ずかしそうに視線をそらして「理由はいえない」と答えた。
「やっぱり、俺が何か気に触ることを?」
「そうじゃないから、もうそこはいいの! そして相馬が謝るようなことは一つもないの!」
「けどそれってなんか……納得がいかないような」
なんだか一方的に許されたような違和感に、自分の中で不快なものを感じていた。罪ではないと言われても、自分で納得できない以上俺にとっては今朝のことはまだ解消されてない。せめて、なんかしらの罰でもあれば、それとなく払拭することはできるのだが。
そんな俺の様子に、浅見は腕を組んでため息を溢す。
「じゃあどうすれば納得してくれるの?」
「だから理由を」
「それ以外で」
「それ以外で……? ならなんでも言ってくれ。俺にできる範囲だったらなんでもしてやる!」
「なんでも?」
「なんでも!」
「じゃあ……どんな夢を見たのか教えて」
「……それは」
それは凄く恥ずかしいことなんだが。
狼狽える俺に「なんでもって言ったでしょ?」と不信な目を向けてくる浅見。確かに、なんでもと言ったからには、言われたことはちゃんと答えなければならない。それにこれは俺が言い出したことだ。自分が納得したいから浅見に頼んだのだし、断る訳にもいくまい。
「……わかった」
「よし」
期待感のある目に言葉が詰まるが、一度大きく深呼吸をしてから、意を決して話し出す。
「お前と教室で……」
「教室で?」
「教室で……き」
「……き?」
「キスを、しそうになった」
「……」
顔を真っ赤にしつつなんとか言い切るが、浅見の反応はない。さすがに引いただろうな。けして仲が悪いという訳ではないにしても、恋人でもないのにそういうことを思われたのだ。浅見はさっき、男子がそう思うのは当たり前だと言っていたが、女子と男子との考えの違いはあることなので、現実を目の当たりにすると考えが変わるのはあり得ることだ。
というかそれ以前に、俺がもし女子の立場だったら、別に好意を寄せていない男子からこんなこと思われたら、気持ち悪いとしか思えない。
恐る恐る顔をみると、浅見は顔を真っ赤にして固まっていた。
「浅見?」
「キス? キスだけ?」
「えっ? ああ、うん」
「私てっきり、そういうことだって……思って」
「えっ? 何?」
「これじゃあ、私の方がそうしたいって……」
「浅見さん?」
ふるふると震える浅見。大丈夫なのかとそっと手を肩に触れるようとすると、ビクリと飛び跳ねるように肩が上がる。
心配する俺からゆっくりと離れて行く。
「そっ……」
「そ?」
「相馬がエッチだからいけなんだからね!」
「えっ!? ちょ! 浅見!?」
それだけ吐き捨てて、浅見は旅館の中に戻っていった。
「……え~」
俺の声は風にさらわれ、誰に届くことなく空しく消える。
結局これって、また怒らせたのかな?
乾いた笑みが溢れ、俺はその場で項垂れた。
余談になるが、あの後ロビーに戻ると寺島が待機しており。「そんなこともある」と肩を叩かれたのだが、結果としてさらに落ち込んだだけだった。
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